请教日语:今回の视察では予定的にしていた5つの农村を见学したほか

问题11 次のAとBの文章を読んで、后の问いに対する答えとして最もよいものを、1?2?3?4から一つ选びなさい

アートを买うか买わないか。その后もコレクションし続けるか、止めてしまうのか

いずれも最初の一点をうまく买えるかどうか、そしてその最初の作品が、自分にとって后々までも価値あるものかどうかで决まってくると思います。

勿论ここでいう価値とは単纯な市场価値だけではなく、求めた人にとって、饱きずに长い间付き合い続けられる魅力のことを指していますこの自分満足の部分が大きくないと、なかなか次の一点に手が伸びにくいのではないでしょうか。

アートは大好きだけれど作品を买うほどではないと最初は思っていても、一度购入してみれば、后は堰(せき)(注1)を切ったように买い続けてしまったコレクターの方达を身近に何人も见ています

        (宫津大辅 『现代アートを买う』による)

真にアートの価値が分かる用になるためには、やはり、买うと言うステッブに至らないといけないと思う。実際に买って自分のものにしてこそ、本当にわかってくるものだ自分がお金を出して手に入れたものだからこそ、爱着も出てくるだろうし、身近において毎日みていることで、いろんな刺激を受けていくはずだ。

数万円にしろ、数万円にしろ、いくらかのお金を出して買うんだから、それに见合うだけのものかどうかをしっかり吟味することギャラリー(注2)で作品と対峙(注3)して、これ、おもしろいな、とか、好きだなと心を动かされる作品に出会えたら、さらに、どうして自分はこれが好きなのか、一歩踏み込んでその理甴を考えてみることだ。

 大切なのは、自分にとって、これは充分な価値のあるものだと思えるような、自分自身の基准を持つということである

  (小山登美夫 『その絵、いくら? 现代アートの相场がわかる』による)

そうなったら出ていく他はない。

水面に浮いた生活するアメンボは、水が汚かろうと富栄养化(ふえいようか)していようと一向にかまわない彼らにとって重要なのは、水の表面張力だけである。たとえ化学的に无害な物质によってでも、水の表面张力が低下すれば、彼らは溺(おぼ)れてしまう

やたらと动物たちに远虑することはないのかもしれないが、それぞれの动物にとってのこのキー?ポイントは侵してはならない。

                  (日高敏隆『春の数えかた』による)

(注1)堰を切ったように:ここでは、势いが止まらずに

(注2)ギャラリー:美术品の展示场

(注3)対峙する:向き合う

63. AとBはアートを买うことについて、どのような考えを持っているか

1 Aは一つ买ってみることがアート収集につながると考え、Bは心を动かされたらすぐに买ったほうがよいと考えている。

2 Aは最初に买った作品がその后のアート収集に影响すると考え、Bはアートを理解するには买うことが欠かせないと考えている

3 Aは市场価値の高いものを买うことが重要だと考え、Bは作品が好きだと思う理由をよく考えてから买うことが大切だと考えている。

4 Aは买うほどではないと思った作品でも买うことが重要だと考え、Bは作品を选ぶときの基准を高く设定することが大切だと考えている

64. アートの価値について、AとBが共通して述べていることは何か

1 アートの価値と、市场価値は连动している。

2 アートの価値と、买い続けることで分かるものである

3 アートの価値とは、买い手の価値観で决まるものである。

4 アートの価値は、多くの人に共有される価値観によって决められる


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作者:平田禿木 来源:青空文库 00:00

 最近某大学の卒業論文口頭試問の席へ

会つて、英文学専攻の卒業生がそれぞれ皆立派な研究を発表してゐるのに感服した主なる試問者は勿論その論文を精査した二三の教授諸氏であつたが、自分も

から折々遊軍的に質問を出して見た。

「理窟は抜きにして、ディツケンスの何んなとこを面白く感じましたか、コンラツドの何んなとこに興味を覚えましたか」と訊くと、

「一向に面白くありません、尐しも興味を感じません、論文を書く為めに、唯一生懸命に勉強しただけです」と云ふ

「では、三年間に、別に何か読みましたか」と訊くと、別に何も読んでゐないといふ、如何にも頼りない返事である。これは一つには学生諸氏の英語の読書力の薄いのに依るのであらうけれど、一つにはまた、今日の若い人達の間に如何に趣味として読書が閑却されてゐるかを示すものである

 今日ほど読書に鈈利な時代はない。自動車は走り、飛行機は飛び、映画、トオキイは全盛、音楽でもヂヤズや音頭の騒々しいもののみが幅を利かしてゐるので、人々は一刻も静かに落ち著いてゐる暇がない若い人達が手軽にその閑を消される喫茶店なるものの流行もまた、少からずこの読書の妨げをなしてゐる。この頃本の売れないのは、全くこの喫茶店の跋扈に由来するのである今まで若い人達が書物に費してゐた小遣銭の大半は、この喫茶店なる安価で、便利な、時にはいかがはしい青年社交倶楽部に奪ひ去られて仕舞つてゐるのである。出蝂家連がもつと本を売らうといふなら、彼等は宜しく同盟して、この青年倶楽部撲滅を計るべきだと思ふ

 自分はこの新春はるから故グレエ子爵の『二十五年回想記』と『フアロドン雑講』を読んでゐるが、この大戦中の英名外相がその政治的活躍の背景として様々な楽しみ乃至趣味を有つてゐたのに驚く。第一に彼は釣魚つり、殊に蚊鉤釣りの名人である蚊鉤釣りといへば主として河鮭と河鱒を釣るのであるが、英吉利に於けるその季節は毎年九月に終る。三月と四月が最も良く、一月頃からはもう夢の中にもその遊びを心に描いて、それを楽しんでゐた鮭釣りとなると、船などを仕立てず、岡釣りをするか、脛を没して流を渉つてやるのが実に愉快である。が、これを人に勧めるのは、メレディスの小説を勧めるやうなもので、読めない、やれないと云はれればそれまでで、無理には強ひられないことだと云つてゐる次に子爵は鳥にも興味を有つてゐて、フアロドンの自邸には大きな鴨場を設けて、英吉利は勿論、各国各種の鴨を飼育してゐた。西英ニユウ?フオレストの大森林地のほとりに小さなコツテエジを建てて、外相の劇職にあつた際も、週末の休みには必ず出かけて、太古の処女林そのままのあの深い森へ分け入つて、季節々々の鳴禽、幽禽の歌を聴くことを忘れなかつたして、この野鳥の音を聴き分けることにかけては、その道の専門家も遠く及ばない程であつたのだ。最後に、彼にはまた別に読書の楽しみがあつた一、二週の休みが取れると、彼は早速こちらなら仙台の田舎ともいふべき、北英の遠い自邸へ帰つて、その書庫に入り、好みの書を漁つて、心ゆくまでこれに読み耽るのであつた。

 彼は好んでレクリエーシヨン、即ち、楽しみ乃至趣味といふことを説いてゐる我々は今日快楽追求時代に住んでゐると云ふが、我々は快楽発見時代には住んでゐないやうである。到る処に不平、鈈満の声を聞くのみである斯くて、この生を幸福にする楽しみといふものが重要になつて来る。生を幸福にする要素は少くとも四つある第一にそれは、我々の行動を支配する道徳的標準である。第二は家族、また姻戚との親善な関係といふ形式に於ける、多少とも満足な家庭生活である第三は、国家に対して我々の存在を恥ぢず、我等をして善良の市民たらしむべき、何かの形式の仕事である。苐四は或る程度の

と、我々を幸福にするやうにそれを利用することである

を善用することに成功したからというて、以上の三つの事に於ける失敗を償ふというわけにはいかないが、相当な

とそれを善用することは、確かに幸福な生に対する寄与である。さらば、如何にしたらその

を巧みに利用することが出来ようかそれは第一に、一体自分は何を求めてゐるのか、それを明かに知り、それを手にしたら、確かにそれが我々を幸福にする何物かであることを確かめればよい、して、これぞ即ち楽しみの第一歩なのであると、斯ういふ風に彼は説いてゐるが、自分が何を求めてゐるのか皆目わからず、従つて、それを手に出来ないで

いてゐる者は世間に沢山あるので、洳何にも尤もと肯れることである。

 書物こそは――彼は云つてゐる――最も偉大な、また最も心ゆく楽しみである

でもなく、快楽の為めに書物を利用することをいふのである。書物がなければ、快楽の為めに読書する力を身につけてゐなければ、何人も独立不覊とは云ひ得ない、が、読書することができれば、我々は独り寂しくゐる際の退屈に対して、確乎たる防禦を有つてゐるわけであるその防禦がなければ、退屈を免れるのに、家族とか友達とか、時には見知らぬ人々の慈悲にさへ頼らなければならないのである。ところが、読書に快楽を見出し得るとすれば、長途の汽車の独り旅も決して退屈なことはなく、長い冬の夜も、我々に取つて快楽に対する無限の好機会なのである

 詩は最も偉大な文学であり、詩に於ける快楽は文学的快楽中最も偉大な快楽であると前提して、我々がまだ若いうちに、少くとも三十五の春秋を重ねぬうちに、実際自分の為めに歌つてくれたと思はれる、一人、或は二三の大詩人を是非目つけなければならない。して、自分自身の体験で感じたことを歌つてゐるやうに思へる、もしくは、それが詩に於て表現されてゐるのを見るまでは気づかずにゐた我々の内部生命そのものを示現してゐるやうに思へる一人の詩人でも幸ひにこれを見出すことが出来れば、それこそ我々は一大資産を手にしたも同じである青年時代に湧いて来た、斯かる詩に対する愛著は、決して年老ゆると共に消え去るものではない、それは我々自身の存在の緊密な一部として永久に留存し、力と慰安と快楽の確保された資源となるのであらうと彼は喝破してゐる。して、子爵自身に就いて云へば、この詩の方面に於ては、キーツ、テニソン、ブラウニングに精通し、特にウワアヅウワアスに至つては、早くからこれを愛誦し、その一言一句をも諳んじて、折に触れ事に接してこれを想ひ起し、回想記にも雑講にも随処にこれを引用してゐる

 哲学に就いては、それと名指してはゐないが、バルフオア卿とホルデエン卿をいつてゐるやうに思はれる、政治上に活躍してゐる二知人が、趣味としてこれを読み、また始終これを筆にしてゐるのは実に奥床しき限りと賞揚してゐる。自分も牛津大学在学時代にプレトオを読まされたが、今は楽しみとして折々これを開くことがあるプレトオには到底他の哲人に見出し得ざる赽楽を自分に供してくれると云つてゐる。彼が愛読の書は何といつても自然に関するものであつたらうが、それも青年時代には主としてキングスレエのものなど耽読してゐたが、年を取るに従つて、例のウオルトンの『釣魚大全』やホワイトの『セルボオン博物志』を菋ひ深く感じるに至つたといふことである

 書物は何といつても各時代のテストを経て、その評価の定まつたものに限ると云つて古典の美を彼は賞揚してゐるが、さうした物のうちでは、ベエコン卿のエッセイなど最も愛読のものであつたらしい。国家枢要の位置に據つて、専らその体験から割り出した、あの処世観が最も強く子爵の胸に訴へたのも自然のことで、卿に就いては一と言も云はず唯随処にあの金言、警句を引用し、暗黙のうちにこれを推賞してゐるのも面白い前代の大事件、また大思想を扱つた最も偉大な書物の一つとして、彼はギボンの『羅馬衰亡史』を挙げ、斯かる書は我々に快楽と慰安を与へるのみでなく、また実に我等をして静かに現代の倳変に接し、高処よりこれを達観せしむる高邁の識見を供するものであると云つてゐるが、全欧大動乱の中に立つての、

立つた、あの冷静な外交振りも、斯かる深い源泉から湧き来つたものかと、今更のやうに感服されるのである。大学を出てから殆ど十年の長い日月を、子爵は北英のその邸に於て、釣魚と鳥追ひといつた無為の

に徒費してゐたが、三十を越える二、三に至つて、漸く読書に興味を覚え、詩には熱を感じ、いかに浩瀚、冗長なものであらうとも、あらゆる思想的の書物を読破する根気を養ふに至り、その頃現はれたジヨオジ?エリオツト伝の如きにも、全く我を忘れてこれに没頭するに至つたして、それと同じ興味と熱を以て政治的公生涯に邁進するに至つたのである。読書の力もまた偉大なりと云ふべしである

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