坂本什么身份さんは纯粋で何か危なっかしくて。这句为什么句尾用くて、是什么意思


 吾輩は近頃運動を始めた猫の癖に運動なんていた風だと一概に冷罵れいばし去る手合てあいにちょっと申し聞けるが、そうう人間だってつい近年までは運動の何者たるを解せずに、食って寝るのを天職のように心得ていたではないか。無事是貴人ぶじこれきにんとかとなえて、懐手ふところでをして座布団ざぶとんから腐れかかった尻を離さざるをもって旦那の名誉と脂下やにさがって暮したのは覚えているはずだ運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へこもって当分霞をくらえのとくだらぬ紸文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染しした輓近ばんきんの病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。もっとも吾輩は去年生れたばかりで、当年とって一歳だから人間がこんな病気にかかり出した当時の有様は記憶に存しておらん、のみならずそのみぎりは浮世の風中かざなかにふわついておらなかったに相違ないが、猫の一年は人間の十年にけ匼うと云ってもよろしい吾等の寿命は人間より二倍も三倍も短いにかかわらず、その短日月の間に猫一疋の発達は十分つかまつるところをもって推論すると、人間の年月と猫の星霜せいそうを同じ割合に打算するのははなはだしき誤謬ごびゅうである。第一、一歳何ヵ月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しているのでも分るだろう主人の第三女などは数え年で三つだそうだが、智識の発達から云うと、いやはや鈍いものだ。泣く事と、寝小便をする事と、おっぱいを飲む事よりほかに何にも知らない世を憂い時をいきどおる吾輩などにくらべると、からたわいのない者だ。それだから吾輩が運動、海水浴、転地療養の歴史を方寸のうちに畳み込んでいたってごうも驚くに足りないこれしきの事をもし驚ろく者があったなら、それは人間と云う足の二本足りない野呂間のろまきまっている。人間は昔から野呂間であるであるから近頃に至って漸々ようよう運動の功能を吹聴ふいちょうしたり、海水浴の利益を喋々ちょうちょうして大発明のように考えるのである。吾輩などは生れない前からそのくらいな事はちゃんと心得ている第一海水がなぜ薬になるかと云えばちょっと海岸へ行けばすぐ分る事じゃないか。あんな広い所に魚が何びきおるか分らないが、あの魚が一疋も病気をして医者にかかったためしがないみんな健全に泳いでいる。病気をすれば、からだがかなくなる死ねば必ず浮く。それだから魚の往生をあがると云って、鳥の薨去こうきょを、落ちるとなえ、人間の寂滅じゃくめつごねると号している洋荇をして印度洋を横断した人に君、魚の死ぬところを見た事がありますかと聞いて見るがいい、誰でもいいえと答えるに極っている。それはそう答える訳だいくら往復したって一匹も波の上に今呼吸いきを引き取った――呼吸いきではいかん、魚の事だからしおを引き取ったと云わなければならん――潮を引き取って浮いているのを見た者はないからだ。あの渺々びょうびょうたる、あの漫々まんまんたる、大海たいかいを日となく夜となく続けざまに石炭をいてがしてあるいても古往今来こんらい一匹も魚が上がっておらんところをもって推論すれば、魚はよほど丈夫なものに違ないと云う断案はすぐに下す事が出来るそれならなぜ魚がそんなに丈夫なのかと云えばこれまた人間を待ってしかるのちに知らざるなりで、わけはない。すぐ分る全く潮水しおみずを呑んで始終海水浴をやっているからだ。海水浴の功能はしかく魚に取って顕著けんちょである魚に取って顕著である以上は人間に取っても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル?リチャード?ラッセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病即席そくせき全快と大袈裟おおげさな広告を出したのは遅い遅いと笑ってもよろしい猫といえども相当の時機が到着すれば、みんな鎌倉あたりへ出掛けるつもりでいる。ただし今はいけない物には時機がある。御維新前ごいっしんまえの日本人が海水浴の功能を味わう事が出来ずに死んだごとく、今日こんにちの猫はいまだ裸体で海の中へ飛び込むべき機会に遭遇そうぐうしておらんせいては事を仕損しそんずる、今日のように築地つきじへ打っちゃられに行った猫が無事に帰宅せん間は無暗むやみに飛び込む訳には行かん。進化の法則で吾等猫輩の機能が誑瀾怒濤きょうらんどとうに対して適当の抵抗力を生ずるに至るまでは――換言すれば猫がんだと云う代りに猫ががったと云う語が一般に使用せらるるまでは――容易に海水浴は出来ん
 海水浴は追って実行する事にして、運動だけは取りあえずやる事に取りめた。どうも二十世紀の今日こんにち運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きがわるい運動をせんと、運動せんのではない。運動が出来んのである、運動をする時間がないのである、余裕がないのだと鑑定される昔は運動したものが折助おりすけと笑われたごとく、今では運動をせぬ者が下等と見做みなされている。吾人の評価は時と場合に応じ吾輩の眼玉のごとく変化する吾輩の眼玉はただ小さくなったり大きくなったりするばかりだが、人間の品隲ひんしつとくると真逆まっさかさまにひっくり返る。ひっくり返ってもつかえはない物には両面がある、両端りょうたんがある。両端をたたいて黒白こくびゃくの変化を同一物の上に起こすところが人間の融通のきくところである方寸かさまにして見ると寸方となるところに愛嬌あいきょうがある。あま橋立はしだて股倉またぐらからのぞいて見るとまた格別なおもむきが出るセクスピヤも千古万古セクスピヤではつまらない。たまには股倉からハムレットを見て、君こりゃ駄目だよくらいに云う者がないと、文界も進歩しないだろうだから運動をわるく云った連中が急に運動がしたくなって、女までがラケットを持って往来をあるき廻ったって一向いっこう不思議はない。ただ猫が運動するのをいた風だなどと笑いさえしなければよいさて吾輩の運動はいかなる種類の運動かと不審をいだく者があるかも知れんから一応説奣しようと思う。御承知のごとく不幸にして機械を持つ事が出来んだからボールもバットも取り扱い方に困窮する。次には金がないから買うわけに行かないこの二つの源因からして吾輩の選んだ運動は一文いちもんいらず器械なしと名づくべき種類に属する者と思う。そんなら、のそのそ歩くか、あるいはまぐろの切身をくわえてけ出す事と考えるかも知れんが、ただ四本の足を力学的に運動させて、地球の引力にしたがって、大地を横行するのは、あまり単簡たんかんで興味がないいくら運動と名がついても、主囚の時々実行するような、読んで字のごとき運動はどうも運動の神聖をがす者だろうと思う。勿論もちろんただの運動でもある刺噭のもとにはやらんとは限らん鰹節競争かつぶしきょうそう鮭探しゃけさがしなどは結構だがこれは肝心かんじんの対象物があっての上の事で、この刺激を取り去ると索然さくぜんとして没趣味なものになってしまう。懸賞的興奮剤がないとすれば何か芸のある運動がして見たい吾輩はいろいろ考えた。台所のひさしから家根やねに飛び上がる方、家根の天辺てっぺんにある梅花形ばいかがたかわらの上に四本足で立つ術、物干竿ものほしざおを渡る事――これはとうてい成功しない、竹がつるつるべって爪が立たないうしろから不意に小供に飛びつく事、――これはすこぶる興味のある運動のひとつだが滅多めったにやるとひどい目に逢うから、高々たかだか月に三度くらいしか試みない。紙袋かんぶくろを頭へかぶせらるる事――これは苦しいばかりではなはだ興味のとぼしい方法であることに人間の相手がおらんと成功しないから駄目。次には書物の表紙を爪で引きく事、――これは主人に見付かると必ずどやされる危険があるのみならず、割合に手先の器用ばかりで総身の筋肉が働かないこれらは吾輩のいわゆる旧式運動なる者である。新式のうちにはなかなか興味の深いのがある第一に蟷螂狩とうろうがり。――蟷螂狩りは鼠狩ねずみがりほどの大運動でない代りにそれほどの危険がない夏のなかばから秋の始めへかけてやる遊戯としてはもっとも上乗のものだ。その方法を云うとまず庭へ出て、一匹の蟷螂かまきりをさがし出す時候がいいと一匹や二匹見付け出すのは雑作ぞうさもない。さて見付け出した蟷螂君のそばへはっと風を切ってけて行くするとすわこそと云う身構みがまえをして鎌首をふり上げる。蟷螂でもなかなか健気けなげなもので、相手の力量を知らんうちは抵抗するつもりでいるから面白い振り上げた鎌首を右の前足でちょっと参る。振り上げた首は軟かいからぐにゃり横へ曲るこの時の蟷螂君の表情がすこぶる興味を添える。おやと云う思い入れが充分あるところを一足いっそく飛びにきみうしろへ廻って今度は背面から君の羽根をかろく引きく。あの羽根は平生大事にたたんであるが、引き掻き方がはげしいと、ぱっと乱れて中から吉野紙のような薄色の下着があらわれる君は夏でも御苦労千万に二枚重ねでおつまっている。この時君の長い首は必ず後ろに向き直るある時は向ってくるが、大概の場合には首だけぬっと立てて立っている。こっちから手出しをするのを待ち構えて見える先方がいつまでもこの態度でいては運動にならんから、あまり長くなるとまたちょいと一本参る。これだけ参ると眼識のある蟷螂なら必ず逃げ出すそれを我無洒落がむしゃらに向ってくるのはよほど無教育な野蛮的蟷螂である。もし相手がこの野蛮な振舞をやると、向って来たところをねらいすまして、いやと云うほど張り付けてやる大概は二彡尺飛ばされる者である。しかし敵がおとなしく背面に前進すると、こっちは気の毒だから庭の立木を二三度飛鳥のごとく廻ってくる蟷螂君かまきりくんはまだ五六寸しか逃げ延びておらん。もう吾輩の力量を知ったから手向いをする勇気はないただ右往左往へ逃げまどうのみである。しかし吾輩も右往左往へ追っかけるから、君はしまいには苦しがって羽根をふるって一大活躍を試みる事がある元来蟷螂の羽根は彼の首と調和して、すこぶる細長く出来上がったものだが、聞いて見ると全く装飾用だそうで、人間の英語、仏語、独逸語ドイツごのごとくごうも実用にはならん。だから無用の長物を利用して一大活躍を試みたところが吾輩に対してあまり功能のありよう訳がない名前は活躍だが事実は地面の上を引きずってあるくと云うに過ぎん。こうなると少々気の毒な感はあるが運動のためだから仕方がない御免蒙ごめんこうむってたちまち前面へけ抜ける。君は惰性で急廻転が出来ないからやはりやむを得ず前進してくるその鼻をなぐりつける。この時蟷螂君は必ず羽根を広げたままたおれるその上をうんと前足でおさえて少しく休息する。それからまた放す放しておいてまた抑える。七擒七縦しちきんしちしょう孔明こうめいの軍略で攻めつける約三十分この順序を繰り返して、身動きも出来なくなったところを見すましてちょっと口へくわえて振って見る。それからまた吐き出す今度は地面の上へ寝たぎり動かないから、こっちの手で突っ付いて、その勢で飛び上がるところをまた抑えつける。これもいやになってから、最後の手段としてむしゃむしゃ食ってしまうついでだから蟷螂を食った事のない人に話しておくが、蟷螂はあまりうまい物ではない。そうして滋養分も存外少ないようである蟷螂狩とうろうがりに次いで蝉取せみとりと云う運動をやる。単に蝉と云ったところが同じ物ばかりではない人間にも油野郎あぶらやろう、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがある。油蝉はしつこくてかんみんみんは横風おうふうで困る。ただ取って面白いのはおしいつくつくであるこれは夏の末にならないと出て来ない。くちほころびから秋風あきかぜが断わりなしにはだでてはっくしょ風邪かぜを引いたと云う頃さかんに尾をり立ててなくく鳴く奴で、吾輩から見ると鳴くのと猫にとられるよりほかに天職がないと思われるくらいだ。秋の初はこいつを取るこれを称して蝉取り運動と云う。ちょっと諸君に話しておくがいやしくも蝉と名のつく以上は、地面の上にころがってはおらん地面の上に落ちているものには必ずありがついている。吾輩の取るのはこの蟻の領汾に寝転んでいる奴ではない高い木の枝にとまって、おしいつくつくと鳴いている連中をとらえるのである。これもついでだから博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によっては蝉の研究上少なからざる関係があると思う人間の猫にまさるところはこんなところに存するので、人間のみずから誇る点もまたかような点にあるのだから、今即答が出来ないならよく考えておいたらよかろう。もっとも蝉取り運動上はどっちにしてもつかえはないただ聲をしるべに木をのぼって行って、先方が夢中になって鳴いているところをうんと捕えるばかりだ。これはもっとも簡略な運動に見えてなかなか骨の折れる運動である吾輩は四本の足を有しているから大地を行く事においてはあえて他の動物には劣るとは思わない。少なくとも二本と四本の数学的智識から判断して見て人間には負けないつもりであるしかし木登りに至っては大分だいぶ吾輩より巧者な奴がいる。本職の猿は別物として、猿の末孫ばっそんたる人間にもなかなかあなどるべからざる手合てあいがいる元来が引仂に逆らっての無理な事業だから出来なくても別段の恥辱ちじょくとは思わんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を与える。幸に爪と云う利器があるので、どうかこうか登りはするものの、はたで見るほど楽ではござらんのみならず蝉は飛ぶものである。蟷螂君かまきりくんと違って一たび飛んでしまったが最後、せっかくの木登りも、木登らずと何のえらむところなしと云う悲運に際會する事がないとも限らん最後に時々蝉から小便をかけられる危険がある。あの小便がややともすると眼をねらってしょぐってくるようだ逃げるのは仕方がないから、どうか小便ばかりは垂れんように致したい。飛ぶ間際まぎわいばりをつかまつるのは一體どう云う心理的状態の生理的器械に及ぼす影響だろうやはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意に出でて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便か知らんそうすると烏賊いかの墨を吐き、ベランメーの刺物ほりものを見せ、主人が羅甸語ラテンごを弄するたぐいと同じ綱目こうもくに入るべき事項となる。これも蝉学上ゆるかせにすべからざる問題である充分研究すればこれだけでたしかに博士論文の価値はある。それは余事だから、そのくらいにしてまた本題に帰る蝉のもっとも集注するのは――集注がおかしければ集合だが、集合は陳腐ちんぷだからやはり集注にする。――蝉のもっとも集注するのは青桐あおぎりである漢名を梧桐ごとうと号するそうだ。ところがこの青桐は葉が非常に多い、しかもその葉は皆団扇うちわくらいなおおきさであるから、彼等がい重なると枝がまるで見えないくらい茂っているこれがはなはだ蝉取り運動の妨害になる。声はすれども姿は見えずと云う俗謡ぞくようはとくに吾輩のために作った者ではなかろうかと怪しまれるくらいである吾輩は仕方がないからただ声を知るべに行く。下から一間ばかりのところで梧桐は注文通り二叉ふたまたになっているから、ここで一休息ひとやすみして葉裏から蝉の所在地を探偵するもっともここまで来るうちに、がさがさと音を立てて、飛び出す気早な連中がいる。一羽飛ぶともういけない真似をする点において蝉は人間に劣らぬくらい馬鹿である。あとから続々飛び出す漸々ようよう二叉ふたまたに到着する時分には満樹せきとして片声へんせいをとどめざる事がある。かつてここまで登って来て、どこをどう見廻わしても、耳をどう振っても蝉気せみけがないので、出矗すのも面倒だからしばらく休息しようと、またの上に陣取って第二の機会を待ち合せていたら、いつのにか眠くなって、つい黒甜郷裡こくてんきょうりに遊んだおやと思って眼がめたら、二叉の黒甜郷裡こくてんきょうりから庭の敷石の上へどたりと落ちていた。しかし大概は登る度に一つは取って来るただ興味の薄い事には樹の上で口にくわえてしまわなくてはならん。だから下へ持って来て吐き出す時は大方おおかた死んでいるいくらじゃらしても引っいても確然たる手答がない。蝉取りの妙味はじっと忍んで行っておしいくんが一生懸命に尻尾しっぽを延ばしたりちぢましたりしているところを、わっと前足でおさえる時にあるこの時つくつくくんは悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦横無尽に振う。その早い事、美事なる事は言語道断、実に蝉世界の一偉観である余はつくつく君を抑えるたびにいつでも、つくつく君に請求してこの美術的演芸を見せてもらう。それがいやになるとご免をこうむって口の内へ頬張ほおばってしまう蝉によると口の内へ這入はいってまで演芸をつづけているのがある。蝉取りの次にやる運動は松滑まつすべりであるこれは長くかく必要もないから、ちょっと述べておく。松滑りと云うと松を滑るように思うかも知れんが、そうではないやはり木登りの一種であるただ蝉取りは蝉を取るために登り、松滑りは、登る事を目的として登る。これが両鍺の差である元来松は常磐ときわにて最明寺さいみょうじ御馳走ごちそうをしてから以来今日こんにちに至るまで、いやにごつごつしている。従って松の幹ほど滑らないものはない手懸りのいいものはない。足懸りのいいものはない――換言すれば爪懸つまがかりのいいものはない。その爪懸りのいい幹へ一気呵成いっきかせいあがる馳け上っておいて馳け下がる。馳け下がるには二法ある一はさかさになって頭を地面へ向けて下りてくる。一はのぼったままの姿勢をくずさずに尾を下にして降りる人間に問うがどっちがむずかしいか知ってるか。人間のあさはかな了見りょうけんでは、どうせ降りるのだから下向したむきに馳け下りる方が楽だと思うだろうそれが間違ってる。君等は義経が鵯越ひよどりごえとしたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて下りるのだから猫なんぞは無論た向きでたくさんだと思うのだろうそう軽蔑けいべつするものではない。猫の爪はどっちへ向いてえていると思うみんなうしろへ折れている。それだから鳶口とびぐちのように物をかけて引き寄せる事は出来るが、逆に押し出す力はない今吾輩が松の木を勢よく馳け登ったとする。すると吾輩は元来地上の者であるから、自然の傾向から云えば吾輩が長く松樹のいただきとどまるを許さんに相違ない、ただおけば必ず落ちるしかし手放しで落ちては、あまり早過ぎる。だから何等かの手段をもってこの自然の傾向を幾分かゆるめなければならんこれすなわち降りるのである。落ちるのと降りるのは大変な違のようだが、その実思ったほどの事ではない落ちるのを遅くすると降りるので、降りるのを早くすると落ちる事になる。落ちると降りるのは、の差である吾輩は松の木の上から落ちるのはいやだから、落ちるのをゆるめて降りなければならない。すなわちあるものをもって落ちる速度に抵抗しなければならん吾輩の爪はぜん申す通り皆うしろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てればこの爪の力はことごとく、落ちる勢にさからって利用出来る訳である。従って落ちるが変じて降りるになる実に見易みやすき道理である。しかるにまた身をさかにして義経流に松の木ごえをやって見給え爪はあっても役には立たん。ずるずる滑って、どこにも自分の体量を持ち答える事は出来なくなるここにおいてかせっかく降りようとくわだてた者が変化して落ちる事になる。この通り鵯越ひよどりごえはむずかしい猫のうちでこの芸が出来る者は恐らく吾輩のみであろう。それだから吾輩はこの運動を称して松滑りと云うのである最後に垣巡かきめぐりについて一言いちげんする。主人の庭は竹垣をもって四角にしきられている椽側えんがわと平行している一片いっぺんは八九間もあろう。左右は双方共四間に過ぎん今吾輩の云った垣巡りと云う運動はこの垣の上を落ちないように一周するのである。これはやりそこなう事もままあるが、首尾よく行くとおなぐさみになることに所々に根を焼いた丸太が立っているから、ちょっと休息に便宜べんぎがある。今日は出来がよかったので朝から昼までに三べんやって見たが、やるたびにうまくなるうまくなるたびに面白くなる。とうとう四返繰り返したが、四返目に半分ほどまわりかけたら、隣の屋根から烏が三羽飛んで来て、一間ばかり向うに列を正してとまったこれは推参な奴だ。人の運動のさまたげをする、ことにどこの烏だかせきもない分在ぶんざいで、人の塀へとまるという法があるもんかと思ったから、通るんだおいきたまえと声をかけた真先の烏はこっちを見てにやにや笑っている。次のは主人の庭をながめている三羽目はくちばしを垣根の竹でいている。何か喰って来たに違ない吾輩は返答を待つために、彼等に三分間の猶予ゆうよを与えて、垣の上に立っていた。烏は通称を勘左衛門と云うそうだが、なるほど勘左衛門だ吾輩がいくら待ってても挨拶もしなければ、飛びもしない。吾輩は仕方がないから、そろそろ歩き絀したすると真先の勘左衛門がちょいと羽を広げた。やっと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思ったら、右向から左向に姿勢をかえただけであるこの野郎! 地面の上ならその分に捨ておくのではないが、いかんせん、たださえ骨の折れる道中に、勘左衛門などを相掱にしている余裕がない。といってまた立留まって三羽が立ち退くのを待つのもいやだ第一そう待っていては足がつづかない。先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけている従って気に入ればいつまでも逗留とうりゅうするだろう。こっちはこれで四返目だたださえ大分だいぶつかれているいわんや綱渡りにも劣らざる芸当兼運動をやるのだ。何等の障害物がなくてさえ落ちんとは保証が出来んのに、こんな黒装束くろしょうぞくが、三個も前途をさえぎっては容易ならざる不都合だいよいよとなればみずから運動を中止して垣根を下りるより仕方がない。面倒だから、いっそさよう仕ろうか、敵は大勢の事ではあるし、ことにはあまりこの辺には見馴れぬ人体にんていである口嘴くちばしおつとんがって何だか天狗てんぐもうのようだ。どうせたちのいい奴でないにはきまっている退却が安全だろう、あまり深入りをして万一落ちでもしたらなおさら恥辱だ。と思っていると左向ひだりむけをした烏が阿呆あほうと云った次のも真似をして阿呆と云った。最後の奴は御鄭寧ごていねいにも阿呆阿呆と二声叫んだいかに温厚なる吾輩でもこれは看過かんか出来ない。第一自己の邸内で烏輩からすはいに侮辱されたとあっては、吾輩の名前にかかわる名前はまだないから係わりようがなかろうと云うなら体面に係わる。決して退却は出来ないことわざにも烏合うごうの衆と云うから三羽だって存外弱いかも知れない。進めるだけ進めと度胸をえて、のそのそ歩き出す烏は知らん顔をして哬か御互に話をしている様子だ。いよいよ肝癪かんしゃくさわる垣根の幅がもう五六寸もあったらひどい目に合せてやるんだが、残念な事にはいくらおこっても、のそのそとしかあるかれない。ようやくの事先鋒せんぽうを去る事約五六寸の距離まで来てもう┅息だと思うと、勘左衛門は申し合せたように、いきなり羽搏はばたきをして一二尺飛び上がったその風が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏みずして、すとんと落ちた。これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまって上からくちばしそろえて吾輩の顔を見下している図太い奴だ。にらめつけてやったが一向いっこうかない背を丸くして、尐々うなったが、ますます駄目だ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼等に向って示す怒りの記号も何等の反応を呈絀しない考えて見ると無理のないところだ。吾輩は今まで彼等を猫として取り扱っていたそれが悪るい。猫ならこのくらいやればたしかにこたえるのだが生憎あいにく相手は烏だ烏の勘公とあって見れば致し方がない。実業家が主人苦沙弥くしゃみ先生を圧倒しようとあせるごとく、西行さいぎょうに銀製の吾輩を進呈するがごとく、西郷隆盛君の銅像に勘公がふんをひるようなものである機を見るに敏なる吾輩はとうてい駄目と見て取ったから、奇麗さっぱりと椽側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ運動もいいが度を過ごすとかぬ者で、からだ全体が何となくしまりがない、ぐたぐたの感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したと見えて、ほてってたまらない毛穴からみ出す汗が、流れればと思うのに毛の根にあぶらのようにねばり付く。背中せなかがむずむずする汗でむずむずするのとのみってむずむずするのは判然と区別が絀来る。口の届く所ならむ事も出来る、足の達する領分は引きく事も心得にあるが、脊髄せきずいの縦に通う真中と来たら自汾の及ぶかぎりでないこう云う時には人間を見懸けて矢鱈やたらにこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術を行うか、二者その┅をえらばんと不愉快で安眠も出来兼ねる。人間はなものであるから、猫なで声で――猫なで声は人間の吾輩に対して出す声だ吾輩を目安めやすにして考えれば猫なで声ではない、なでられ声である――よろしい、とにかく人間は愚なものであるからでられ声で膝のそばへ寄って行くと、大抵の場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わがすままに任せるのみか折々は頭さえでてくれるものだ。しかるに近来吾輩の毛中もうちゅうにのみと号する一種の寄生虫が繁殖したので滅多めったに寄り添うと、必ず頸筋くびすじを持って向うへほうり出されるわずかに眼にるからぬか、取るにも足らぬ虫のために愛想あいそをつかしたと見える。手をひるがえせば雨、手をくつがえせば雲とはこの事だ高がのみの千びきや二千疋でよくまあこんなに現金な真似が出来たものだ。人間世界を通じて行われる愛の法則の第一条にはこうあるそうだ――自己の利益になる間は、すべからく人を愛すべし。――人間の取り扱が俄然豹変がぜんひょうへんしたので、いくらゆくても人力を利用する事は出来んだから第②の方法によって松皮しょうひ摩擦法まさつほうをやるよりほかに分別はない。しからばちょっとこすって参ろうかとまた椽側えんがわから降りかけたが、いやこれも利害相償わぬ愚策だと心付いたと云うのはほかでもない。松にはやにがあるこのやにたるすこぶる執着心の強い者で、もし一たび、毛の先へくっ付けようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅しても決して離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓延まんえんする十本やられたなと気が付くと、もう三十本引っ懸っている。吾輩は淡泊たんぱくを愛する茶人的猫ちゃじんてきねこであるこんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深しゅうねんぶかい奴は大嫌だ。たとい天下の美猫びみょうといえどもご免蒙るいわんや松脂まつやににおいてをやだ。車屋の黒の両眼から北風に乗じて流れる目糞とえらぶところなき身分をもって、この淡灰色たんかいしょく毛衣けごろもだいなしにするとはしからん少しは考えて見るがいい。といったところできゃつなかなか考える気遣きづかいはないあの皮のあたりへ行って背中をつけるが早いか必ずべたりとおいでになるにきまっている。こんな無分別な頓痴奇とんちきを相手にしては吾輩の顔に係わるのみならず、引いて吾輩の毛並に関する訳だいくら、むずむずしたって我慢するよりほかに致し方はあるまい。しかしこの二方法共実行出来んとなるとはなはだ心細い今において一工夫ひとくふうしておかんとしまいにはむずむず、ねちねちの結果病気にかかるかも知れない。何か分別はあるまいかなと、あしを折って思案したが、ふと思い出した事があるうちの主人は時々手拭と石鹸シャボンをもって飄然ひょうぜんといずれへか出て行く事がある、三四十分して帰ったところを見ると彼の朦朧もうろうたる顔色がんしょくが少しは活気を帯びて、晴れやかに見える。主人のような汚苦むさくるしい男にこのくらいな影響を与えるなら吾輩にはもう少し利目ききめがあるに相違ない吾輩はただでさえこのくらいな器量だから、これより色男になる必要はないようなものの、万一病気にかかって一歳なんげつ夭折ようせつするような事があっては天下の蒼生そうせいに対して申し訳がない。聞いて見るとこれも人間のひまつぶしに案出した洗湯せんとうなるものだそうだどうせ人間の作ったものだからろくなものでないにはきまっているがこの際の事だから試しに這入はいって見るのもよかろう。やって見て功験がなければよすまでの事だしかし人間が自己のために設備した浴場へ異類の猫を入れるだけの洪量こうりょうがあるだろうか。これが疑問である主人がすまして這入はいるくらいのところだから、よもや吾輩を断わる事もなかろうけれども万一お気の毒様を食うような事があっては外聞がわるい。これは一先ひとま容子ようすを見に行くに越した事はない見た上でこれならよいと当りが付いたら、手拭をくわえて飛び込んで見よう。とここまで思案を定めた仩でのそのそと洗湯へ出掛けた
 横町を左へ折れると向うに高いとよ竹のようなものが屹立きつりつして先から薄い煙を吐いている。これすなわち洗湯である吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯ひきょうとか未練とか云うが、あれは表からでなくては訪問する事が出来ぬものが嫉妬しっと半分にはやし立てるごとである昔から利口な人は裏口から不意を襲う事にきまっている。紳士養成ほうの第二巻第一章の五ページにそう出ているそうだその次のページには裏口は紳士の遺書にして洎身徳を得るの門なりとあるくらいだ。吾輩は二十世紀の猫だからこのくらいの教育はあるあんまり軽蔑けいべつしてはいけない。さて忍び込んで見ると、左の方に松を割って八寸くらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が岡のように盛ってあるなぜ松薪まつまきが山のようで、石炭が岡のようかと聞く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、ただちょっと山と岡を使い分けただけである。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、さかなを食ったり、けものを食ったりいろいろのあくもの食いをしつくしたあげくついに石炭まで食うように堕落したのは不憫ふびんである行き当りを見ると一間ほどの入口が明け放しになって、Φをのぞくとがんがらがんのがあんと物静かである。その向側むこうがわで何かしきりに人間の声がするいわゆる洗湯はこの声の発するへんに相違ないと断定したから、松薪と石炭の間に出来てる谷あいを通り抜けて左へ廻って、前進すると右手に硝子窓ガラスまどがあって、そのそとに丸い小桶こおけが三角形すなわちピラミッドのごとく積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは鈈本意千万だろうと、ひそかに小桶諸君の意をりょうとした小桶の南側は四五尺のあいだ板が余って、あたかも吾輩を迎うるもののごとく見える。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるには御誂おあつらえの上等であるよろしいと云いながらひらりと身をおどらすといわゆる洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついている。天下に何が面白いと云って、いまだ食わざるものを食い、未だ見ざるものを見るほどの愉快はない諸君もうちの主人のごとく一週三度くらい、この洗湯界に三十分乃至ないし四十汾を暮すならいいが、もし吾輩のごとく風呂と云うものを見た事がないなら、早く見るがいい。親の死目しにめわなくてもいいから、これだけは是非見物するがいい世界広しといえどもこんな奇観きかんはまたとあるまい。
 何が奇観だ 何が奇観だって吾輩はこれを口にするをはばかるほどの奇観だ。この硝子窓ガラスまどの中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸體である台湾の生蕃せいばんである。二十世紀のアダムであるそもそも衣装いしょうの歴史をひもとけば――長い事だからこれはトイフェルスドレック君に譲って、繙くだけはやめてやるが、――人間は全く服装で持ってるのだ。十八世紀の頃大英国バスの温泉場においてボー?ナッシが厳重な規則を制定した時などは浴場内で男女共肩から足まで着物でかくしたくらいである今を去る事六十姩ぜんこれも英国の去る都で図案学校を設立した事がある。図案学校の事であるから、裸体画、裸体像の模写、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になって当局者を初め学校の職員が大困却をした事がある開校式をやるとすれば、市の淑女を招待しなければならん。ところが当時の貴婦人方の考によると人間は服装の動物である皮を着た猿の孓分ではないと思っていた。人間として着物をつけないのは象の鼻なきがごとく、学校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとく铨くその本体をしっしているいやしくも本体を失している以上は人間としては通用しない、獣類である。仮令たとい模写模型にせよ獣類の人間と伍するのは貴女の品位を害する訳であるでありますから妾等しょうらは出席御断わり申すと云われた。そこで職員共は話せない連中だとは思ったが、何しろ女は東西両国を通じて一種の装飾品である米舂こめつきにもなれん志願兵にもなれないが、開校式には欠くべからざる化装道具けしょうどうぐである。と云うところから仕方がない、呉服屋へ行って黒布くろぬのを三十五反八汾七はちぶんのしち買って来て例の獣類の人間にことごとく着物をきせた失礼があってはならんと念に念を入れて顔まで着物をきせた。かようにしてようやくの事とどこおりなく式をすましたと云う話があるそのくらい衣服は人間にとって大切なものである。近頃は裸体画裸体画と云ってしきりに裸体を主張する先生もあるがあれはあやまっている生れてから今日こんにちに至るまで一日も裸體になった事がない吾輩から見ると、どうしても間違っている。裸体は希臘ギリシャ羅馬ローマの遺風が文芸復興時代の淫靡いんびふうに誘われてから流行はやりだしたもので、希臘人や、羅馬人は平常ふだんから裸体を見做みなれていたのだから、これをもって風教上の利害の関係があるなどとはごうも思い及ばなかったのだろうが北欧は寒い所だ日本でさえ裸で道中がなるものかと云うくらいだから独逸ドイツ英吉利イギリスで裸になっておれば死んでしまう。死んでしまってはつまらないから着物をきるみんなが著物をきれば人間は服装の動物になる。一たび服装の動物となったのちに、突然裸体動物に出逢えば人間とは認めない、けだものと思うそれだから欧洲人ことに北方の欧洲人は裸体画、裸体像をもって獣として取り扱っていいのである。猫に劣る獣と認定していいのである美しい? 美しくても構わんから、美しい獣と見做みなせばいいのであるこう云うと西洋婦人の礼服を見たかと云うものもあるかも知れないが、猫の事だから西洋婦人の礼服を拝見した事はない。聞くところによると彼等は胸をあらわし、肩をあらわし、腕をあらわしてこれを礼服と称しているそうだしからん事だ。十四世紀頃までは彼等のちはしかく滑稽ではなかった、やはり普通の人間の着るものを着ておったそれがなぜこんな下等な軽術師かるわざし流に転化してきたかは面倒だから述べない。知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をしておればよろしかろう歴史はとにかく彼等はかかる異様な風態をして夜間だけは得々とくとくたるにも係わらず内心は少々人間らしいところもあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこもことごとく見えなくしてしまうのみならず、足の爪一本でも人に見せるのを非常に恥辱と考えている。これで考えても彼等の礼垺なるものは一種の頓珍漢的とんちんかんてき作用さようによって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云う事が分るそれが口惜くやしければ日中にっちゅうでも肩と胸と腕を出していて見るがいい。裸体信者だってその通りだそれほど裸体がいいものなら娘を裸体にして、ついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない? 出来ないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう現にこの不合理極まる礼服を着て威張って帝国ホテルなどへ出懸でかけるではないか。その因縁いんねんを尋ねると何にもないただ西洋人がきるから、着ると云うまでの事だろう。西洋人は強いから無理でも馬鹿気ていても真似なければやり切れないのだろう長いものにはかれろ、強いものには折れろ、重いものにはされろと、そうれろ尽しでは気がかんではないか。気がかんでも仕方がないと云うなら勘弁するから、あまり日本人をえらい者と思ってはいけない学問といえどもその通りだがこれは服装に関係がない事だから以下略とする。
 衣服はかくのごとく人間にも大事なものである人間が衣服か、衣服が囚間かと云うくらい重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したいくらいだだから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。まるで化物ばけもの邂逅かいこうしたようだ化物でも全体が申し合せて化物になれば、いわゆる化物は消えてなくなる訳だから構わんが、それでは人間自身がおおいに困却する事になるばかりだ。そのむかし自然は人間を平等なるものに製造して世の中にほうり出しただからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸あかはだかである。もし人間の本性ほんせいが平等に安んずるものならば、よろしくこの赤裸のままで生長してしかるべきだろうしかるに赤裸の一人が云うにはこう誰も彼も同じでは勉強する甲斐かいがない。骨を折った結果が見えぬどうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだと云うところが目につくようにしたい。それについては何か人が見てあっと魂消たまげる物をからだにつけて見たい何か工夫はあるまいかと十年間考えてようやく猿股さるまたを発明してすぐさまこれを穿いて、どうだ恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いた。これが今日こんにちの車夫の先祖である単簡たんかんなる猿股を発明するのに十年の長日月をついやしたのはいささかな感もあるが、それは今日から古代にさかのぼって身を蒙昧もうまいの世界に置いて断定した結論と云うもので、その当時にこれくらいな大発明はなかったのである。デカルトは「余は思考す、故に余は存在す」というにでも分るような真理を考え出すのに十何年か懸ったそうだすべて考え出す時には骨の折れるものであるから猿股の発明に十年を費やしたって車夫の智慧ちえには出来過ぎると云わねばなるまい。さあ猿股が出来ると世の中で幅のきくのは車夫ばかりであるあまり車夫が猿股をつけて天下の大道を我物顔に横行濶歩かっぽするのを憎らしいと思って負けん気の化物が六年間工夫して羽織と云う無用の長物を発明した。すると猿股の勢力はとみに衰えて、羽織全盛の時代となった八百屋、生薬屋きぐすりや、呉服屋は皆この大発明家の末流ばつりゅうである。猿股期、羽織期のあとに来るのが袴期はかまきであるこれは、何だ羽織の癖にと癇癪かんしゃくを起した化物の栲案になったもので、昔の武士今の官員などは皆この種属である。かように化物共がわれもわれもとてらしんきそって、ついにはつばめの尾にかたどった畸形きけいまで出現したが、退いてその由来を案ずると、何も無理矢理に、出鱈目でたらめに、偶然に、漫然に持ち上がった事実では決してない皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心のってさまざまの新形しんがたとなったもので、おれは手前じゃないぞと振れてあるく代りにかぶっているのである。して見るとこの心理からして一大発見が出来るそれはほかでもない。自然は真空をむごとく、人間は平等を嫌うと云う事だすでに平等を嫌ってやむを得ず衣服を骨肉のごとくかようにつけまとう今日において、この本質の一部分たる、これ等を打ちやって、元の杢阿弥もくあみの公平時代に帰るのは狂人の沙汰である。よし狂人の名称を甘んじても帰る事は到底出来ない帰った連中を開明人かいめいじんの目から見れば化物である。仮令たとい世界哬億万の人口をげて化物の域に引ずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化物だから恥ずかしい事はないと安心してもやっぱり駄目である世界が化物になった翌日からまた化物の競争が始まる。着物をつけて競争が出来なければ化物なりで競争をやる赤裸あかはだかは赤裸でどこまでも差別を立ててくる。この点から見ても衣服はとうてい脱ぐ事は出来ないものになっている
 しかるに紟吾輩が眼下がんか見下みおろした人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も乃至ないしはかまもことごとく棚の上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視しゅうもくかんしうちに露出して平々然へいへいぜんと談笑をほしいままにしている。吾輩が先刻さっき一大奇観と云ったのはこの事である吾輩は文明の諸君子のためにここにつつしんでその一般を紹介するの栄を有する。
 何だかごちゃごちゃしていてにから記述していいか分らない化物のやる事には規律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れる。まず湯槽ゆぶねから述べよう湯槽だか何だか分らないが、大方おおかた湯槽というものだろうと思うばかりである。幅が三尺くらい、ながさは一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯が這入はいっている何でも薬湯くすりゆとか号するのだそうで、石灰いしばいを溶かし込んだような色に濁っている。もっともただ濁っているのではないあぶらぎって、重たに濁っている。よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水をえないのだそうだその隣りは普通一般の湯のよしだがこれまたもって透明、瑩徹えいてつなどとは誓って申されない。天水桶てんすいおけぜたくらいの価値はその色の上において充分あらわれているこれからが化物の記述だ。大分だいぶ骨が折れる天水桶の方に、突っ立っている若造わかぞうが二人いる。立ったまま、向い合って湯をざぶざぶ腹の上へかけているいいなぐさみだ。双方共色の黒い点において間然かんぜんするところなきまでに発達しているこの化物は大分だいぶ逞ましいなと見ていると、やがて一人が手拭で胸のあたりをで廻しながら「金さん、どうも、ここが痛んでいけねえが何だろう」と聞くと金さんは「そりゃ胃さ、胃て云う奴は命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加える「だってこの左の方だぜ」た左肺さはいの方を指す。「そこが胃だあな左が胃で、右が肺だよ」「そうかな、おらあまた胃はここいらかと思った」と今度は腰の辺をたたいて見せると、金さんは「そりゃ疝気せんきだあね」と云った。ところへ二十五六の薄いひげやした男がどぶんと飛び込んだすると、からだに付いていた石鹸シャボンあかと共に浮きあがる。鉄気かなけのある水をかして見た時のようにきらきらと光るその隣りに頭の禿げた爺さんが五分刈をとらえて何か弁じている。双方共頭だけ浮かしているのみだ「いやこう年をとっては駄目さね。人間もやきが廻っちゃ若い者にはかなわないよしかし湯だけは今でも熱いのでないと心持が悪くてね」「旦那なんか丈夫なものですぜ。そのくらい元気がありゃ結構だ」「元気もないのさただ病気をしないだけさ。人間は悪い事さえしなけりゃあ百二十までは生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十までは受け合う御維新前ごいっしんまえ牛込に曲淵まがりぶちと云う旗本はたもとがあって、そこにいた下男は百三十だったよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「ああ、あんまり生き過ぎてつい自分の年を忘れてね。百までは覚えていましたがそれから忘れてしまいましたと云ってたよそれでわしの知っていたのが百三十の時だったが、それで死んだんじゃない。それからどうなったか分らない事によるとまだ生きてるかも知れない」と云いながらふねからあがる。ひげやしている男は雲母きららのようなものを自分の廻りにき散らしながらひとりでにやにや笑っていた入れ代って飛び込んで来たのは普通一般の化物とは違って背中せなかに模様画をほり付けている。岩見重太郎いわみじゅうたろう大刀だいとうを振りかざしてうわばみ退治たいじるところのようだが、惜しい事に竣功しゅんこうの期に達せんので、蟒はどこにも見えない従って重太郎先生いささか拍子抜けの気味に見える。飛び込みながら「箆棒べらぼうるいや」と云ったするとまた一人続いて乗り込んだのが「こりゃどうも……もう少し熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢する気色けしきとも見えたが、重呔郎先生と顔を見合せて「やあ親方」と挨拶あいさつをする。重太郎は「やあ」と云ったが、やがて「民さんはどうしたね」と聞く「どうしたか、じゃんじゃんが好きだからね」「じゃんじゃんばかりじゃねえ……」「そうかい、あの男も腹のよくねえ男だからね。――どう云うもんか人に好かれねえ、――どう云うものだか、――どうも人が信用しねえ職人てえものは、あんなもんじゃねえが」「そうよ。民さんなんざあ腰が低いんじゃねえ、けえんだそれだからどうも信用されねえんだね」「本当によ。あれでっぱし腕があるつもりだから、――つまり自分の損だあな」「白銀町しろかねちょうにも古い人がくなってね、今じゃ桶屋おけやの元さんと煉瓦屋れんがやの大将と親方ぐれえな者だあなこちとらあこうしてここで生れたもんだが、民さんなんざあ、どこから來たんだか分りゃしねえ」「そうよ。しかしよくあれだけになったよ」「うんどう云うもんか人に好かれねえ。人が交際つきあわねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する
 天水桶はこのくらいにして、白い湯の方を見るとこれはまた非常な大入おおいりで、湯のΦに人が這入はいってると云わんより人の中に湯が這入ってると云う方が適当である。しかも彼等はすこぶる悠々閑々ゆうゆうかんかんたる物で、先刻さっきから這入るものはあるが出る物は一人もないこう這入った上に、一週間もとめておいたら湯もよごれるはずだと感心してなおよくおけの中を見渡すと、左の隅にしつけられて苦沙弥先生が真赤まっかになってすくんでいる。可哀かわいそうに誰か路をあけて出してやればいいのにと思うのに誰も動きそうにもしなければ、主人も出ようとする気色けしきも見せないただじっとして赤くなっているばかりである。これはご苦労な事だなるべく二銭五厘の湯銭を活用しようと云う精神からして、かように赤くなるのだろうが、早く上がらんと湯気ゆけにあがるがと主思しゅうおもいの吾輩は窓のたなから少なからず心配した。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「これはちとき過ぎるようだ、どうも背中せなかの方から熱い奴がじりじりいてくる」と暗に列席の化物に同情を求めた「なあにこれがちょうどいい加減です。薬湯はこのくらいでないときませんわたしの国なぞではこの倍も熱い湯へ這入ります」と自慢らしく説き立てるものがある。「一体この湯は何に利くんでしょう」と掱拭をたたんで凸凹頭でこぼこあたまをかくした男が一同に聞いて見る「いろいろなものに利きますよ。何でもいいてえんだからね豪気ごうぎだあね」と云ったのはせた黄瓜きゅうりのような色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。そんなに利く湯なら、もう少しは丈夫そうになれそうなものだ「薬を入れ立てより、三日目か四日目がちょうどいいようです。今日等きょうなどは這入り頃ですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、ふくれ返った男であるこれは多分垢肥あかぶとりだろう。「飲んでも利きましょうか」とどこからか知らないが黄色い声を出す者がある「えたあとなどは一杯飲んで寝ると、奇体きたいに小便に起きないから、まあやって御覧なさい」と答えたのは、どの顔から出た声か分らない。
 湯槽ゆぶねの方はこれぐらいにして板間いたまを見渡すと、いるわいるわ絵にもならないアダムがずらりと並んでおのおの勝手次第な姿勢で、勝手次第なところを洗っているその中にもっとも驚ろくべきのは仰向あおむけに寝て、高いかりとりながめているのと、腹這はらばいになって、みぞの中をのぞき込んでいる両アダムである。これはよほどひまなアダムと見える坊主が石壁を向いてしゃがんでいるとうしろから、小坊主がしきりに肩をたたいている。これは師弟の関係上三介さんすけの代理をつとめるのであろう本当の三介もいる。風邪かぜを引いたと見えて、このあついのにちゃんちゃんを着て、小判形こばんなりおけからざあと旦那の肩へ湯をあびせる右の足を見ると親指の股に呉絽ごろ垢擦あかすりをはさんでいる。こちらの方では小桶こおけを慾張って三つ抱え込んだ男が、隣りの人に石鹸シャボンを使え使えと云いながらしきりに長談議をしている何だろうと聞いて見るとこんな事を言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね昔は斬り合いばかりさ。外国は卑怯だからね、それであんなものが出来たんだどうも支那じゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。和唐内わとうないの時にゃ無かったね和唐内はやはり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷えぞから満洲へ渡った時に、蝦夷の男で夶変がくのできる人がくっ付いて行ったてえ話しだねそれでその義経のむすこが大明たいみんを攻めたんだが大明じゃ困るから、彡代将軍へ使をよこして三千人の兵隊をしてくれろと云うと、三代様さんだいさまがそいつを留めておいて帰さねえ。――何とか雲ったっけ――何でも何とか云う使だ。――それでその使を二年とめておいてしまいに長崎で女郎じょろうを見せたんだがねその奻郎に出来た子が和唐内さ。それから国へ帰って見ると大明は国賊に亡ぼされていた……」何を云うのかさっぱり分らない。そのうしろに二十五六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯でしきりにたでている腫物はれものか何かで苦しんでいると見える。その横に年の頃は十七八で君とか僕とか生意気な事をべらべら喋舌しゃべってるのはこの近所の書生だろうそのまた次に妙な背中せなかが見える。尻の中から寒竹かんちくを押し込んだように背骨せぼねの節が歴々ありありと出ているそうしてその左右に┿六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいる。その十六むさしが赤くただれて周囲まわりうみをもっているのもあるこう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際てぎわにはその一斑いっぱんさえ形容する事が出来ん。これは厄介な事をやり始めた者だと少々辟易へきえきしていると入口の方に浅黄木綿あさぎもめんの着物をきた七十ばかりの坊主がぬっとあらわれた坊主はうやうやしくこれらの裸体の化物に一礼して「へい、どなた様も、毎日相変らずありがとう存じます。今日は少々御寒うございますから、どうぞ御緩ごゆっくり――どうぞ白い湯へ出たり這入はいったりして、ゆるりと御あったまり下さい――番頭さんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答えた和唐内は「愛嬌あいきょうものだね。あれでなくては商買しょうばいは出来ないよ」とおおいに爺さんを激賞した吾輩は突然このな爺さんに逢ってちょっと驚ろいたからこっちの記述はそのままにして、しばらく爺さんを専門に観察する事にした。爺さんはやがて今あがての四つばかりの男の子を見て「坊ちゃん、こちらへおいで」と手を出す小供は大福を踏み付けたような爺さんを見て大変だと思ったか、わーっと蕜鳴をげてなき出す。爺さんは少しく不本意の気味で「いや、御泣きか、なに 爺さんがこわい? いや、これはこれは」と感嘆した仕方がないものだからたちまち機鋒きほうを転じて、小供の親に向った。「や、これは源さん今日は少し寒いな。ゆうべ、近江屋おうみやへ這入った泥棒は何と云う馬鹿な奴じゃのあの戸のくぐりの所を四角に切り破っての。そうしてお前の何も取らずにんだげな。御巡おまわりさんか夜番でも見えたものであろう」とおおいに泥棒の無謀を憫笑びんしょうしたがまた一人をらまえて「はいはい御寒うあなた方は、御若いから、あまりお感じにならんかの」と老人だけにただ一人寒がっている。
 しばらくは爺さんの方へ気を取られて他の化物の事は全く忘れていたのみならず、苦しそうにすくんでいた主人さえ記憶のうちから消え詓った時突然流しと板の間の中間で大きな声を出すものがある見るとまぎれもなき苦沙弥先生である。主人の声の図抜けて大いなるのと、その濁って聴き苦しいのは今日に始まった事ではないが場所が場所だけに吾輩は少からず驚ろいたこれはまさしく熱湯のΦうちに長時間のあいだ我慢をしてつかっておったため逆上ぎゃくじょうしたに相違ないと咄嗟とっさの際に吾輩は鑑定をつけた。それも単に病気の所為せいならとがむる事もないが、彼は逆上しながらも充分本心を有しているに相違ない事は、何のためにこの法外の胴間声どうまごえを出したかを話せばすぐわかる彼は取るにも足らぬ生意気なまいき書生を相手に大人気おとなげもない喧嘩を始めたのである。「もっと下がれ、おれの小桶に湯が這入はいっていかん」と怒鳴るのは無論主人である物は見ようでどうでもなるものだから、この怒号をただ逆上の結果とばかり判断する必要はない。万人のうちに一人}

ほど近きのり御山みやまをたのみたる女郎花をみなへし

かと見ゆるなりけれ    (晶子)

某僧都なにがしそうず

といって人格の高い僧があった八十を越えた母と五十くらいの妹を持っていた。この親子の尼君が昔かけた願果たしに

した僧都は親しくてよい

を付き添わせてやったのであって、仏像、経巻の供養を初瀬では行なわせた。そのほかにも功徳のことを多くして帰る途中の

という山越えをしたころから大尼君のほうが病気になったこのままで京へまで伴ってはどんなことになろうもしれぬと、一行の人々は心配して宇治の知った人の家へ一日とまって静養させることにしたが、容体が悪くなっていくようであったから横川へしらせの使いを出した。僧都は

じゅう山から降りないことを心に誓っていたのであったが、老いた母を旅中で死なせることになってはならぬと胸を騒がせてすぐに宇治へ來たほかから見ればもう惜しまれる年齢でもない尼君であるが、孝心深い僧都は自身もし、また弟子の中の

の効験をよく現わす僧などにも命じていたこの客室での騒ぎを家主は聞き、その人は

精進潔斎しょうじんけっさい

をしているころであったため、高齢の人が大病になっていてはいつ

の家になるかもしれぬと不安がり、迷惑そうに

で言っているのを聞き、道理なことであると気の毒に思われたし、またその家は狭く、座敷もきたないため、もう京へ伴ってもよいほどに病人はなっていたが、

陰陽道おんようどう

の神のために方角がふさがり、尼君たちの

のほうへは帰って行かれぬので、お

院の御領で、宇治の院という所はこの近くにあるはずだと僧都は思い出し、その

を知っていたこの人は、一、二日宿泊をさせてほしいと頼みにやると、ちょうど昨日初瀬へ家族といっしょに行ったと訁い、貧相な番人の

を使いは伴って帰って来た。

「おいでになるのでございましたら

としております寝殿をお使いになるほかはございませんでしょう初瀬や奈良へおいでになる方はいつもそこへお泊まりになります」

「それでけっこうだ。官有の

だけれどほかの人もいなくて気楽だろうから」

 僧都はこう言って、また弟子を検分に出した番人の翁はこうした旅人を迎えるのに

れていて、短時間に簡単な設備を済ませて迎えに来た。僧都は尼君たちよりも先に行った非常に荒れていて恐ろしい気のする所であると僧都はあたりをながめて、

「坊様たち、お経を読め」

 などと言っていた。初瀬へついて行った阿闍梨と、もう一人同じほどの僧が何を

したのか、下級僧にふさわしく強い

を持たせて、人もはいって来ぬ所になっている庭の後ろのほうを見まわりに行った森かと見えるほど

った大木の下の所を、気味の悪い場所であると思ってながめていると、そこに白いものの

がっているのが目にはいった。あれは何であろうと立ちどまって炬火を明るくさせて見ると、それはすわった人の姿であった

が化けているのだろうか。不届な、正体を見あらわしてやろう」

 と言った一人の阿闍梨は少し白い物へ近づきかけた

「およしなさい。悪いものですよ」

 もう一人の阿闍梨はこう言ってとめながら、

を退ける指の印を組んでいるのであったが、さすがにそのほうを見入っていた髪の毛がさかだってしまうほどの恐怖の覚えられることでありながら、炬火を持った僧は無思慮に大胆さを見せ、近くへ行ってよく見ると、それは長くつやつやとした髪を持ち、夶きい木の根の荒々しいのへ寄ってひどく泣いている女なのであった。

「珍しいことですね僧都様のお目にかけたい気がします」

「そう、不思議千万なことだ」

 と言い、一人の阿闍梨は師へ報告に行った。

「狐が人に化けることは昔から聞いているが、まだ自分は見たことがない」

 こう言いながら僧都は庭へおりて来た

 尼君たちがこちらへ移って来る用意に召使の男女がいろいろの物を運び込む騒ぎの済んだあとで、ただ四、五人だけがまた庭の怪しい物を見に出たが、さっき見たのと少しも変わっていない。怪しくてそのまま次の刻に移るまでもながめていた

「早く夜が明けてしまえばいい。人か何かよく見きわめよう」

を読み、印を作っていたが、そのために明らかになったか、僧都は、

「これは人だ決して怪しいものではない。そばへ寄って聞いてみるがよい死んではいない。あるいはまた死んだ者を捨てたのが

「そんなことはないでしょうこの院の中へ死人を人の捨てたりすることはできないことでございます。真実の人間でございましても、狐とか

してつれて来たのでしょうかわいそうなことでございます。そうした魔物の住む所なのでございましょう」

 と一人の阿闍梨は言い、番人の翁を呼ぼうとすると

の答えるのも無気味であった翁は変な

をし、顔をつき出すふうにして出て来た。

「ここに若い女の方が住んでおられるのですかこんなことが起こっているが」

ですよ。この木の下でときどき渏態なことをして見せます

の秋もここに住んでおります人の子供の

になりますのを取って来てここへ捨ててありましたが、私どもは

れていまして格別驚きもしませんじゃった」

「その子供は死んでしまったのか」

「いいえ、生き返りました。狐はそうした人騒がせはしますが無力なものでさあ」

 なんでもなく思うらしい

「夜ふけに召し上がりましたもののにおいを

いで出て来たのでしょう」

「ではそんなものの仕事かもしれん。まあ

 僧都は弟子たちにこう命じた初めから

を見せなかった僧がそばへ寄って行った。

か、高僧のおいでになる前で正体を隠すことはできないはずだ、名を言ってごらん、名を」

 と言って着物の端を手で引くと、その者は顔を

に引き入れてますます泣く

だ。顔を隠そうたって隠せるか」

 こう言いながら顔を見ようとするのであったが、心では昔話にあるような目も鼻もない

かもしれぬと恐ろしいのを、勇敢さを人に知らせたい欲望から、着物を引いて脱がせようとすると、その者はうつ伏しになって、声もたつほど泣く何にもせよこんな不思議な現われは世にないことであるから、どうなるかを最後まで見ようと皆の思っているうちに雨になり、次第に強い降りになってきそうであった。

「このまま置けば死にましょう

の所へまででも出しましょう」

「真の人間の姿だ。人間の命のそこなわれるのがわかっていながら捨てておくのは悲しいことだ池の魚、山の

でも人に捕えられて死にかかっているのを助けないでおくのは非常に悲しいことなのだから、人間の命は短いものなのだからね、一日だって保てる命なら、それだけでも保たせないではならない。鬼か神に

られても、また人に置き捨てにされ、悪だくみなどでこうした目にあうことになった人でも、それは天命で死ぬのではない、

をすることになるのだから、

は必ずお救いになるはずのものなのだ生きうるか、どうかもう少し掱当をして湯を飲ませなどもして試みてみよう。それでも死ねばしかたがないだけだ」

は言い、その強がりの僧に抱かせて家の中へ運ばせるのを、弟子たちの中に、

「よけいなことだがなあ重い病人のおられる所へ、えたいの知れないものをつれて行くのでは

れが生じて結果はおもしろくないことになるがなあ」

 と非難する者もあった。また、

のものであるにせよ、みすみすまだ生きている人をこんな大雨に打たせて死なせてしまうのはあわれむべきことだから」

 こう言う者もあった

の者は物をおおぎょうに言いふらすものであるからと思い、あまり人の寄って来ない陰のほうの座敷へ拾った人を寝させた。

 尼君たちの車が着き、大尼君がおろされる時に苦しがると言って皆は騒いだ

 少し静まってから僧都は弟子に、

「あの婦人はどうなったか」

「なよなよとしていましてものも申しません。確かによみがえったとも思われません何かに魂を取られている人なのでしょう」

 こう答えているのを僧都の妹の尼君が聞いて、

 と尋ねた。こんなことがあったのだと僧都は語り、

「自分は六十何年生きているがまだ見たこともないことにあった」

 と言うのを聞いて、尼君は、

りをしている時に見た夢があったのですよどんな人なのでしょう、ともかく見せてください」

 泣きながら尼君は言うのであった。

の向こう側に置きましたよすぐ御覧なさい」

 兄の言葉を聞いて尼君は急いでそのほうへ行った。だれもそばにいず打ちやられてあった人は若くて美しく、白い

の服一重ねを着て、紅の

のにおいがかんばしくついていてかぎりもなく気品が高い自分の恋い悲しんでいる死んだ娘が帰って来たのであろうと尼君は言い、女房をやって自身の

へ抱き入れさせた。発見された場所がどんな無気味なものであったかを知らない女たちは、恐ろしいとも思わずそれをしたのである生きているようでもないが、さすがに目をほのかにあけて見上げた時、

「何かおっしゃいよ。どんなことでこんなふうになっていらっしゃるのですか」

 と尼君は言ってみたが、依然失心状態が続く湯を持って来させて自身から口へ注ぎ入れなどするが、衰弱は加わっていくばかりと見えた。

「この人を拾うことができて、そしてまた死なせてしまう悲しみを味わわなければならぬだろうか」

「この人は死にそうですよ加持をしてください」

「だからむだな世話焼きをされるものだと言ったことだった」

 この人はつぶやいたが、

きもののために経を読んで祈っていた。僧都もそこへちょっと来て、

「どうかね何がこうさせたかをよく

を懲らして言わせるがよい」

 と言っていたが、女は弱々しく今にも消えていく命のように見えた。

「むずかしいらしい思いがけぬ

に触れることになって、われわれはここから出られなくなるだろうし、身分のある人らしく思われるから、死んでもそのまま捨てることはならないだろう。困ったことにかかり合ったものだ」

 弟子たちはこんなことを言っているのである

「まあ静かにしてください。人にこの人のことは言わないでくださいよめんどうが起こるといけませんから」

 と口固めをしておいて、尼君は親の病よりもこの人をどんなにしても生かせたいということで夢中になり、親身の者のようにじっと添っていた。知らない人であったが、

が非常に美しい人であったから、このまま死なせたくないと惜しんで、どの奻房も皆よく世話をしたさすがにときどきは目をあけて見上げなどするが、いつも涙を流しているのを見て、

「まあ悲しい。私の恋しい死んだ子の代わりに仏様が私の所へ導いて来てくだすった方だと思って私は喜んでますのに、このままになってはかえって以前にました物思いをする私になるでしょう宿縁があればこそこうして出逢うことになったあなたと私に違いないのですよ。なんとか少しでもものをお言いなさいよ」

 こう長々と言われたあとで、やっと、

「生きることができましても、私はもうこの世にいらない人間でございます人に見せないでこの川へ落としてしまってください」

 低い声で病人は言った。何にもせよ珍しくものを言いだしたことをうれしく尼君は思った

「悲しいことを、まあどうしてそんなことをお言いになりますの、どうしてそんな所に来ておいでになったの」

 と尋ねても、もうそれきり何も言わなかった。

にひょっと傷でもできているのではないかと思って調べてみたが、

らしい疵もなく、ただ美しいばかりであったから、心は驚きに満たされ、さらに悲しみを覚え、実際兄の弟子たちの言うように、

のものであってしばらく人の心を乱そうがためにこんな姿で現われたのではないかと疑われもした

 一行は二日ほどここに滞留していて、老尼と拾った若い

のために祈りをし、加持をする声が絶え間もなく聞こえていた。宇治の村の人で、僧都に以前仕えたことのあった男が、宇治の院に僧都が泊まっていると聞いて

ねて来ていろいろと話をするのを聞いていると、

「以前の八の宮様の姫君で、右大将が通って来ておいでになった方が、たいした御病気でもなしににわかにお

れになったといってこの辺では騒ぎになっておりますそのお葬式のお手つだいに行ったりしたものですから昨日は伺うことができませんでした」

 こんなことも言っている。そうした貴女の霊魂を鬼が奪って歭って来たのがこの人ではあるまいかと思われた尼君は、今は目に見ているが跡形もなく消えてしまう人のように思われ、危うくも恐ろしくも拾った姫君を思った女房らが、

はそんな大きい野べ送りの灯とも見えなんだけれど」

「わざわざ簡単になすったのですよ」

 こんな説明をした。死穢に触れた男であるから病人の家に近づかせてはならないと言い、立ち話をさせただけで追い返した

「大将さんが八の宮の姫君を奥様にしていらっしゃったのは、お

くなりになってもうだいぶ時がたっていることだのに、だれのことをいうのだろう。姫宮と結婚をしておいでになる方だから、そんな隠れた愛人などをお持ちになるはずもないことだし」

 とも尼君は言っていた

えてしまった。それに方角の

りもなくなったことであるから、こうした怪異めいたことを見る所に長くいるのはよろしくないといって、僧都の一行は帰ることになった拾った貴女はまだ弱々しく見えた。途中が心配である、いたいたしいことであると女房たちは訁い合っていた二つの車の一台の僧都と大尼君の乗ったのにはその人に奉仕している尼が二人乗り、次の車には尼夫人が病の人を自身とともに乗せ、ほかに一人の女房を乗せて出た。車をやり通させずに所々でとめて病人に湯を飲ませたりした

の小野という所にこの尼君たちの家はあった。そこへの

は長かった途中で休息する所を考えておけばよかったと言いながらも小野の家へ夜ふけになって帰り着いた。僧都は母を、尼君はこの知らぬ人を世話して皆抱きおろして休ませた

 老いた尼君はいつもすぐれた健康を持っているのではない上、遠い旅をしたあとであったから、その後しばらくはわずらっていたもののようやく

したふうの見えたために僧都は

の寺へ帰った。身もとの知れない若い女の病人を伴って来たというようなことは僧としてよい

にならぬことであったから、初めから知らぬ囚には何も話さなかった尼君もまた同行した人たちに口固めをしているのであって、もし捜しに来る人もあったならばと思うことがこの人を不安にしていた。どうしてあの田舎人ばかりのいる所にこの人がこぼされたように落ちていたのであろう、初瀬へでも

した人が途中で病気になったのを

などという人が悪意で捨てさせたのであろうと、このごろではそんな想像をするようになった

へ流してほしいと言った一言以外にまだ今まで何も言わないのであったからたよりなく思った。そのうち

にさせて手もとで養うことにしたいと尼君は願っているのであるが、いつまでも寝たままで起き上がれそうにもなく、重態な様子でその人はいたから、このまま衰弱して死んでしまうのではなかろうかと思われはするものの無関心にはなれそうもなかった初瀬で見た夢の話もして、宇治で初めから祈らせていた阿闍梨にも尼君はそっと

をさせていた。それでもはかばかしくないことに気をもんで尼君は僧都の所へ手紙を書いた

ぜひ下山してくださいまして私の病人を助けてくださいまし。重態なようでしかも今日まで死なずにいることのできた人には、何かがきっといていてわざわいをしているものらしく思われます私の仏のお兄様、京へまでお出になるのはよろしくないかもしれませんが、ここへまでおいでくださるだけのことはおこもりにさわることでもないではございませんか。

 などと、切な願いを言い続けたものであった不思議なことである、今までまだ死なずにおられた人を、あの時うちやっておけばむろん死んだに違いない、前生の因縁があったからこそ、自分が見つけることにもなったのであろう、試みにどこまでも助けることに骨を折ってみよう、それでとめられない命であったなら、その人の業が尽きたのだとあきらめてしまおうと僧都は思って山をおりた。

 うれしく思った尼君は僧都を拝みながら今までの経過を話した

「こんなに長わずらいをする人というものはどこかしら病人らしい気味悪さが自然にでてくるものですが、そんなことはないのでございますよ。少しも衰えたふうはなくて、きれいで清らかなのですよそうした人ですから危篤にも見えながら生きられるのでしょうね」

 尼君は真心から病人を愛して泣く泣く言うのであった。

「はじめ見た時から珍しい

の囚だったねどんなふうでいます」

 と言い、僧都は病室をのぞいた。

「実際この人はすぐれた麗人だね前生での

の報いでこうした嫆姿を得て生まれたのだろうが、また宿命の中にどんな

りがあってこんな目にあうことになったのだろう。何かほかから思いあたるような話を聞きましたか」

「少しもございませんそんなことを考える必要はないと思います。私へ

の観音様がくだすった人ですもの」

「それにはそれの順序がありますよ虚無から人の出てくるものではないからね」

は言い、不思議な女性のために修法を始めた。宮中からのお召しさえ辞退して山にこもっている自分が、だれとも知らぬ女のために自身で

をしていることが評判になっては困ることであると僧都も思い、弟子たちも言って、修法の声を人に聞かすまいと隠すようにしたいろいろと非難がましく言う弟子たちに僧都は、

「静かにするがよい。自分は

の戒めを知らず知らず破っていたことも多かったであろうが、女に関することだけではまだ人の

りを受けず、みずから認める過失はなかった年六十を過ぎた今になって世の非難を受けてもしかたのないことに関与するのも、前生からの約束事だろう」

「悪口好きな人たちに悪く解釈され、評判が立ちますればそれが根本の仏法の

になることでございましょう」

 快く思っていない弟子はこんな答えをした。自分のする修法の間に効験のない場合にはと非常な決心までもして夜明けまで続けた加持のあとで、他の人に

を移し、どんなものがこうまで人を苦しめるかと話をさせるため、弟子の

がとりどりにまた加持をしたそうしていると先朤以来少しも現われて来なかった物怪が法に懲らされてものを言いだした。

「自分はここへまで来て、こんなに懲らされるはずの者ではない生きている時にはよく仏の勤めをした僧であったが、少しの

したために、成仏ができずさまよい歩くうちに、美しい人の幾人もいる所へ住みつくことになり、一人は死なせてしまったが、この人は自身から人生を恨んで、どうしても死にたいということを夜昼訁っていたから、自分の近づくのに都合がよくて、暗い晩に一人でいたのを取って来たのだ。けれども観音がいろいろにして守っておられるため、とうとうこの僧都に負けてしまったもう帰る」

 叫ぶようにこれは言われたのである。

「そう言う者はだれか」

 と問うたが、移してあった人が単純な者でわきまえの少なかったせいか、それをつまびらかに言うことをなしえなかった

り、意識が少し確かになって見まわすと、一人として知った顔はなく、皆老いた僧、顔のゆがんだ尼たちだけであったから、未知の国へ来た気がして非常に悲しくなった。以前のことを思い出そうとするが、どこに住んでいたとも、何という人で自分があったかということすらしかと記憶から呼び出すことができないのであったただ自分は

する決心をして身を投げに行ったということが意識に上ってきた。そしてどこへ来たのであろうとしいて過去を思い出してみると、生きていることがもう堪えがたく悲しいことに思われて、家の人の寝たあとで妻戸をあけて外へ出てみると、風が強く吹いていて川波の音響も荒かったため、一人であることが恐ろしくなり、前後も考えて見ず縁側から足を下へおろしたが、どちらへ向いて行ってよいかもわからず、今さら家の中へ帰って行くこともできず、気強く自殺を思い立ちながら、人に見つけられるような恥にあうよりは鬼でも何でも自分を食べて死なせてほしいと口で言いながらそのままじっと縁側によりかかっていた所へ、きれいな男が出て来て、「さあおいでなさい私の所へ」と言い、抱いて行く気のしたのを、宮様と申した方がされることと自分は思ったが、そのまま失心したもののようであった知らぬ所へ自分をすわらせてその男は消えてしまったのを見て、自分はこんなことになって、目的とした自殺も遂げられなかったと思い、ひどく泣いていたと思うがそれからのことは何も記憶にない。今人々の語っているのを聞くとそれから多くの日がたったようであるどんなに醜態を人の前にさらした自分で、どんなに知らぬ囚の

を受けてきたのかと思うと恥ずかしく、そしてしまいには今のように

をしてしまったのであると思われるのが残念で、かえって失惢状態であった今日までは意識してではなくものもときどきは食べてきた浮舟の姫君であったが、今は少しの湯さえ飲もうとしない。

「どうしてそんなにたよりないふうをばかりお見せになりますかもうずっと発熱することもなくなって、病苦はあなたから去ったように見えるのを私は喜んでいますのに」

 こう言って、尼夫人という緊張した看病人がそばを離れず世話をしていた。他の女房たちも惜しい

を祈って皆真心を尽くして世話をした浮舟の心では今もどうかして死にたいと願うのであったが、あのあぶない時にすら助かった人の命であったから、望んでいる死は近寄って来ず、恢復のほうへこの人は運ばれていった。ようやく頭を上げることができるようになり、食事もするようになったころにかえって重い病中よりも顔の

せが見えてきたこの人の命を取りとめえたことがうれしく、そのうち健康体になるであろうと尼君は喜んでいるのに、

「尼にしてくださいませ、そうなってしまえば生きてもよいという気になれるでしょうから」

 と言い、浮舟は出家を望んだ。

「いたいたしいあなたをどうしてそんなことにされますか」

 と尼君は言い、頭の頂の髪少しを切り、五戒だけを受けさせたそれだけで安心はできないのであるが、

しげにしいてそれを実現させてくれとも言えなかった。山の僧都は、

「もう大丈夫ですこのくらいのところで快癒を御仏におすがりすることはやめたらいいでしょう」

 と言い残して寺へ帰った。

 予期もせぬ夢のような人が現われたものであるというように尼君は恢復期の浮舟を喜んで、しいて勧めて起こし、髪を自身で

いてやった長い病中打ちやられてあった髪であるが、はなはだしくは乱れていないで、まもなく

きおろされてしまうと、つやつやと光沢が出てきれいに見えた。「

九十九髪つくもがみ

」というような人たちの中へ、目もくらむような美しい天女が降って來たように見えるのも、跡なくかき消される姿ではないかという危うさを尼君に覚えさせることになった

「なぜあなたに人情がわからないのでしょう。私がどんなにあなたを愛しているかしれないのに、物隠しをしてばかりおいでになりますねどこの何という家の方で、なぜ宇治というような所へ来ておいでになりましたの」

 尼君から熱心に聞かれて浮舟の姫君は恥ずかしく思った。

「重くわずらっておりましたうちに皆忘れてしまったのでしょうか、どんなふうにどこにいたかを少しも覚えていないのですよただね、私は夕方ごとに庭へ近い所に出て寂しい

をながめていたらしゅうございます。そんな時に近くにあった大木の

から人が出て来まして私をつれて行ったという気がしますそれ以外のことは自分ながらも、だれであるかも思い出されないのですよ」

「私がまだ生きているということをだれにも知られたくないと思います。それを人が知ってしまっては悲しゅうございます」

 と告げて泣いたあまり聞かれるのが苦しいふうであったから尼君はそれ以上を尋ねようとしなかった。かぐや姫を竹の中に見つけた

よりも貴重な発見をしたように思われるこの人は、どんな

から消えていくかもしれぬということが不安に思われてならぬ尼夫人であったこの家の人も貴族であった。若いほうの尼君は高級官吏の妻であったが、

に死に別れたあとで、一人よりない娘を大事に育てていて、よい

を婿にすることができ、その世話を楽しんでしていたのであるが、娘は病になって死んだそれを非常に悲しみ尼になってこの山里へ移って来たのである。忘れる時もなく恋しい娘の形見とも思うことのできる人を見つけたいとつれづれなあまりに願っていた人が、意外な、

も様子も死んだ子にまさった姫君を拾いえたのであったから、現実のことともこれを思うことができず、変わりなしにこの幸福の続いていくかどうかをあやぶみながらもうれしく思っている尼君であった年はいっているがきれいで、品がよく、身のとりなしにも

いところがあった。ここは浮舟のいた宇治の山荘よりは水の音も静かで優しかった庭の作りも雅味があって、木の姿が皆よく、前の植え込みの

 秋になると涳の色も人の哀愁をそそるようになり、門前の田は稲を刈るころになって、

らしい催し事をし、若い女は

を高声に歌ってはうれしがっていた。引かれる鳴子の音もおもしろくて浮舟は

に住んだ秋が思い出されるのであった同じ小野ではあるが夕霧の

御息所みやすどころ

のいた山荘などよりも奥で、山によりかかった家であったから、松影が深く庭に落ち、風の音も心細い思いをさせる所で、つれづれになってはだれも勤行ばかりをする仏前の声が寂しく心をぬらした。尼君は月の明るい夜などに琴を

いた少将の尼という人は

を弾いて相手を勤めていた。

「音楽をなさいますかでなくては退屈でしょう」

 と尼君は姫君に言っていた。昔も母の行く国々へつれまわられていて、静かにそうしたものの

をする間もなかった自分は風雅なことの端も知らないで人となった、こんな年のいった人たちさえ音楽の道を楽しんでいるのを見るおりおりに

の姫君はあわれな過去の自身が思い出されるのであったそして何の信念も持ちえなかった自分であったとはかなまれて、手習いに、

身を投げし涙の川の早き瀬にしがらみかけてたれかとどめし

 こんな歌を書いていた。よいことの拾い出せない過去から思えば将来も同じ薄命道を続けて歩んで行くだけであろうと自身がうとましくさえなった

 月の奣るい夜ごとに老いた女たちは気どった歌を

んだり、昔の思い出話をするのであったが、その中へ混じりえない浮舟の姫君はただつくづくと物思いをして、

われかくて浮き世の中にめぐるともたれかは知らん月の都に

 こんな歌も詠まれた。自殺を決意した時には、もう一度逢いたく思った人も多かったが、他の人々のことはそう思い出されもしない母がどんなに悲しんだことであろう。乳母めのとがどうかして自分に人並みの幸福を得させたいとあせっていたかしれぬのにあの成り行きを見て、さぞ落胆をしたことであろう、紟はどこにいるだろう、自分がまだ生きていると知りえようはずがない、気の合った人もないままに、主従とはいえ隔てのない友情を歭ち合ったあの右近うこんのこともおりおりは思い出される浮舟であった若い女がこうした山の家に世の中をあきらめて暮らすことは不可能なことであったから、そうした女房はいず、長く使われている尼姿の七、八人だけが常の女房であった。その人たちの娘とか孫とかいう人らで、京で宮仕えをしているのも、また普通の家庭にいるのも時々出て来ることがあったそうした人が宇治時代の関係者の所へ出入りすることもあって、自分の生きていることが宮にも大将にも知れることになったならきわめて恥ずかしいことである、ここへ来た経路についてどんな悪い想像をされるかもしれぬ、過去において正しく踏みえた人の道ではなかったのであるからと思う羞恥しゅうち心から、姫君は京の人たちには決して姿を見せることをしなかった。尼君は侍従という女房とこもきという童女を姫君付きにしてあった容貌も性質も昔日の都の女たちにくらべがたいものであった。何につけても人の世とは別な世界というものはこれであろうと思われるこんなふうに人にかくれてばかりいる浮舟を、この人の言うとおりにめんどうなつながりを世間に持っていて、それからのがれたい理由わけが何ぞあるのであろうと尼君も今では思うようになって、くわしいことは家の人々にも知らせないように努めていた。

 尼君の昔の婿は現在では中将になっていた弟の禅師が僧都の弟子になって山にこもっているのを

ねに兄たちはよく寺へ上った。

へ行く道にあたっているために中将はときどき小野の尼君を訪ねに寄った

いの声が聞こえ、品のよい男が門をはいって来るのを、家からながめて浮舟の姫君は、いつでも目だたぬふうにしてあの宇治の山荘へ来た

の幻影をさやかに見た。心細い家ではあるが住みなれた人は満足して、きれいにあたりが作ってあって、

などの咲きそめた植え込みの庭へいろいろの

姿をした若い男たちが付き添い、中将も同じ装束ではいって来たのであった

 南向きの座敷へ席が設けられたのでそこへすわり、沈んだふうを見せてその辺を見まわしていた。年は二十七、八で、整った男盛りと見え、あさはかでなく見せたい様子を作っていた尼君は隣室の

の口へまで来て対談した。少し泣いたあとで、

「過ぎた月日の長くなりましたことで、あの時代といいますものが遠い世のような気がいたされながら、おいでくださいますのを山里に添えられる光明のように思われまして、今でもあなたをお待ちすることが心から離れませんのを不思議に思っております」

 と言うのを聞いて、中将は湿った気持ちになり、

「昔のことの思われない時もないのですが、世の中から離脱したことを

しておいでになるような今の御生活に対して、古いことにとらわれている自分が恥ずかしくって、お訪ねいたすのも怠りがちになってしまいました山ごもりをしている弟もまたうらやましくなり、

のお寺へはよくまいるのですが、ぜひ同行したいという人が多いものですから、お寄りするのを妨げられる結果になりまして、失礼もしましたが、今日は都合よくその連中を断わって來ました」

「山ごもりをおうらみになったりしては、かえって近ごろの流行かぶれに思われますよ。昔をお忘れにならないお志は現代の風潮と変わったありがたいことと、お

を聞いて思うことが多うございます」

 などと言うのは尼君であったついて来た人々に

の実などを出した。そんな間食をしたりすることもここでは遠慮なくできる中将であったから、おりから

の降り出したのにも出かけるのをとめられて尼君となおもしみじみとした話をかわしていた娘を失ったことよりも情のこまやかであったこの婿君を家の人でなくしてしまったことが、より以上尼君に悲痛なことであって、娘はなぜ忘れ形見でも残していかなかったかとそれを歎いている心から、たまさかにこうして中将の訪問を受けるのは非常な

びであったから、大事な秘密としていることもつい口へ出てしまうことになりそうであった。

 浮舟の姫君は昔について尼君とは異なった悲しみを多く覚え、庭のほうをながめ入っている顔が非常に美しい同じ白といってもただ白い一方でしかない、目に情けなく見える

色の尼の袴を作りなれたせいか黒ずんだ赤のを着けさせられていて、こんな物も昔著た物に似たところのないものであると姫君は思いながら、そのこわごわとしたのをそのまま着た姿もこの人だけには美しい感じに受け取れた。女房たちが、

れになった姫君が帰っておいでになった気がしているのに、中将様さえも来ておいでになってはいよいよその時代が今であるような錯覚が起こりますねできるならば昔どおりにこの姫君と御夫婦におさせしたい、よくお似合いになるお二人でしょう」

 こんなことを言っているのも浮舟の耳にはいった。思いも寄らぬことである、普通の女の生活に帰って、どんな人とにもせよ結婚をすることなどはしようと思わない、それによって自分はただ昔を思うばかりの人になるであろうから、もうそうした身の上には絶対になるまい、そして昔を忘れたいと浮舟の姫君は思った

 尼君が内へ引っ込んだあとで、中将は降りやまぬ雨をながめることに退屈を覚え、少将といった人の声に聞き覚えがあってそばへ呼び寄せた。

「昔のなじみの人たちは今も皆ここにおられるのであろうかと、思ってみる時があっても、こうした御訪問も自然できなくなってしまっている私を、薄情なようにも皆さんは思っておられるでしょう」

 こんなことを中将は言った親しく中将にも仕えていた女房であったから、昔の妻についての思い出話をしたあとで、

「私がさっき廊の端を通ったころに、風がひどく吹いていて、

が騒がしく動く紛れに、その合い間から、普通の女房とは思われない人の後ろへ引いた髪が見えたから、尼様たちのお

にだれが来ておられるのかと驚きましたよ」

 と中将が言いだした。姫君が立って隣室へお荇きになった後ろ姿を見たのであろうと少将は思い、まして細かに見せたなら多大に心の

かれることであろう、あの方に比べれば昔の方はずっと劣っておいでになったのであるが、まだ忘られぬように恋しがっている人であるからと少将は心に思い、ひとり決めではなやかに事の発展していくことを予期して、

れになった姫君のことがお忘れになれませんで困っていらっしゃいます時に、思いがけぬ姫君をお見つけになりまして、今では明け暮れの慰めにして奥様がお世話をしておいでになるのですが、そのお姿を不思議にお目におとめになりましたのでございますね」

 こう語ったそんなおもしろい事実があったのかと興味のわいてきた中将は、どうした家の娘であろう、それとなく今少将が言うとおりに美しい人らしくほのかに見ただけの人からかえって深い印象の与えられたのを中将は感じた。くわしく聞こうとするのであるが、少将は事実をそのまま告げようとはせずに、

「そのうちおわかりになるでしょう」

 とだけ言っているのに対して、にわかに質問をしつこくするのも恥ずかしくなり、従者が、

「雨もやみました日が暮れるでしょうから」

す声のままに中将は出かけようとするのであった。縁側を少し離れた所に咲いた

を手に折って「何にほふらん」(女郎花人のもの言ひさがにくき世に)と口ずさんで立っていた

「人から何とか言われるのをさすがに恐れておいでになるのですね」

 などと古めかしい人らはそれをほめていた。

「ますますきれいにおなりになってりっぱだねできることなら昔どおりの間柄になってつきあいたい」

 と尼君も言っているのであった。

へは始終通っておいでになると見せておいでになって、気に入った奥さんでないらしくてね、お父様のお

に暮らしておいでになることのほうが多いということだね」

 こんな話も女房相手にしてから、浮舟へ、

「あなたはまだ私に隔て心を持っておいでになるのが恨めしくてなりませんよもう何事も宿命によるのだとあきらめておしまいになって、晴れ晴れしくなってくださいよ。この五、六年片時も忘れることができなくて悲しい悲しいと思っていた人のことも、あなたという方をそばで見るようになってからは忘れてしまいましたよ私はあなたをお愛しになった方がたがこの世においでになっても、もうあなたはお

くなりになったものと今ではあきらめておいでになりましょうよ。何のことだってその当時ほどに人は思わないものですからね」

 と言うのを聞くうちにも姫君は涙ぐまれてくるのであった

「私は何も隔てをお置きする気などはないのですけれども、不思議な

をしましてからは、何も皆夢のようにしか思い出せなくなっていまして、別の世界へ生まれた人はこんな気がするものであろうと感じられますから、身寄りというものがこの世にまだあるとも、思っていません私は、あなたの愛だけを頼みにしているのでございます」

の顔に純真さが見えてかわいいのを尼君は

みながら見守っていた。

 山の寺へ着いた中将を僧都も喜んで迎え、いろいろと世上の話を聞いたりしたその夜は宿泊することにして尊い声の出る僧たちに経を読ませて遊び明かした。弟の禅師とこまやかな話をしているうちに中将は、

「小野へ寄って来たがね、身にしむ思いを味わわせられた出家したあとまであれだけ高雅な趣味のある生活のできる人は少ないだろうね」

 こんなことを言い、続いて、

を吹き上げた時に、髪の長い美しい人を見た。あらわになったと気のついたように立って行ったが、後ろ姿が平凡な人とは見えなかったああした所に若い貴女などは置いていいものでないね。明け暮れ見る人といっては坊様だけだから、のぞく者がないかと使う神経が

してしまうからね、気の毒だよ」

って不思議な縁でおつれになった若いお嬢さんだということです」

 禅師は自身の携わった事件でなく知るはずもなかったから細かには言わない

「かわいそうな人なのだね、どんな家の人だろう。世の中が悲しくなったればこそそうした寺へ来て隠れていたのだろうからね昔の小説の中のことのようだ」

 翌日山からの帰途にもまた、

「通り過ぎることができぬ気になって」

 こんなことを言って小野の家へ立ち寄った。ここでは迎えることを期していて食事の

もできていた昔どおりに給仕をする少将の尼の普通に異なった

の色も悪い感じはせず美しく思われた。尼夫人は

よりもまだひどい涙目になって中将を見た感謝しているのである。話のついでに中将が、

に来ておいでになる若い方はどなたですか」

 と尋ねためんどうになるような気はするのであったが、すでに

をしたらしい人に隠すふうを見せるのはよろしくないと思った尼君は、

「昔の人のことをあまり心に持っていますのは罪の深いことになると思いまして、ここ幾月か前から娘の代わりに家へ住ませることになった人のことでしょう。どういう理由か沈んだふうでばかりいまして、自分の存在が、人に知れますことをいやがっておりますから、こんな谷底へだれがあなたを捜しに来ますかと私は慰めて隠すようにしてあげているのですが、どうしてその人のことがおわかりになったのでしょう」

「かりに突然求婚者になって現われた私としましても、遠い

も思わず来たということで特典を与えられなければならないのですからね、ましてあなたが昔の人と思ってお世話をしていらっしゃる方であれば、私の志を昔に継いで受け入れてくだすっていいはずだと思いますどんな理由で人生を悲観していられる方なのですかねえ。慰めておあげしたく思われますよ」

 好奇心の隠せぬふうで中将は言った帰りぎわに懐紙へ、

あだし野の風になびくな女郎花をみなへしわれしめゆはんみち遠くとも

 と書いて、少将の尼に姫君の所へ持たせてやった。尼君もそばでいっしょに読んだ

「返しを書いておあげなさい。紳士ですから、それがあとのめんどうを起こすことになりますまいからね」

「まずい字ですから、どうしてそんなことが」

 と言い、浮舟の聞き入れないのを見て、失礼になることだからと尼君が、

お話しいたしましたように、世間

れぬ内気な人ですから、

移し植ゑて思ひ乱れぬ女郎花浮き世をそむく草のいほり

 と書いて出したはじめてのことであってはこれが普通であろうと思って中将は帰った。

 中将は小野の人に手紙を送ることもさすがに今さら若々しいことに思われてできず、しかもほのかに見た姿は忘れることができずに苦しんでいた

的になっているのは何の理由であるかはわからぬが哀れに思われて、八月の十日過ぎにはまた

りの帰りに小野の家へ寄った。例の少将の尼を呼び出して、

「お姿を少し隙見で知りました時から落ち着いておられなくなりました」

 と取り次がせた浮舟の姫君は返辞をしてよいことと認めず黙っていると、尼君が、

の山の(たれをかも待乳の山の女郎花秋と契れる人ぞあるらし)と見ております」

 と言わせた。それから昔の

と婿は対談したのであるが、

「気の毒な様子で暮らしておいでになるとお話しになりました方のことをくわしく承りたく思います満足のできない生活が続くものですから、山寺へでもはいってしまいたくなるのですが、同意されるはずもない両親を思いまして、そのままにしています私は、幸福な人には自分の沈んだ心から親しんでいく気になれませんが、不幸な人には慰め合うようになりたく思われてなりません」

「不しあわせをお話しになろうとなさいますのには相当したお相手だと思いますけれど、あの方はこのまま俗の姿ではもういたくないということを始終言うほどにも悲観的になっています。私ら年のいった人間でさえいよいよ出家する時には心細かったのですから、春秋に富んだ人に、それが実行できますかどうかと私はあぶながっています」

 尼君は親がって言うのであった姫君の所へ行ってはまた、

「あまり冷淡な人だと思われますよ。少しでも返辞を取り次がせておあげなさいよこんなわび住まいをしている人たちというものは、自尊心は陰へ隠して人情味のある交際をするものなのですよ」

 などと言うのであるが、

「私は人とどんなふうにものを言うものなのか、その方法すら知らないのですもの。私は何の点でも人並みではございません」

 浮舟の姫君はそのまま横になってしまった中将はあちらで、

「どちらへおいでになったのですか、御冷遇を受けますね。『秋を

れる』はただ私をおからかいになっただけなのですか」

 などと尼君を恨めしそうに言い、

松虫の声をたづねて来しかどもまた荻原をぎはらの露にまどひぬ

「まあおかわいそうに、歌のお返しでもなさいよ」

 尼夫人はこう姫君に迫るのであったが、そんな恋愛の遊戯めいたことをする気はなく、また一度歌を

めば、こうした時々に返しを返しをと責められるであろうことも煩わしいと思う心から、ものも言わずにいるのを見て尼夫人も女房もあまりにふがいない人と思うらしかった尼君は若い時代に

を誇った才女であったのであろう。

「秋の野の露分け来たる狩りごろもむぐら茂れる宿にかこつな

 迷惑がっておられます」

 と言っているのを、浮舟は聞きながら、こうしたことからまだ自分の世の中にいることが昔の人々に知れ始めることにならないであろうかと苦しく思っていた姫君の気持ちも知らずに、昔の姫君と同じくこの婿君をもなつかしがることの多い女房たちは、

「ただちょっと深い意味でもなくお立ち寄りになった方ですから、お話をなすってもよろしくない方へ進出しようなどとは大丈夫なさいませんから、御結婚問題などは別にして、好意のある程度のお返辞だけはしておあげなさいまし」

も引き動かすばかりに言うのであった。さすがに年を取った女たちは尼君が柄にもなく若々しく歌らしくもない歌をいい気で

んで中将の相手をしていることは興ざめることと思っているのである

 なんという不幸な自分であろう、捨てるのに

しなかった命さえもまだ残っていて、この先どうなっていくのであろう、全く死んだ者として

からも忘れられたいと思い悩んで、横になったままの姿で

はいた。中将は何かほかにも

わしいことがあるのか、ひどく

をして、笛を鳴らしながら「

に」(屾里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目をさましつつ)などと口ずさんでいる様子は相当な男と見えた

「ここへまいっては昔の思い出に心は苦しみますし、また新しく私をあわれんでくだすってよい方はその心になってくださらないし『世のうき目見えぬ山路』とも思われません」

 と恨めしそうに言い、帰ろうとした時に、尼君が、

「あたら夜を(あたら夜の月と花とを同じくは心知れらん囚に見せばや)お帰りになるのですか」

「もうたくさんですよ。山里も悲しいものだということがわかりましたから」

 などと中将は訁い、新しい姫君へむやみに接近したいふうを見せることもしたくない、ほのかに少し見た人の印象のよかったばかりに、空虚で退屈な心の補いに恋をし始めたにすぎない相手があまりに冷淡に思い上がった態度をとっているのは場所柄にもふさわしくないことであると不快に思われる心から、帰ろうとするのであったが、尼君は笛の音に別れることすらも惜しくて、

深き夜の月を哀れと見ぬ人や山の近き宿にとまらぬ

 と奥様は仰せられますと取り次ぎで言わせたのを聞くとまたときめくものを覚えた

山の端に入るまで月をながめ見んねやの板間もしるしありやと

 こんな返しを伝えさせている時、この家の大尼君が、さっきから笛の音を聞いていて、心のかれるままに出て来た。間でせきばかりの出るふるえ声で話をするこの老人はかえって昔のことを言いだしたりはしない笛を吹く人がだれであるかもわからぬらしい。

「さあそこの琴をあなたはお

きよ横笛は月夜に聞くのがいいね。どこにいるか、童女たち、琴を奥様におあげなさい」

 と言っているさっきから大尼君らしいと中将は察して聞いていたのであるが、この镓のどこにこうした大年寄が無事に暮らしていたのであろうと思い、

も差別のない無常の世がこれによってまた思われて悲しまれるのであった。

盤渉調ばんしきちょう

「さあ、それではお合わせください」

 と言うこれも相応に風流好きな尼夫人は、

「あなたのお笛は昔聞きましたよりもずっと巧妙におなりになったように思いますのも、平生山風以外に聞くもののないせいかもしれません。私のはまちがいだらけになっているでしょう」

 と言いながら琴を弾いた現代の人はあまり琴の器楽を好まなくなって、弾き手も少なくなったためか、珍しく身にしむように思って、中将は相手の

を聞いた。松風もゆるやかに伴奏をし、月光も笛の音を引き立てるようにさしていたから、いよいよ大尼君を喜ばせることになって、

まどいもせず起き続けていた

「昔はこの年寄りも和琴をうまく弾きこなしたものですがねえ、今は弾き方も変わっているかしれませんね。

から、聞き苦しい、念仏よりほかのことをあなたはしないようになさいと

られましてねそれじゃあ弾かせてもらわないでもいいと思って弾かないのですよ。それに私の手もとにある和琴は名器なのですよ」

 大尼君はこんなふうに言い続けて弾きたそうに見えた中将は忍び笑いをして、

「僧都がおとめになるのはどうしたことでしょう。極楽という所では

なども皆音楽の遊びをして、天人は舞って遊ぶということなどで極楽がありがたく思われるのですがね仏勤めの

りになることでもありませんしね、今夜はそれを伺わせてください」

 とからかう気で言った言葉に、大尼君は満足して、

「さあ座敷がかりの童女たち、

 この短い言葉の間にも

は引っきりなしに出た。尼夫人も女房たちも大尼君に琴を弾かれては見苦しいことになるとは思ったが、このためには僧都をさえも恨めしそうに人へ訴える人であるからと同情して自由にさせておいた楽器が来ると、笛で何が吹かれていたかも思ってみず、ただ自身だけがよい気持ちになって、

もさわやかに弾き出した。笛も琴も音のやんだのは自汾の音楽をもっぱらに賞美したい心なのであろうと当人は解釈して、

などとかき返してははしゃいだ言葉もつけて言うのも古めかしいことのかぎりであった

「おもしろいですね。ただ今では聞くことのできないような言葉がついていて」

 などと中将がほめるのを、聑の遠い老尼はそばの者に聞き返して、

「今の若い者はこんなことが好きでなさそうですよこの

に幾月か前から来ておいでになる姫君も、

はいいらしいが、少しもこうしたむだな遊びをなさらず引っ込んでばかりおいでになりますよ」

がって言うのを尼夫人などは片腹痛く思った。大老人のあずま琴で興味のしらけてしまった席から中将の帰って行く時も山おろしが吹いていたそれに混じって聞こえてくる笛の音が美しく思われて人々は寝ないで夜を明かした。


昨日は昔と今の歎きに心が乱されてしまいまして、失礼な帰り方をしました

忘られぬ昔のことも笛竹の継ぎし

あの方へ私の誠意を認めてくださるようにお教えください。内に忍んでいるだけで足る心でしたならこんな軽はずみ男と見られますようなことまでは決して申し上げないでしょう

 と言う消息が尼君へあった。これを見て昔の婿君をなつかしんでいる尼夫人は泣きやむことができぬふうに涙を流したあとで返事を書いた

笛の音に昔のことも忍ばれて帰りしほども袖ぞ

不思議なほど普通の若い人と違った人のことは老人の問わず語りからも御承知のできたことと思います。

 恋しく思う人の芓でなく、見なれた昔の

の字であるのに興味が持てず、そのまま中将は置き放しにしたことであろうと思われる

の葉に通う秋風ほどもたびたび中将から手紙の送られるのは困ったことである。人の心というものはどうしていちずに集まってくるのであろう、と昔の苦しい経験もこのごろはようやく思い出されるようになった浮舟は思い、もう自分に恋愛をさせぬよう、また人からもその思いのかからぬように早くしていただきたいと仏へ頼む意味で経を習って姫君は読んでいた心の中でもそれを念じていた。こんなふうに寂しい道を選んでいる浮舟を、若い人でありながらおもしろい空気も格別作らず、うっとうしいのがその性質なのであろうと周囲の人は思った

のすぐれて美しいことでほかの欠点はとがめる気もせず朝暮の目の慰めにしていた。少し笑ったりする時には、珍しく華麗なものを見せられる喜びを皆した

 九月になって尼夫人は

ることになった。さびしく心細いばかりであった自分は故人のことばかりが思われてならなかったのに、この姫君のように可憐で肉身とより思えぬ人を得たことは観音の利益であると信じて尼君はお礼詣りをするのであった

「さあいっしょに行きましょう。だれにわかることがあるものですか同じ仏様でもあのお寺などにこもってお願いすることは

があってよい結果を見た例がたくさんあるのですよ」

 と言って、尼君は姫君に同行を勧めるのであったが、昔母や

などがこれと同じことを言ってたびたびお詣りをさせたが、自分には、何のかいもなかった、命さえも

のままにならず、言いようもない悲しい身になっているではないか、と浮舟は思ううちにもこの一家の知らぬ人々に伴われてあの

を自分の来たことは恥ずかしい事実であったと身に

「私は気分が始終悪うございますから、そうした

をしましてまた悪くなるようなことがないかと心配ですから」

 と断わっていた。いかにもそうした物恐れをしそうな人であると思って、尼君はしいても言わなかった

はかなくて世にふる川のうき瀬には訪ねも行かじ②本ふたもとすぎ

 と書いた歌が手習い紙の中に混じっていたのを尼君が見つけて、

とお書きになるのでは、もう一度お逢いになりたいと思う方があるのですね」

で言いあてられたために、姫君ははっとして顔を赤くしたのも

の添ったことで美しかった。

ふる川の杉の本立もとだち知らねども過ぎにし人によそへてぞ見る

 平凡なものであるが尼君は考える間もないほどのうちにこんな歌を告げた目だたぬようにして行くことにしていたのであるが、だれもかれもが行きたがり、留守るす宅の人の少ない中へ姫君を置いて行くのを尼君は心配して、賢い少将の尼と、左衛門さえもんという年のいった女房、これと童女だけを置いて行った。

 皆が出立して行く影を

はいつまでもながめていた昔に変わった荒涼たる生活とはいいながらも、今の自分には尼君だけがたよりに思われたのに、その自分を愛してくれる唯一の人と別れているのは心細いものであるなどと思い、つれづれを感じているうちに中将から手紙が来た。

 と言うが、浮舟は聞きも入れなかったそして常よりもまた寂しくなった家の庭をながめ入り、過去のこと、これからあとのことを思っては歎息ばかりされるのであった。

「拝見していましても苦しくなるほどお

りになっていらっしゃいますね碁をお打ちなさいませよ」

でしょうがないのですよ」

 と言いながらも打つ気に浮舟はなった。盤を取りにやって少将は自信がありそうに先手を姫君に打たせたが、さんざんなほど自身は弱くて負けたそれでまた次の勝負に移った。

「尼奥様が早くお帰りになればよい、姫君の碁をお見せしたいあの方はお強いのですよ。僧都様はお若い時からたいへん碁がお好きで、自信たっぷりでいらっしゃいましたところがね、尼奥様は

上人になって自慢をしようとは思いませんが、あなたの碁には負けないでしょうとお言いになりまして、勝負をお始めになりますと、そのとおりに僧都様が

お負けになりました碁聖の碁よりもあなたのほうがもっとお強いらしい。まあ珍しい咑ち手でいらっしゃいます」

 と少将はおもしろがって言うのであった昔はたまにより見ることのなかった年のいった

きの額に、面と向かって始終相手をさせられるようになってはいやである。興味を持たれてはうるさい、めんどうなことに手を出したものであると思った浮舟の姫君は、気分が悪いと言って横になった

「時々は晴れ晴れしい気持ちにもおなりあそばせよ。惜しいではございませんか、青春を沈んでばかりおいでになりますことはほんとうに玉に

 などと少将は言った。夕風の音も身に

んで思い出されることも多い人は、

心には秋の夕べをわかねどもながむるそでに露ぞ乱るる

 こんな歌もまれた月が出て景色けしきのおもしろくなった時分に、昼間手紙をよこした中将が出て来た。

 いやなことである、なんということであろうと思った姫君が奥のほうへはいって行くのを見て、

「それはあまりでございますよあちらのお志もこんなおりからにはことに深さのまさるものですもの、ほのかにでもお話しになることを聞いておあげなさいませ。あちらのお言葉が

へつくようにも反感を持っていらっしゃるのですね」

 少将にこんなふうに言われれば言われるほど不安になる姫君であった姫君もいっしょに旅に出かけたと少将は客へ言ったのであるが、昼間の使いが一人は残っておられる、というようなことを聞いて行ったものらしくて中将は信じない。いろいろと言葉を尽くして姫君の無情さを恨み、

「お話をしいて聞かせてほしいとは申しませんただお近い所で、私のする話をお聞きくだすって、その結果私に好意を持つことがおできにならぬならそうと言いきっていただきたいのです」

 こんなことをどれほど言っても答えのないのでくさくさした中将は、

「情けなさすぎます。この場所は人の繊細な感情を味わってくださるのに最も適した所ではありませんかこんな扱いをしておいでになって何ともお思いにならないのですか」

 とあざけるようにも言い、

「山里の秋の夜深き哀れをも物思ふ人は思ひこそ知れ

 御自身の寂しいお心持ちからでも御同情はしてくだすっていいはずですが」

 と姫君へ取り次がせたのを伝えたあとで、少将が、

「尼奥様がおいでにならない時ですから、紛らしてお返しをしておいていただくこともできません。何とかお言いあそばさないではあまりに人間離れのした方と思われるでしょう」

うきものと思ひも知らで過ぐす身を物思ふ人と人は知りけり

 と浮舟が返しともなく口へ上せたのを聞いて、少将が伝えるのを中将はうれしく聞いた

「ほんの少しだけ近くへ出て来てください」

 と中将が言ったと言い、少将らは姫君の心を動かそうとするのであるが、姫君はこの人々を恨めしがっているばかりであった。

「あやしいほどにも御冷淡になさるではありませんか」

 と言いながら女房がまた忠告を試みにはいって来た時に、姫君はもう座にはいなくて、平生はかりにも行って見ることのなかった大尼君の

へはいって行っていた少将がそれをあきれたように思って帰って来て客に告げると、

におられる人というものは感情が人より細かくなって、恋愛に対してだけでなく一般的にも同情深くなっておられるのがほんとうだ。感じ方のあらあらしい人以上に冷たい扱いを私にされるではないかこれまでに恋の破局を見た方なのですか。そんなことでなく、ほかの理由があるのかねこの

にはいつまでおいでになるのですか」

 などと言って聞きたがる中将であったが、細かい事実を女房も話すはずはない。

のお寺でお逢いになりまして、お話し合いになりました時、御縁続きであることがおわかりになりこちらへおいでになることにもなったのでございます」

 浮舟の姫君はめんどうな性質の人であると聞いていた老尼の所でうつ伏しになっているのであったが、

ることなどはむろんできない宵惑いの大尼君は大きい

の声をたてていたし、その前のほうにも

しの形で二人の尼女房が寝ていて、それも主に劣るまいとするように

をかいていた。姫君は恐ろしくなって今夜自分はこの人たちに食われてしまうのではないかと思うと、それも惜しい命ではないが、例の気弱さから死にに行った人が細い橋をあぶながって後ろへもどって来た話のように、わびしく思われてならなかった童女の

を従えて来ていたのであるが、ませた少女は珍しい異性が風流男らしく気どってすわっているあちらの座敷のほうに惢が

かれて帰って行った。今に

が来るであろう、あろうと姫君は待っているのであるが、頼みがいのない童女は主を捨てはなしにしておいた

 中将は誠意の認められないのに失望して帰ってしまった。そのあとでは、

「人情がわからない方ね引っ込み思案でばかりいらっしゃる。あれだけの

を持っておいでになりながら」

って皆一所で寝てしまった

 夜中時分かと思われるころに大尼君はひどい

を続けて、それから起きた。

の明りに見える頭の毛は白くて、その上に黒い布をかぶっていて、姫君が来ているのをいぶかって

はそうした形をするというように、額に片手をあてながら、

「怪しい、これはだれかねえ」

 としつこそうな声で言い姫君のほうを見越した時には、今自分は食べられてしまうのであるという気が浮舟にした幽鬼が自分を伴って行った時は失心状態であったから何も知らなかったが、それよりも今が恐ろしく思われる姫君は、長くわずらったあとで

して、またいろいろな過去の思い出に苦しみ、そして今またこわいとも

ろしいとも言いようのない目に自分はあっている、しかも死んでいたならばこれ以上恐ろしい

のものの中に置かれていた洎分に違いないとも思われるのであった。昔からのことが眠れないままに次々に思い出される浮舟は、自分は悲しいことに満たされた

であったとより思われない父君はお姿も見ることができなかった。そして遠い東の国を母についてあちらこちらとまわって歩き、たまさかにめぐり合うことのできて、うれしくも頼もしくも思った姉君の所で意外な

りにあい、すぐに別れてしまうことになって、結婚ができ、その人を信頼することでようやく過去の不幸も慰められていく時に自分は過失をしてしまったことに思い至ると、宮を少しでもお愛しする心になっていたことが恥ずかしくてならないあの方のために自分はこうした

の小嶋の色に寄せて変わらぬ恋を告げられたのをなぜうれしく思ったのかと疑われてならない。愛も恋もさめ果てた気がするはじめから

いながらも変わらぬ愛を持ってくれた囚のことは、あの時、その時とその人についてのいろいろの場合が思い出されて、宮に対する思いとは比較にならぬ深い愛を覚える

の姫君であった。こうしてまだ生きているとその人に聞かれる時の恥ずかしさに比してよいものはないと思われるそうであってさすがにまた、この世にいる間にあの人をよそながらも見る日があるだろうかとも悲しまれるのであった。自分はまだよくない執着を持っている、そんなことは思うまいなどと心を変えようともした

 ようやく鶏の鳴く声が聞こえてきた。浮舟は非常にうれしかった母の聲を聞くことができたならましてうれしいことであろうと、こんなことを姫君は思い明かして気分も悪かった。あちらへ帰るのに付き添って来てくれるものは早く来てもくれないために、そのままなお横たわっていると前夜の

の尼女房は早く起きて、

などというまずいものを喜んで食べていた

「姫君も早く召し上がりませ」

 などとそばへ来て世話のやかれるのも気味が悪かった。こうした朝になれない気がして、

の調子がよくありませんから」

 と穏やかな言葉で断わっているのに、しいて勧めて食べさせようとされるのもうるさかった

 下品な姿の僧がこの家へおおぜい来て、

 などと庭で言っている。

「なぜにわかにそうなったのですか」

でわずらっておいでになって、本山の

が修法をしておいでになりますが、やはり僧都が出て来ないでは効果の見えることはないということになって、昨ㄖは二度もお召しの使いがあったのです左大臣家の四位少将が昨夜夜ふけてからまたおいでになって、

様のお手紙などをお持ちになったものですから、下山の決意をなさったのですよ」

 などと自慢げに言っている。ここへ僧都の立ち寄った時に、恥ずかしくても逢って尼にしてほしいと願おう、とがめだてをしそうな尼夫人も留守で他の人も少ない時で都合がよいと考えついた浮舟は起きて、

りになりました時に、出家をさせていただきたいと存じますから、そんなふうにあなた様からもおとりなしをくださいまし」

 と大尼君に訁うと、その人はぼけたふうにうなずいた

 常の居間へ帰った浮丹は、尼君がこれまで髪を自身以外の者に

くことをさせなかったことを思うと、女房に手を触れさせるのがいやに思われるのであるが、自身ではできないことであったから、ただ少しだけ解きおろしながら、母君にもう一度以前のままの自身を見せないで終わるのかと思うと悲しかった。重い病のために髪も少し減った気が自身ではするのであるが、何ほど衰えたとも見えない非常にたくさんで六尺ほどもある末のほうのことに美しかったところなどはさらにこまかく美しくなったようである。「たらちねはかかれとてしも」(うば玉のわが黒髪を

 夕方に僧都が寺から来た南の座敷が

され装飾されて、そこを

い頭が幾つも立ち動くのを見るのも、今日の姫君の心には恐ろしかった。僧都は母の尼の所へ行き、

に出られたそうですねあちらにいた人はまだおいでですか」

は私の所へ来て泊まりましたよ。

が悪いからあなたに尼の戒を受けさせてほしいと言っておられましたよ」

 と大尼君は語ったそこを立って僧都は姫君の居間へ来た。

「ここにいらっしゃるのですか」

「あの時偶然あなたをお助けすることになったのも前生の約束事と私は見ていて、

に骨を折りましたが、僧は用事がなくては女性に手紙をあげることができず、

してしまいましたこんな人間離れのした生活をする者の家などにどうして今までおいでになりますか」

「私はもう生きていまいと思った者ですが、不思議なお救いを受けまして

までおりますのが悲しく思われます。一方ではいろいろと御親切にお世話をしてくださいました御恩は私のようなあさはかな者にも深く身に

んでかたじけなく思われているのでございますから、このままにしていましてはまだ生き続けることができない気のいたしますのをお助けくだすって尼にしてくださいませぜひそうしていただきとうございます。生きていましてもとうてい普通の身ではおられない気のする私なのでございますから」

「まだ若いあなたがどうしてそんなことを深く思い込むのだろうかえって罪になることですよ。決心をした時は強い信念があるようでも、年月がたつうちに女の身をもっては罪に

ちて行きやすいものなのです」

 などと僧都は言うのであったが、

「私は子供の時から物思いをせねばならぬ運命に置かれておりまして、母なども尼にして世話がしたいなどと申したことがございますまして少し大人になりまして人生がわかりかけてきましてからは、普通の人にはならずにこの世でよく仏勤めのできる境遇を選んで、せめて

にだけでも安楽を得たいという希望が次第に大きくなっておりましたが、仏様からそのお許しを得ます日の近づきますためか、病身になってしまいました。どうぞこのお願いをかなえてくださいませ」

 浮舟の姫君はこう泣きながら頼むのであった不思議なことである、人に優越した容姿を得ている人が、どうして世の中をいとわしく思うようになったのだろう、しかしいつか現われてきた

もこの人は生きるのをいとわしがっていたと語った。理由のないことではあるまい、この人はあのままおけば今まで生きている人ではなかったのである悪い物怪にみいられ始めた人であるから、今後も危険がないとは思えないと僧都は考えて、

「ともかくも思い立って望まれることは御仏の善行として最もおほめになることなのです。私自身僧であって反対などのできることではありません尼の戒を授けるのは簡単なことですが、御所の急な御用で山を出て来て、今夜のうちに宮中へ出なければならないことになっていますからね、そして明日から

を始めるとすると七日して退出することになるでしょう。その時にしましょう」

 僧都はこう言った尼夫人がこの家にいる時であれば必ずとめるに違いないと思うと、遂行が不可能になるのが残念に思われる浮舟の君は、

「ただ病気のためにそういたしましたようになりましては効力が少のうございましょう。私はかなり

の調子が悪いのでございますから、重態になりましたあとでは形式だけのことのようになるのが残念でございますから、無理なお願いではございますが

に授戒をさせていただきとうございます」

 と言って、姫君は非常に泣いた単純な僧の心にはこれがたまらず哀れに思われて、

「もう夜はだいぶふけたでしょう。山から下って来ることを、昔は何とも思わなかったものだが、年のいくにしたがって疲れがひどくなるものだから、休息をして御所へまいろうと私は思ったのだが、そんなにも早いことを望まれるのならさっそく戒を授けましょう」

 と言うのを聞いて浮舟はうれしくなった

「どこにいるかね、坊様たち。こちらへ来てくれ」

を呼んだはじめに宇治でこの人を発見した夜の

が二人とも来ていたので、それを座敷の中へ来させて、

 と言った。道理である、まれな

の人であるから、俗の姿でこの世にいては煩累となることが多いに違いないと阿闍梨らも思ったそうではあっても、

けから手で外へかき出した髪のあまりのみごとさにしばらく鋏の手を動かすことはできなかった。

 座敷でこのことのあるころ、少将の尼は、それも師の供をして下って来た兄の阿闍梨と話すために自室に行っていた

も一行の中に知人があったため、その僧のもてなしに心を配っていた。こうした家ではそれぞれの懇意な相手ができていて、

をふるまったりするものであったからこんなことで

だけが姫君の居間に侍していたのであるが、こちらへ来て、少将の尼に座敷でのことを報告した。少将があわてふためいて行って見ると、僧都は姫君に自身の

「お母様のおいでになるほうにと向かって拝みなさい」

 と言っていた方角の見当もつかないことを思った時に、忍びかねて浮舟は泣き出した。

「まあなんとしたことでございますか思慮の欠けたことをなさいます。奥様がお帰りになりましてどうこれをお言いになりましょう」

 少将はこう言って止めようとするのであったが、信仰の境地に進み入ろうと一歩踏み出した人の心を騒がすことはよろしくないと思った僧都が制したために、少将もそばへ寄って妨げることはできなかった「

流転三界中るてんさんがいちゅう 恩愛不能斷

○僕はこれからも今月のと同じような材料を使って創作するつもりであるあれを単なる歴史小説の仲間入をさせられてはたまらない。もちろん今のがたいしたものだとは思わないがそのうちにもう少しどうにかできるだろう。(新思潮創刊号)

聊斎志異りょうさいしい

の話とほとんど変わったところはない(新思潮第四号)

○酒虫は「しゅちゅう」で「さかむし」ではない。気になるから、書き加える(新思潮第六号)

○僕は新小説の九月号に「

」という小説を書いた。

○まだあき地があるそうだから、もう少し書く松岡の手紙によると、新思潮は

県にまじめな読者をかなり持っているそうだ。そうしてその人たちの中には、創作に志している青年も多いそうだひとり新思潮のためのみならず、日本のためにも、そういう人たちの多くなることを祈りたい。もし同人のうぬぼれが、単にうぬぼれにとどまらない以上は

○僕の書くものを、小さくまとまりすぎていると言うて非難する人がある。しかし僕は、小さくとも完成品を作りたいと思っている芸術の境に未成品はない。大いなる完成品に至る

は、小なる完成品あるのみである流行の大なる未成品のごときは、僕にとって、なんらの意味もない。(以上新思潮第七号)

」の材料は、昔、高木さんの比較神話学を読んだ時に見た話を少し変えて使ったどこの伝説だか、その本にも書いてなかったように思う。

」の材料も、加州藩の古老に聞いた話を、やはり少し変えて使った前に出した「

」とこれと、来月出す「明君」とは皆、同じ人の集めてくれた材料である。

○同人は皆、非常に自信家のように思う人があるが、それは大ちがいだほかの作家の書いたものに、帽子をとることも、ずいぶんある。なんでもしっかりつかまえて、書いてある人を見ると、書いていることはしばらく問題外に置いて、つかまえ方、書き方のうまいのには、敬意を表せずにはいられないことが多い(そういう人は、自然派の作家の中にもいる)傾向ばかり見て感心するより、こういう感心のしかたのほうが、より合理的だと思っているから。

○ほめられれば作家が必ずよろこぶと思うのは少し虫がいい

○批評家が作家に折紙をつけるばかりではない。作家も批評家へ折紙をつけるしかも作家のつける折紙のほうが、論理的な部分は、客観的にも、正否がきめられうるから。(以上新思潮第九号)

ほど惜しいものはない先生は過去において、十二分に仕事をされた人である。が、先生の逝去ほど惜しいものはない先生は、このごろある転機の上に立っていられたようだから。すべての偉大な人のように、五十歳を期として、さらに

を進められようとしていたから

○僕一身から言うと、ほかの人にどんな悪口を言われても先生にほめられれば、それで満足だった。同時に先生を唯一の標準にすることの危険を、時々は

○それから僕はいろんな事情に妨げられて、この正月にはちっとも働けなかった働いた範囲においても時間が足りないので、無理をしたのが多い。これは今考えても不快である自分の良心の上からばかりでなく、ほかの雑誌の

編輯者へんしゅうしゃ

に、さぞ迷惑をかけたろうと思うと、実際いい気はしない。

○これからは、作ができてから、

うものなら遣ってもらうようにしたいと思うとうからもそう思っていたが、このごろは特にその感が深い。

○そうして、ゆっくり腰をすえて、自分の力の許す範囲で、少しは大きなものにぶつかりたい計画がないでもないが、どうも失敗しそうで、

したくなる。アミエルの言ったように、腕だめしに剣を

ってみるばかりで、一度もそれを実際に使わないようなことになっては、たいへんだと思う

○絶えず必然に、底力強く進歩していかれた夏目先生を思うと、自分のいくじないのが恥かしい。心から恥かしい

○文壇は来るべきなにものかに向かって動きつつある。

ぶべき者が亡びるとともに、生まるべき者は必ず生まれそうに思われる今年は必ず何かある。何かあらずにはいられない、僕らは皆小手しらべはすんだという気がしている(以上新思潮第二年第一号)

(大正五年三月―大正六年一月)

声明:本文内容均来洎青空文库,仅供学习使用"沪江网"高度重视知识产权保护。当如发现本网站发布的信息包含有侵犯其著作权的内容时请联系我们,我們将依法采取措施移除相关内容或屏蔽相关链接

}

我要回帖

更多关于 all坂本 的文章

更多推荐

版权声明:文章内容来源于网络,版权归原作者所有,如有侵权请点击这里与我们联系,我们将及时删除。

点击添加站长微信