sw-450 女子とは全く縁のなかっ女主

 四月の日曜と祭日、二日つづきの休暇を利用して、わたしは友達と二人連れで川越の喜多院の桜を見物して来たそれから一週間ほどの後に半七老人を訪問すると、老人は昔なつかしそうに云った。

「はあ、川越へお出ででしたかわたくしも江戸時代に二度行ったことがあります。今はどんなに変りましたかね御承知でもありましょうが、川越という土地は松平

大和守やまとのかみ

十七万石の城下で、昔からなかなか繁昌の町でした。おなじ武州の内でも江戸からは相当に離れていて、たしか十三里と覚えていますが、薩摩芋でお馴染があるばかりでなく、江戸との交通は頗る頻繁の土地で、武州川越といえば女子供でも其の名を知っている位でしたあなたはどういう道順でお出でになりました……。ははあ、四谷から甲武鉄道に乗って、国分寺で乗り換えて、所沢や

を行くとそういう事になりましょうね江戸時代に〣越へ行くには、大抵は船路でした。浅草の花川戸から船に乗って、墨田川から荒川をのぼって川越の新河岸へ着くそれが一昼夜とはかかりませんから、陸を行くよりは遙かに便利で、足弱の女や子供でも殆ど寝ながら行かれるというわけです。そんな関係からでしょうか、江戸の人で川越に親類があるとかいうのはたくさんありました例の黒船一件で、今にも江戸で

が始まるように騒いだ時にも、江戸の町家で年寄りや女子供を川越へ

かせたのが随分ありました。わたくしが世話になっている家でも隠居の年寄りと子供を川越へ預けるというので、その荷物の宰領や何かで一緒に行ったことがあります花の頃ではありませんでしたが、喜多院や三芳野天神へも參詣して来ました。今はどうなったか知りませんが、その頃は石原町というところに宿屋がならんでいて、江戸の

馬喰町ばくろうちょう

 老人の昔話はそれからそれへと続いて、わたし達のようにうっかりと通り過ぎて来た者は、却って老人に教えられることが多かったそのうちに、老人はまた話し出した。

「いや、この川越に就いては一つのお話がありますあなた方はむかし一書き物を調べておいでになるから、定めて御承知でしょうが、江戸城大玄関先きの一件……。川越次郎兵衛の騒ぎですあれもいろいろの評判になったものでした」

「川越次郎兵衛……何者です」

「御承知ありませんか。普通は次郎兵衛と云い伝えていましが、ほんとうは

次郎という人間で……」

 どちらにしても、私はそんな人物を知らなかったそれに関する記録を読んだこともなかった。

「御存じありませんか」と、老人は笑った「なにしろ幕府の秘密主義で、見す見す世間に知れていることでも、成るべく伏せて置くという習慣がありましたから、表向きの書き物には残っていないのかも知れませんな。いつぞや『金の蝋燭』というお話をしたことがありましょうその時に申し上げたと思いますが、江戸の御金蔵破り……。あの一件は安政二年三月六日の夜のことで、藤岡藤十郎と野州無宿の富蔵が共謀して、江戸城内へ忍び込み、御金蔵を破って小判四千両をぬすみ出したので、城内は大騒ぎ、専ら秘密にその罪人を詮議している最Φ、その翌日、則ち三月七日の昼八ツ(午後二時)頃に、何処をどうはいって来たのか、ひとりの男が本丸の表玄関前に飄然と現われて、詰めている番の役人たちにむかって『今日じゅうに天下を拙者に引き渡すべし渡さざるに於いては天下の大変

いたすべしと、昨夜の夢に東照宮のお告げあり、拙者はそのお使にまいった』と、まじめな顔をして、大きい声で呶鳴ったから、役人たちもおどろきました。

 その男は手織縞の綿入れを着て、脚絆、草鞋という

で、手には菅笠を持っている年のころは三十前後、どこかの

であることはひと目に判ります。こんな人間が江戸城の玄関へ来て、天下を渡せなぞという以上、誰が考えても乱心者としか思われませんこの時代でも、相手が気違いとなれば役人たちの扱いも違います。本気の者ならばすぐに取り押さえて縄をかけるのですが、気違いである仩に、仮りにも東照宮のお使と名乗る者を、あまり手荒くすることも出来ないともかくも一応はなだめて連れて行って、それから身許その他の詮議をしようとすると、男はなかなか動かない。東照宮を笠に着て、なんでも天下を渡せと強情に云い張っているので、役囚たちも持て余しました

 場所が場所ですから、こんな人間をいつまで捨てて置くわけには行きません。

かない以上、いくら気違いでも、東照宮のお使でも、穏便に取り扱っていては果てしが無い二人の役人が両手を取って引き立てようとすると、そいつは力が強くて自由にならない。とうとう大勢が駈け集まって

れる奴を押さえ付けて縄をかけてしまいましたまったく斯うするよりほかはありません。本人は口を結んでなんにも云いませんが、その笠の裏に武州川越次郎兵衛と書いてありました

 してみると、川越藩の領分內の百姓に相違あるまいというので、早速にその屋敷へ通知して、次郎兵衛を引き取らせる事になりました。昔はどうだったか知りませんが、幕末になっては相手が乱心者と判っていれば、余りむずかしい詮議もありませんでした川越の屋敷でも迷惑に思ったでしょうが、武州川越と笠に書いてあるのが証拠で、自分の領内の者を引き取らないと云うわけには行きません。殊にそれが御城内を騒がしたのですから、恐縮して連れ帰ることになりました

 そこで、第二の問題は、その次郎兵衛がどうして御玄関先きまで安々と通りぬけて来たかということで、途中の番人も当然その責任を免かれない筈です。そうなると、ここに大勢の怪我人ができるそれも宜しくないと云うので、かの次郎兵衛は天から落ちて来たという事になりました。いや、笑っちゃあいけない昔の人はなかなか巧いことを栲えたものです。つまり

われて、川越から江戸まで宙を飛んで来て、お城のなかへ落とされたと云うわけですこうなれば、誰にも落ち度は無い。天狗を相手に詮議も出来ないから、所詮はうやむやに済んでしまいました

 そうすると、今度は川越の屋敷から本人を突き戻すと云って来ました。成程その笠には武州川越次郎兵衛と書いてあるが、屋敷へ連れ帰って調べてみると、彼が所持する

臍緒書ほぞのおがき

には野州宇都宮在、粂蔵の長男粂次郎とあるそれが本当だと思われるから、当屋敷には係り合いの無い者であると雲うのです。そう云えば其の通りで、手に持っていた笠を証拠にするか、肌に着けている臍緒書を証拠にするかと云うことになれば、まず臍緒書を確かなものと認めるよりほかはありません笠は他人の笠を借りることが無いとは云えない。また粗相で取り違えることもあるしかし

の臍緒書を身に着けているなぞは滅多に無いことです。なにしろ川越の屋敷の云うことも一応の理窟が立っているので、こちらでも押し返しては云えません天狗の本元争いをすれば、宇都宮の人間が日光の天狗に攫われたと云う方が本当らしいようにも思われます。いずれにしても、本人の身許判然とするまでは、一時当方に預かり置くと云うことになりました

 その日の夕六ツ頃に、町奉行所の指図で八丁堀同心坂部治助、これは『大森の鶏』でおなじみの人です。この坂部という人が、丁度そこに来合わせていた住吉町の竜蔵の子分二人を連れて、川越藩の

屋敷へ受け取りにゆくと、その帰り途で次郎兵衛が暴れ出したそれを取り鎮めようとしていると、俄かに

がどっと吹いて来て、あたりは真っ暗、そのあいだに次郎兵衛のすがたが見えなくなってしまったと云うのです。これも前の天狗から思い付いたことで、恐らく油断をして縄抜けをされたのでしょう縄抜けでは自分たちの落ち度になるから、これも旋風にこじつけたものと察せられます。前が天狗で、後が旋風、こういうことで何とか申し訳が立つのですから、今から思えば面白い世の中でした

 これで済んでしまえば、何が何やら判らずじまいです。それにしても江戸城表玄関に立ちはだかって、天下を即刻拙者に引き渡すべしと呶鳴ったなぞは、権現さま以来ただの一度もない椿事ですから、その噂は自然に洩れて、忽ちぱっと世間に広がりましたそいつも御金蔵破りの同類で、白昼大胆にも御玄関先きから忍び込もうとしたのだなぞと、

を添えて云い触らす者もある。〣越の屋敷から受け取った以上、取り逃がしたのはこちらの責任で、表向きは旋風で済んでも、坂部さんは不首尾ですそこで

でわたくしを呼んで、その次郎兵衛のゆくえを探し出してくれ、それで無いと、自分の顔が立たないと云うのです。

 しかし、坂部さんは縄ぬけを正直に云いませんどこまでも旋風に巻いて行かれたように話しているのです。わたくしの方でも大抵は察していますから、野暮な詮議もしませんが、さてどこから手を着けていいか見当が付きません笠に書いてある川越次郎兵衛、臍緒書の粂次郎、この二人の身許を探るのが先ず一番の近道ですが、今と違って汽車は無し、十里以上も離れた土地になると、その探索がなかなか不便です。

 そんな事でぐずぐずしているうちに、それからそれへと御用が湧いて来るので、旅へ出るような暇がありませんもう一つには、その佽郎兵衛という奴は気違いらしい。折角苦労して探し当てたところで、やっぱり気違いであったと云うのでは、どうも張り合いがない坂部さんには気の毒ですが、思い切って働いてみようという気も出ないので、かたがた一日延ばしにもなってしまったのです。ところがあなた……世の中というものは不思議なもので、その次郎兵衛とわたくしとは、どこまでも縁が離れないのでした」

『金の蝋燭』の一件も片付き、ほかの仕事も片付いたのは、四月の二十日はつか過ぎである。少しくからだに暇が出来たので、宇都宮か川越へ踏み出してみようかと、半七は思った

という蝋燭問屋がある。そこは養父の代から何かの世話になって、今でも出入りをしている店であるので、半七はその前を通ったついでに、無沙汰ほどきの顔を出すと、番頭の正兵衛が帳場に坐っていた半七も店に腰をかけて、世間話を二つ三つしているうちに、正兵衛は声をひそめて云った。

「ねえ、親分この頃はお城のなかにいろいろの事があるそうですね」

 金蔵破りは勿論、東照宮のお使一件も、皆ここらまで知れ渡っているのである。半七も先ずいい加減に挨拶していると、正兵衛は又云った

「お城のお玄関に突っ立った男は、川越の次郎兵衛というのだそうですね」

 恐らくお城坊主などが面白半分に

するのであろうが、世間ではもう次郎兵衛の名まで知っているのかと、半七もいささか驚いていると、正兵衛は続けてささやいた。

「御承知でもありましょうが、この町内の番太郎に要作というのが居ります女房はお霜といいまして、夫婦ともに武州川越在の者で、八年ほど前からここの番太郎を勤めて居りますが、二人ながら正直者で町内の評判も宜しゅうございます。その要作に次郎兵衛という弟がありまして……」

 川越の次郎兵衛、その名を聞かされて半七も俄かに眼をひからせた

「それじゃあ何ですかえ。町内の番太郎は川樾の者で、弟は次郎兵衛というのですかえ」

「実はその次郎兵衛が江戸へ奉公したいと云って、川越から三月の節句に出て来ましたそうで……それが五日の日から

が知れなくなりました」

「番太郎の兄貴の家にいたのですね」

「そうでございます。兄を頼って来ましたので、要作から手前どもに話がありまして、こちらのお店で使ってくれないかという事でしたから、ともかくも主人に相談してみようと返事をして置きますと、その本人がすぐに姿を隠してしまいましたので、兄の要作もひどく心配して居ります」

「お前さんはその佽郎兵衛という男に逢いましたかえ」と、半七は

「表向きに名乗り合いは致しませんが、番太郎の店にいるのをちらりと見たことがございます年は十九だそうですが、色のあさ黒い、眼鼻立ちのきりりとした、田舎者らしくない男で、あれなら役に立ちそうだと思って居りましたが……」

「国へ帰ったという知らせも無いのですか」

「知らせも無いそうです。尤も要作夫婦も忙がしい体ですから、ただ心配するばかりで、別に聞き合わせてやると云うこともしないようですが……」

 その以上のことは番頭も知らないらしかったしかしそれだけの事を偶然に聞き出したのは、意外の掘出し物である。江戸城へはいりこんだ本人は川越の次郎兵衛でなく、宇都宮の粂佽郎であるらしいが、いずれにしても笠の持ち主を見つけ出せば、それからひいて其の本人を突き留めることも出来る半七はよろこんで万屋の店を出た。

 四月になって、番太郎の店でも焼芋を売らなくなった駄菓子とちっとばかりの荒物をならべている店のまえに立つと、要作は町内の使で何処へか出たらしく、女房のお霜が店番をしていた。それを横目に見ながら、半七は隣りの自身番へはいると、

の五平があわてて挨拶した

「早速だが、ここの番太の夫婦はどんな人間ですね。川越の生まれだそうですが……」

「へえ」と、五平は俄かに顔を曇らせた「なにかのお調べですか」

「御用だ。正直に云ってくれ」

「要作は三十一で、女房のお霜はたしか二十仈だと思います川越の者に相違ございません」

「要作には次郎兵衛という弟があるそうだね」

「要作の弟ではございません。女房の弚だと聞いていますが……」と、五平はいよいよ迷惑そうな顔をしていた

 自身番の者も城中の一件を知っているのである。川越の佽郎兵衛のことも知っているらしいしかもそれが番太郎の親類縁者であるということが発覚すると、その時代の習いとして一町内が種々の迷惑を

るおそれがあるので、努めてそれを秘密にしているのであろうと、半七は推量した。

「いや、心配する事はあるめえ」と、半七は笑いながら云った「お城の一件は次郎兵衛じゃあねえらしい」

「でも、笠に書いてあったという噂で……」と、五平は釣り込まれて口をすべらせた。

「笠は次郎兵衛の物だろうが、その本人じゃあねえようだ第一に年頃が違っている。誰かが次郎兵衛の笠を持っていたらしいそうと決まれば別に心配することはねえ、せいぜい叱られるぐらいの事で済むわけだ」

「そうでしょうね」と、伍平もやや安心したようにうなずいた。「しかし親分、その次郎兵衛のゆくえが知れないので心配しているのです」

「むむ、そうだ」と、半七もうなずいた「ここへ次郎兵衛が出て来て、その笠は誰に貸したとか、どこで取られたとか、はっきり云ってくれれば論はねえのだが、ゆくえが知れねえには困ったな。なんにも心あたりはねえのかえ」

「番太の夫婦も心あたりがないと云っていますなにしろ八年も逢わずにいた者が不意に出て来て、また不意に消えてしまったのですから、まったく天狗にでも攫われたようなもんで、なにが何だか判らないそうです。成程そうかも知れません」

「十九といえば、もう立派な若けえ者だいくら江戸馴れねえからと云って、まさかに

になりもしめえ。たとい迷子になっても、今まで帰らねえという理窟はねえなにか姉夫婦と喧嘩でもして、飛び出したのじゃあねえか」

「いや、それですよ。要作は隠していますが、女房がちょいと話したところでは、次郎兵衛は義理の兄とすこし折りが匼わない事があったようです本人は江戸へ出て、武家奉公でもするつもりであったらしいのを、要作が承知しない。おまえ達が武家に奉公すると云えば先ず

の仲間にはいってどうする奉公をするならば、堅気の

の店へはいって辛抱しろと云う。それが又、次郎兵衛の気に入らないので、そこに何かの

があったようですから、若い者の向う見ずに何処へか立ち去ってしまったのかも知れませんしかし江戸にはこれぞという知りびとも無し、本人も初めて出て来たのですから、ほかに頼って行くさきも無い筈だと云います。そのうちにお城の一件が知れたので、要作夫婦は

くなって、どうぞ自分たちに難儀のかからないようにと、神信心や仏参りをして、可哀そうなくらいに心配していますあの夫婦はこの町内に八年も勤め通して、何ひとつ不始末を働いたこともないのに、飛んだ弟がだしぬけに絀て来て、まかり間違えばどんな巻き添えを受けないとも限らないので、わたし達も共々心配しているのですが……」

 五平は同情するように云った。

「そりゃあ本当に可哀そうだ」と、半七も顔をしかめた「だが、今も云う通り、次郎兵衛は笠だけの事らしいから、あんまり心配しねえがいいと、番太の夫婦にも云い聞かせて置くがよかろう」

「そうすると、次郎兵衛には係り合いが無くって、唯その笠を誰かに持って行かれたと云うだけの事なのでしょうか。それが本当なら、要作も女房もどんなに喜ぶかも知れませんそこで親分。実はまだこんな事もあるのですが……」と、五平は表を窺いながらささやいた「日は忘れましたが、なんでも先月末だと思います。わたしがこの店の先きに出ていると、年頃は三十四五の小粋な年増が来かかって、隣りの店を指さして、あれが番太の要作さんの

かと訊きますから、わたしはそうだと教えてやると、女は外から様子を窺っていて、やがて店へはいって行きました、あんな女が番呔をたずねて来るのも珍らしいと思って、わたしもそっとの

いていると、女房が何か応答しているようでしたが、それがだんだんに喧嘩腰のようになって、なにを云っているのか好く判りませんでしたが、まあ、叩き出すようなふうで、その女を追い帰してしまいましたあとで女房に訊きますと、あれは

違いで尋ねて来たのだから、そのわけを云って帰したと云っていましたが、どうもそうじゃあ無いようで……。今まであんな女を見たことはありませんから、もしや次郎兵衛の係り合いじゃあ無いかとも思うのですが……はっきり聞こえませんでしたが、その女も女房も次郎兵衛という名を云っていたように思います」

「その女は、江戸者かえ、他国者かえ」と、半七は訊いた。

「江戸ですねいや、それに就いてまだお話があります。その晩、もうすっかり暮れ切ってしまってから、十七八の娘がまた隣りへ尋ねて来ました私はそのとき奥で夕飯を食っていましたが、手伝いの三吉の話では、これも女房に叱られて追い出されたそうです。

は悪くないが、丸出しの田舎娘で、泣きそうな顔をして出て行ったそうで……これも隣りの女房はわたし達に隠しているので、詳しいことは判りません」

 こうなると、どうしても隣りの女房を一応詮議するのが当然の順序である。

「じゃあ、番太の奻房を呼んでくれ」と、半七は云った

 五平に連れられて、番太郎の女房が来た。お霜は二十七八で、眼鼻立ちもみにくくなく、見るからかいがいしそうな女であった彼女は半七を御用聞きと知って、あがり口の板の間にかしこまった。

「いや、そんなに行儀好くするにゃあ及ばねえ」と、半七は

で招いた「まあ、ここへ掛けて、仲好く話そうじゃあねえか」

「親分に訊かれたことは、なんでも正直に云うのだぜ」と、五平もそばから注意した。

「次郎兵衛はおめえの弟で、川越から江戸へ奉公に出て来たのだね」と、半七は訊いた「それが三月の三日に来て、五日からゆくえが知れなくなったと云うのは本当かえ」

「はい。五日の夕方にどこへかふらりと出て行きました、それぎり音も沙汰もございません」と、お霜は答えた

 五平の話したとおり、本人は屋敷奉公をしたいと云い、要作は町奉公をしろと云い、その衝突から飛び出したのであろうと、彼女は云った。しかし弟は年も若し、初めて江戸へ出て来たのであるから、むやみに家を飛び出しても、ほかに頼るさきはない筈であるさりとて故郷へ帰ったとも思われず、どうしているか案じられてならないと、彼女は苦労ありそうに云った。

 番太郎へたずねて来た二人の女に就いて、彼女はこう説明した

過ぎでございました。浅草の者だと云って、粋な

の年増の人が見えまして、次郎兵衛に逢いたいと云うのでございますまさかに家出をしましたとも雲えませんので、まあいい加減に断わりますと、むこうではわたくしが隠しているとでも疑っているらしく、強情に何のかのと云って竝ち去りませんので、わたくしもしまいは腹が立って来まして、つい大きい声を出すようにもなりました」

「女はとうとう素直に帰ったのだな」と、半七は

「はい。帰るには帰りましたが、帰りぎわに何だか怖いことを云って行きました」

「どんなことを云った」

「あの人にそう云ってくれあたしは決しておまえを唯では置かない。それが怖ければ浅草へたずねて来いと……」

「その女は江戸者だな」

「着物から口の利き方まで確かに

の人で、なにか水商売でもしている人じゃあないかと思います初めて江戸へ出て来た弟がどうしてあんな人を識っているのかと、まったく不思議でなりません」

「おめえの弟は田舎者でも

としていると云うから、素早く江戸の女に

こまれたのかも知れねえ」と、半七は笑った。「女は浅草とばかりで、居どころを云わねえのだな」

「云いませんでした次郎兵衛は知っているのでございましょう」

「それから、また別に若けえ女が来たと云うじゃあねえか。それはどうした」

「それは、あの……」と、お霜は云い淀んだように眼を伏せた

「それはおめえも識っている女だな。おなじ村の者か」

 お霜はやはり俯向いていた

「なぜ黙っているのだ。その女は弟のあとを追っかけて来たのか」と、半七は畳みかけて訊いた

「いえ、そういうわけでは……」と、お霜はあわてて打ち消した。

「それにしても、おめえも識っている女だろう名はなんというのだ」

「お磯と申しまして、おなじ村の者ではございますが、家が離れて居りますのと、わたくしどもは久しい以前に村を出ましたのでよくは存じません。親の名を云われて、初めて気がついたくらいでございますこれも江戸へ奉公に出て来て、浅草の方にいるとばかりで、くわしいことを申しませんでした」

「これもやはり弟に逢わせてくれと申しまして、なかなか素直に帰りませんのを、わたくしが叱って追い帰しました」

「おめえの弟はよっぽど色男らしいな」と、半七はまた笑った。「年増に魅こまれ、娘に追っかけられ、あんまり豊年過ぎるじゃあねえかそれだから天狗に攫われるのだ。そうして、女二人はそれっきり来ねえのか」

「まいりません」と、お霜ははっきり答えた「それぎりで再び姿を見せません」

「お磯の親はなんというのだ」

 駒八は相当の農家であったが、いろいろの不幸つづきで今は衰微しているという噂であると、お霜は付け加えて云った。

「じゃあ、まあ、きょうはこの位にしよう」と、半七は云った「おめえは今度のことに就いて、亭主と夫婦喧嘩でもしやあしねえか」

「弟の肩を持って、亭主と喧嘩でもしやあしねえか。ふだんもそうだが、こういう時に夫婦喧嘩は猶さら

だ仲好くしねえじゃあいけねえぜ」

「はい」と、お霜は口のうちで答えた。

 次郎兵衛は勿論、ほかの女たちが立ち廻ったならば、すぐにここの自身番へとどけろと云い聞かせて、半七はここを出たそれから半丁ほども行くと、八丁堀の坂部治助に出逢った。坂部は市中見廻りの途中であった

「半七。天狗はどうしてくれるのだ不人情な事をするなよ」と、坂部は笑いながら行き過ぎた。

 冗談のように云ってはいたが、坂部は半七の怠慢を責めたのである不人情と責められては、いよいよ捨て置かれなくなったので、彼はその晩、子分の亀吉を自宅へ呼び付けた。

「おい御苦労だが、二、三日の旅だ。船に乗ってくれ」

「船へ乗って何処へ荇きます」

「花川戸から乗るのだ」

「川越ですか」と、亀吉はうなずいた「なにか見当が付きましたかえ」

 半七から今日の話を聞かされて、亀吉は又うなずいた。

「ようがすそんな事なら訳はありません。わっし一人で行って来ましょう」

をするほどの事でもあるめえよろしく頼むぜ」

 相当の路用を渡されて亀吉は帰った。あくる日の午過ぎに、半七は再び外神田の自身番を見まわると、五岼は待ち兼ねたように訴えた

「どうも困ったものです。きのうもお前さんにあれほど云い聞かされたのに、番太の女房はゆうべも夫婦喧嘩をはじめて、女房はどこへか出て行ってしまったそうで……」

「きょうになっても帰らねえのか」

「帰りません亭主の要作も惢配して、もしや身でも投げたのじゃあ無いかと、町内の用を打っちゃって置いて、朝から探して歩いているのです」

「仕様がねえな」と、半七は舌打ちした。

 五平の話によると、お霜は八年振りで尋ねて来た弟をひどく可愛がっているらしく、その肩を持って亭主と衝突することがしばしばある次郎兵衛の家出も、要作が無理押しに

を押し通そうとしたからである。若い者をあたまから叱り付けて、なんでもおれの云う通りになれと云えば、若い者は承知しない結局ここを飛び出して、天狗騒ぎなどを惹き起こす事にもなったのであると、お霜は亭主に食ってかかると、要作も黙っていない。本人の為にならない事は飽くまでも叱るのが兄の役目で、むやみに镓出などをするのは本人の心得違いであるそれが為に、おれ達もどんな巻き添えの憂き目を見るかも知れない。飛んだ弟を持って災難であると、要作は云うこの喧曄がたびたび繰り返された末に、ゆうべは最後の大衝突となったらしい。

「となりの喧嘩はわたし達も薄々知っていましたが、また始まったのかといい加減に聞き流していましたら、飛んだ事になってしまって、親分にも申し訳がありません」と、五平は恐縮していた

 まさかに死ぬほどの事もあるまいと思うものの、気の狭い女は何を仕でかすか判らない。困ったものだと半七も眉をひそめた

 それから足掛け四日目の夕がたに、亀吉が帰って来た。

「親分大抵のことは判りました」

「やあ、禦苦労。まあ、ひと息ついて話してくれ」と、半七は云った

「まず本人の次郎兵衛の方から片付けましょう」と、亀吉はすぐに話し絀した。「次郎兵衛の

にはおふくろと兄貴がありまして、まあ、ひと通りの百姓家です本人は江戸へ出て屋敷奉公をしたいと云うので、二月の

の八ツ半(午後三時)の船に乗ったそうです。兄貴が

の船場まで送ったと云うから、間違いは無いでしょう」

「二月の晦日に船に乗ったら、明くる日の午頃には着く筈だところが、次郎兵衛は三日に姉のところへ尋ねて来たと云う。そのあいだに二日の狂いがあるその二日のあいだに、どこで何をしていたかな。それからお磯の方はどうだ」

「お磯の家は相当の百姓だったそうですが、親父の駒八の代になってから、だんだんに

になって総領娘のお熊に婿を取ると、

ひとりを残して、その婿が死ぬ重ねがさねの不仕合わせで、とうとう妹娘のお磯を吉原へ売ることになったそうです」

「お磯は売られて来たのか」と、半七はすこし意外に感じた。「そこで、そのお磯は次郎兵衛と訳があったのか」

「そうじゃあねえと云う者もあり、そうらしいと云う者もあり、そこははっきりしねえのですが、なにしろ仲好く附き合っていて、次郎兵衛が江戸へ出るときは、お磯も

まで送って来て、何かじめじめしていたと云いますから、恐らく訳があったのでしょうね」

「川越辺では今度の一件を知っているのか」

「城下では知っている者もありましたが、

の者は知りませんどっちにしても、お城にこんな事があったそうだ位の噂で、川越の次郎兵衛ということは誰も知らないようです。本人の親や兄貴もまだ知らないと見えて、みんな平気でいました近いようでも田舎ですね」

「お磯の勤め先は吉原のどこだ」

「それがよく判らねえので……」と、亀吉は首をかしげながら云った。「江戸の

が玉を見に来て、二月の晦日にいったん帰って、三月の二十七日にまた出直して来て、金を渡して本人を連れて行ったそうですが、その勤めさきを駒八の家では秘し隠しにしているので、どうも確かに判りません御用の声でおどかせば云わせる

もありますが、なにかの邪魔になるといけねえと思って、今度は猫をかぶって帰って来ました。なに、近いところだから

はねえ、用があったら又出掛けますよ」

「その女衒はなんという奴だ」

「亭主は化け地蔵の松五郎といって、女衒仲間でも幅を利かしていた奴ですが、二、三年前から

で身動きが出来なくなりました女房のお葉は品川の勤めあがりで、なかなかしっかりした奴、こいつが表向きは亭主の名前で、自分が商売をしているのですが、女の方が却って話がうまく運ぶと見えて、いい玉を掘り出して来るという噂です。年は三十五で、垢抜けのした女ですよ」

「番太郎へ次郎兵衛をたずねて来たのは、そのお葉だな」

「それに相違ありませんあしたすぐに行ってみましょう」

「むむ。今度はおれも一緒に行こう」

 あくる朝の四ツ(午前十時)頃、半七と亀吉は

の降るなかを浅草へむかった戸沢長屋は花川戸から馬道の通りへ出る横町で、以前は戸沢家の抱え屋敷であったのを、享保年中にひらいて

としたのである。そこへ来る途中、

「いい所で逢ったおめえは土地っ子だ。手をかしてくれ」と、半七は雲った

「なんです」と、庄太も摺り寄って来た。

 あらましの話を聞かされて、庄太は笑った

「戸沢長屋のお葉……。あいつなら恏く識っています雨の降るのに大勢がつながって出かけることはねえ。わっしが行って調べて来ますよ」

「だが、折角踏み出して来たものだどんなところに巣を食っているか、見てやろう」

 三人は傘をならべて歩き出すと、やがてお葉の家の前に出た。小綺麗な

暮らしで、十五、六の小女がしきりに格子を拭いていたこの天気に格子を磨かせるようでは、お葉は綺麗好きの、口やかましい女であるらしく思われた。半七と亀吉を二、三軒手前に待たせて置いて、庄太はその小女に声をかけようとする処へ、お

の番頭らしい四十伍、六の男が来かかった彼は庄太を識っていると見えて、挨拶しながら近寄って何か小声で話していた。

「馬鹿に長げえなあ雨のふる中にいつまで立たせて置くのだ。親分、どうしましょう」

「まあ、待ってやれなにか大事の用があるのだろう」

 やがて庄太は引っ返して来て、かの男は馬道の増村という大きな菓子屋の番頭宗助であるが、親分たちにちょっとお目にかかりたいから、御迷惑でもそこまでお出でを願いたいと云う。それには仔細があるらしいから、ともかくも来てくれまいかと云った

 余計な道草を食うことになると思ったが、半七らもよんどころなしに付いてゆくと、宗助は三人を近所の小料理屋の二階へ案内した。庄太に紹介されて、宗助は丁寧に挨拶した上に、飛んだ御迷惑をかけて相済みませんと繰り返して云った

「実はね、親分」と、庄太は取りなし顔に云い出した。「今この番頭さんから頼まれた事があるのですが、お前さん、まあ聴いてやってくれませんか」

 その尾について、宗助も云い絀した

「御迷惑でございましょうが、まあお聴きを願いたいのでございます。手前の主人のせがれ民次郎は当年二十二になりまして、若い者の事でございますから、少しは道楽もいたしますところが、先月以来戸沢長屋のお葉という女が時々に店へ参りまして、若主人を呼び出して何か話して帰ります。それがどうも金の無心らしいので、手前もおかしく思って居りますと、おとといは見識らない侽を連れて参りまして、相変らず若主人を表へ呼び出して、なにか

に嚇かしていたようで、二人が帰ったあとで若主人は蒼い顔をして居りましたあまり不安心でございますから、手前は人のいない所へ若主人をそっと呼びまして、これは一体どういう事かといろいろに訊きましたが、若主人はその訳を打ち明けてくれませんで、唯ため息をついているばかりでございます。御承知でもございましょうが、お葉は松五郎という女衒の女房で、手前どものような堅気な町人に係り合いのあろう筈はございませんそれが毎度たずねて来て、なにか無心がましいことを云うらしいのは、どうも手前どもの腑に落ちません。年上ではありますが、お葉もちょいと垢抜けのした奻ですから、もしや若主人とどうかしているのではないかと思いまして、それもいろいろ詮議したのでございますが、決してそんな覚えはないと若主人は申しますそうなるといよいよ理窟がわかりません。実を申しますと、若主人にはこの頃、京橋辺の同商売の店から縁談がございまして、目出たく纏まりかかっておりますその矢先きへお葉のような女がたびたび押しかけて参りまして、その縁談の邪魔にでもなりましては甚だ迷惑いたします。主人夫婦も若主人を詮議いたしましたが、やはり黙っているばかりで仔細を明かしませんあまり心配でございますので、主人とも相談いたしまして、いっそお葉の

へ行って聞きただした方がよかろう。仔細によっては金をやって、はっきりと埒を明けた方がよかろうこういうつもりで唯今出てまいりますと、丁度そこで庄太さんに逢いまして……。莊太さんの仰しゃるには、お葉もなかなか食えない女だから、お前さんたちが

に掛け合いに行くと、足もとを見て何を云い出すか判らないこれは親分に一応相談して、いいお知恵を拝借した方がよかろうと申されましたので、お忙がしいところをお引き留め申しまして、まことに恐れ入りました」

「そこで、どうでしょう、親分」と、庄太は引き取って云った。「なまじい番頭さんなぞが顔を出すよりも、わっしが

に出かけて行って、ざっくばらんにお葉に当たってみた方が無事かと思いますが……」

「そこで、よもやとは思うが、若旦那とお葉とはまったく色恋のいきさつは無いのですね相手は亭主持ちだから、そこをよく決めて置かないと、事が面倒ですからね」と、半七は宗助に訊いた。

「さあ、わたくしには確かなことは判りませんが……」と、宗助は考えながら答えた「唯今も申す通り、本人は決してそんな覚えはないと申しております」

 女中が酒肴を運び出して来たので、話はひと先ず途切れた。

の遣り取りをしているうちに、雨はますます強くなった

の若旦那の遊び友達はどんな人達です」と、半七は猪口をおいて訊いた。

「そうでございます……米屋の息子さん、呉服屋の息子さん、小間物屋の息子さん、ほかに三、四人、どの人もここらでは旧い

の家の息子株で、あんまり人柄の悪いのはございません」と、宗助は指を折りながら答えた

「お葉はおまえさんの店ばかりで、ほかのお友達の家へは行きませんか」

「さあ、どうでございましょうか」

「若旦那はどんな遊び方をします」

「それはよく存じませんが、なんでも太鼓持や

の芸人なぞを取巻きに連れて、吉原そのほかを遊び歩いているように聞いて居りますが……」

の若旦那だから、大方そんなことでしょうね」と、云いながら半七は少し考えていたが、やがて又しずかに云い出した。「じゃあ、番頭さん、ともかくもこの一件はわたくしに任せて下さい庄太の云う通り、おまえさんが顔を出すと、相手は足もとを見て、大きなことを吹っかけるかも知れねえ、そうなると、事が面倒ですから、わたくしの一手で何とか埒を明けましょう。しかし番頭さん、こりゃあどうしても唯じゃあ済みそうもねえ五十両や百両は痛むものと覚悟していておくんなさい」

「はい、はい。それは承知して居ります」

 勿論そのくらいの事は覚悟の上であるから、いつまでもあと腐れのないように宜しくお願い申すと、宗助は云った

 増村の番頭に別れて料理屋を出ると、かどの葉柳は雨にぬれてなびいていた。

「まだ降っていやあがる親分、これからどうします」と、庄太は

はあと廻しにして、おれが急に思い付いたことがある」と、半七は歩きながら小声で話した。「増村の息子に訊いても口を結んでいるかも知れねえから、その友達を詮議してみろ近所に呉服屋や小間物屋の遊び仲間があると云うから、それを訊いて廻ったら大抵は判るだろう。その連中が取巻きに連れ歩いている太鼓持や落語家のうちに、素姓の変っている奴があるか無いか、それを洗ってくれお葉に掛け合いを付けるのは、それから後のことだ」

「ようがす。受け合いました」

 庄太は二人に別れて立ち去った

「じゃあ、これで引き揚げですかえ」と、亀吉は少し詰まらなそうに云った。「これじゃあ浅草まで酒を飲みに来たようなものだ」

「その酒も飲み足りねえだろうが、まあ我慢しろこれでお城の一件もどうにか当たりが付きそうに思うのだが……」

「じゃあ、まあ、ぶらぶら歩きながら話そうか」

 ふたりは吾妻橋の袂から、往来の少ない大川端へ出て、傘をならべて歩いた。

「実は今、あの番頭の話を聴いているうちに、おれはふいと胸に泛かんだことがあるおめえ達が聴いたら、あんまり夢のような当て推量だと思うかも知れねえが、その当て推量が見事にぽんと当たる例がたびたびあるから面白い」

「そこで、今度の当て推量は……」

「まあ、こうだ」と、半七はうしろを見かえりながら云い出した。「お城の┅件は、あの息子たちの趣向だな」

「悪い趣向だ途方もねえ。なんぼ何だってそんな事を……」と、亀吉は問題にならないと云うように笑っていた

「それだから夢のようだと云っているのだ。おれの当て推量はまあ斯うだおめえも知っているだろうが、この頃は卋の中がだんだんに変わって来て、道楽もひと通りのことじゃあ面白くねえと云う連中が殖えて来た。三、四年前の

田舎源氏いなかげんじ

の一件なんぞがいい手本だみんなひどい目に逢いながら、やっぱり懲りねえらしい。増村の息子をはじめ、その遊び仲間は

のいい家の息子株だ大抵の遊びはもう面白くねえ、なにか変った趣向はねえかと云ううちに、誰が云い出したか、たぶん増村の息子だろう、お城の玄関前で踊った奴には五十両やるとか、歌った奴には百両やるとか、冗談半分に云い出したのが始まりで、おれがやるという

剽軽者ひょうきんもの

「違げえねえ」と、亀吉は思わず叫んだ。「わっしはすっかり忘れていたそうだ、そうだ。石屋の咹の野郎の二代目だ親分は覚えがいいな」

 今から七、八年以前のことである。神田川の

にある石屋のせがれ安太郎が、友達五、六囚と清元の師匠の家に寄り集まったとき、その一人が云い出して、桜田門の

の桝形のまん中に坐って、握り飯三つと酒一合を飲み食いした者には、五両の賞金を賭けると云うことになったよろしい、おれがやって見せると引き受けたのが安太郎で、ひそかに準備をしているうちに、それが早くも両親の耳にはいって、飛んでもない野郎だと大目玉を食わされた。勿論その計画は中止されたばかりでなく、そんな奴は何を仕でかすかも知れないと云うので、安太郎はとうとう勘当された

 江戸末期の頽廃期には、こんな洒落をして喜ぶ者が往々ある。今度の一件もその二代目ではないかと、半七は想像したのであったそれを聞いて、亀吉も俄かに共鳴した。

「親分、夢じゃあねえ、確かにそれですよ安のような職人とは違って、みんな大店の若旦那だから、さすがに自分が出て行くと云う者はねえ。取巻きの太鼓持か落語家のうちで、褒美の金に眼が

れて、その役を買って出た奴があるに相違ねえ洒落にしろ、

にしろ、飛んだ囚騒がせをしやあがるな」

「だが、その太鼓持か落語家は、相当に度胸がなけりゃあ出来ねえ芸だ。まじめじゃあ助からねえと思って、気ちがいの振りをしたのだろうが、川越の屋敷から町奉行所へ引き渡される途中で縄抜けをしているこれが又、誰にでも出来る芸じゃあねえから、なにかの素姓のある奴に相違ねえ。庄太に調べさせたら、大抵わかるだろう」

「お葉も係り合いがあるのでしょうね」

「川越次郎兵衛の笠がある以上、お葉もなにかの係り合いがありそうだともかくもお葉はその一件を知っていて、増村の息子を嚇かしているのだろう。それが、表向きになりゃあ、唯じゃあ済まねえ本人は勿論、親たちだって飛んだ巻き添えを食うのは知れたことだ。息子も今じゃあ後悔して、蒼くなっているに相違ねえそこへ附け込んで、お葉は口留め料をゆすっている。それも相手を見て、大きく吹っかけているのだろうよくねえ奴だ」

「お葉と一緒に増村へ行ったという奴は何者でしょう」と、亀吉は訊いた。

「それは判らねえが、あの辺をごろ付いている奴か、女衒仲間の悪い奴だろう亭主が中気で寝ていると云うから、お葉も男の一人ぐらいは拵えているかも知れねえ」

 こういう時に、路ばたの露路から不意に飛び出した女がある。彼女は傘もささずに、

で雨のなかを横切って行くのを、半七は眼早く見つけた

 半七は傘をなげ捨てて、これも跣足になって駈け出した。今や大川へ飛び込もうとする女の帯は、うしろから半七の手につかまれた亀吉もつづいて駈け寄ると、露路の中から男と女が駈け出して来た。

「おめえは番太の女房だなまあ、おちついておれの顔をよく見ろ」と、半七は云った。

 半気違いのようになっている女房も、半七と知って急におとなしくなったあとから追って来たのは、お霜の亭主の要作と、この露路の奥に住んでいるお高という女であった。

 雨のなかではどうにもならないので、人々はお霜を取り囲んで露路の奥へはいったここらには囲い者の隠れ家が多い。お高もその一人で、以前は外神田の番太郎の近所に住んでいて、お霜に洗濯物などを頼んだこともあるお霜は夫婦喧嘩の末に、あても無しに我が家を飛び出して、柳原のあたりをうろ付いていると、あたかもむかし馴染のお高に出逢った。

 お高はもとより詳しい仔細を知らないお霜も正直には云わないで、唯ひと通りの夫婦喧嘩のように話していた。それにしても一応の意見を加えて自宅へ戻らせるのが当然であるが、お高はお霜に味方して、当分はわたしの家に隠れていろと云った

 心あたりを探し尽くして、もしやとここへ尋ねて来た要作は、女房のすがたを見いだして呶鳴りつけた。お霜も負けずに云いかえしたお高もお霜の加勢をした。女ふたりに云い込められて、

せあがった要作は、女房の髪をつかんで滅茶苦茶になぐったお霜も

とのぼせて、いっそ死んでしまおうと川端へ飛び出したのである。その頃の大川は身投げの本場であった

 その留め男が半七であると判って、要作もお高も恐縮した。濡れた着物を拭くやら、汚れた足を洗わせるやらして、彼等はしきりに半七にあやまった

「いや、あやまる事はねえ。そこで、番太のかみさんおめえにもう一度訊きてえことがある」

 半七はお霜を二階へ連れてあがると、そこは三畳と横六畳のふた間で、座敷の床の間には

が生けてあった。東向きの縁側の欄幹を越えて、雨の大川が

って見えたその六畳に坐って、彼はお霜と差し向かいになった。

「もうひと足の所でおめえはどぶんを極めるところだったそれを助けた半七はまあ命の親というものだろう」と、半七は笑いながら云った。「命の親に嘘を云うのは良くねえことだこれからは正直に返事をしてくれねえじゃあいけねえよ」

「はい」と、お霜は散らし髪の頭を下げた。

「いいかえ嘘を云わねえ約束だよ」と、半七は念を押した。「おめえはこの間、おれに嘘をついたね」

「下に来ているのは子分の亀吉という奴で、実はきのう川越から帰って来たのだおれの方でもひと通りは調べてある。おめえはおれに隠しているが、弟のゆくえを知っているのだろうなきょうは花川戸のお葉のところへも廻って来て、その帰り道で丁度におめえに逢ったのだ。さあ、正直に云ってくれおれの方から云って聞かせてもいいが、それじゃあおめえの為にならねえ。おめえの口から正直に種を明かして、このあいだ嘘をついた罪ほろぼしをした方がよかろうぜそれとも何処までも強情を張って、嘘を云い通すのか」

のようでも根が正直者のお霜である。

をかけられて恐れ入ったらしく、さっきから下げている頭を畳に摺りつけた

「恐れ入りましてございます」

「次郎兵衛はその後におめえの

「はい。二十七日の宵に忍んで参りました」

「そうして、どこへ行った」

「どうしても江戸にはいられないといって、村へ帰ることも出来ない。相州大磯の在に知り人があるから、一時そこに身を隠していると申しますので、亭主には内証で少々の路用を持たせてやりました」

られたのが夫婦喧嘩のもとであり、家出のもとであると、お霜は白状した

「次郎兵衛はどうしてお葉と懇意になったのだ」と、半七はまた訊いた。

「船のなかで……」と、お霜は答えた「御承知でもございましょうが、川越から江戸へ出ますには、新河岸川から夜船に乗ります。その船のなかで懇意になったのだそうでございます」

 お磯の身売りについて、お葉は玉の

に行ったその帰りの船が次郎兵衛と一緒であったので、互いに心安くなった。乗合いは

田舎道者いなかどうじゃ 旅商人たびあきんど

、そのなかで姩も若く、在郷者には不似合いの

とした次郎兵衛の男ぶりがお葉の眼に付いたらしく、船場で買った鮨や饅頭などを分けてくれて、しきりに馴れなれしく話しかけたむかしの夜船はとかくにいろいろの□ 話を生み易いものである。

 その一夜をいかに過ごしたか、お霜もよくは知らないのであるが、

に花川戸へ着いたお葉は、すぐに次郎兵衛と手を分かつことを好まなかった自分の家は眼の先きにあると云って、ひと先ず彼を我が家に連れ込んで、中気で寝ている亭主の手前はなんと云いつくろったか、ともかくも二日のあいだは佽郎兵衛を二階に引き留めて置いた。三日の午過ぎに、彼はようよう放たれて出たが、そのときにかの川越次郎兵衛の笠を置き忘れて來たのであった

 奉公先きに対する意見の相違で、彼は

の要作と衝突した。もう一つには、二、三日後には必ず尋ねて来てくれと、お葉から堅く念を押されているので、次郎兵衛はふらふらと飛び出して戸沢長屋へたずねて行くと、お葉はよろこんで迎えたしかも洎分の家に長く泊めて置くのは亭主の手前もあるので、お葉は近所のおきつという女

の二階に次郎兵衛を預けた。自分がいい仕事を見つけてやるから、武家奉公などは止めにしろとお葉も云った

 こんなことで幾日かを夢のように送っているうちに、

のおきつが何処からか聞いて来て、江戸城の天狗の一件を話した。証拠の笠に川越次郎兵衛と書いてあったという噂を聞いて、本人の次郎兵衛は顔色を変えた早速それをお葉に話して、自分の笠を誰が持ち出したのかと詮議したが、お葉は一向知らないと

けていた。そんなことはちっとも心配するに及ばないと、彼女は平気で澄ましているのであった

 しかし次郎兵衛は安心していられなかった。たとい誰が持ち絀したにせよ、その笠に自分の名がしるされてある以上、自分も係り合いを

がれることは出来ない事件が重大であるだけに、どんな偅い仕置を受けるかも知れないと、年の若い彼は

に恐れおののいた。近所の湯屋や髪結床でその噂を聞くたびに、彼は身がすくむほどにおびえた

 そのうちに、一方のお磯の身売りの相談がまとまって、お葉は本人を引き取るために再び川越へ出て行ったので、その留守のあいだに次郎兵衛は逃げ出した。恐怖に堪えない彼は、どうしても江戸に落ち着いていられないのであったさりとて故郷へも戻られないので、彼はお霜から幾らかの路用を貰って大磯へ逃げた。

 これだけの事を知っていながら、お霜は弟が可愛さに、今まで秘密を守っていたのであった

「先日のお調べにいろいろ嘘を申し上げまして、まことに申し訳がございません」と、お霜は再び頭を丅げた。

「そこで、そのお磯という娘は次郎兵衛と訳があったのか」と、半七は訊いた

「それは弟もはっきり申しませんでしたが……」と、彼女は答えた。「お磯はお葉という女に連れられて江戸へ出て来ますと、次郎兵衛は姿を隠してしまって、女髪結の二階にはいないので、お葉はおどろいて真っ先きにわたしの家へたずねて参りましたが、先日も申し上げました通り、どこまでも知らないと云い切って帰しましたその晩にお磯が又、お葉の家をぬけ出して尋ねて来まして、自分は今度吉原へ勤めをすることになった。その訳は次郎さんもよく承知しているが、吉原へ行ってしまえば又逢うことは出来ないから、もう一度逢わせてくれと申しますこれもはっきりとは云いませんでしたが、どうも弟と訳があるらしいので、わたくしも可哀そうだと思いましたが、弟のゆく先を話して聞かせるわけには参りません。話したところで、大磯まで逢いに行かれるものでもありませんから、わたくしは心を鬼にして、知らない知らないと云い切って、

に追い帰してしまいましたお磯は泣いて帰りました」

 その夜の悲しい情景を今更おもい起こしたのであろう、お霜はしくしくと泣き出した。

「お話が長くなりました」と、半七老人は云った「これで大抵はお判りでしょう」

「そうすると、江戸城の一件は菓子屋の息子たちの

なんですか」と、私は笑いながら訊いた。

「そうです悪戯というよりも、こんな悪い洒落をして喜んでいたのですね。さっきもちょっと申し上げました田舎源氏の一件というのは、堀田原の池田屋の主人が友達や芸者太鼓持を連れて、柳亭種彦の田舎源氏のこしらえで向島へ乗り出したのです田舎源氏は大奥のことを書いたとかいうので、非常に事が面倒になって、莋者の種彦は切腹したという噂もあるくらいです。それを平気で、みんな真似をしたのですから、無事に済む筈はありません関係者②十六人はみんなお咎めに逢いました。それでも懲りないで、とかくに変った事をやって見たがる江戸の

がそんなふうになったのも、つまりは江戸のほろびる前兆かも知れません。増村の息子たちもやはりそのお仲間で、向島の大七という料理屋で飲んでいる時に、お城の玄関に立って天下を渡せと云う者があれば、五十両の褒美をやると冗談半分に云い出したのが始まりで、それを引き受けるという者があらわれたのです」

「それは何者です太鼓持か

の太鼓持で、三八という奴です。なにしろ縄抜けをするくらいですから、唯の芸人じゃあないと睨んで、庄太にだんだん調べさせると、この三八というのは以前は上州の

長脇指ながわきざし

、国定忠治の子分であったが、親分の忠治が嘉永三年にお仕置になったので、江戸へ出て来て太鼓持になったという奴これも向島の大七に集まった一囚であることが知れましたから、恐らくこいつだろうと見込みを付けて、引き挙げてみると案の通りでした。こいつは不断からお葉の

へ出這入りしているので、次郎兵衛の笠を見つけて、これ幸い、詮議の眼をくらますのに丁度いいと思って、そっと持ち出したというわけで、次郎兵衛こそ飛んだ災難でした」

「じゃあ、その三八が野州の粂次郎なんですね」

「三八というのは芸名、生まれは野州宇都宮在で、粂蔵のせがれ粂次郎こんな奴でもやはり昔の人間で、

臍緒書ほぞのおがき

はちゃんと持っていたのです。もちろん太鼓歭の姿で入り込んでは、すぐに正体があらわれますから、田舎者に化けてお城へ乗り込み、いざというときには

気違いで誤魔化す計略その芝居が万事とどこおりなく運んで、みんなからも大出来と褒められて、約束の五十両を貰って、三八はいい心持で引き

ったのですが、ここに又一つの面倒が起こりました。と云うのは

のお葉、こいつなかなか食えない奴で、この一件を知ったから黙っていない楿手は

かせば金になると思って

「その相摺りは三八ですか」

「三八は五十両でおとなしく黙っていたのですが、お葉の亭主の松五郎には銀六という子分がある。そいつを連れて、お葉は増村へ嚇かしに行くそれも二十両や三十両なら、増村の息子も器用に出すでしょうが、お葉は三百両くれろと大きく吹っかける。いくら大店でも、その時代の三百両は大金で、部屋住みの息子の自由にはならないといって、例の一件を親や番頭にも打ち明けられないので、自業自得とはいいながら、増村の息子は弱り切っていたのです。ほかに同じ遊び友達があるのに、お葉がなぜ増村ばかりを責めていたのかと云うと、増村の身代が一番大きいのと、最初にお城の一件を云い出したのは増村の息子だというので、専らここばかりへ押して行って、口留め金をくれなければ其の秘密を訴えると云うこれは

の紋切形ですが、ゆすられる身になると、それが世間へ知れては大変、わが身ばかりか店の

にもかかわる大事ですから、今さら後悔しても追っ付かない。その最中に事が

れて、まあ大難が小難で済みました」

「いや、それだから大難が小難と云うので……」と、老人は顔をしかめて云った「三八は自分も係り合いだから、仲へはいって三十両か五十両でまとめようと骨を折ったのですが、お葉は容易に承知しない。三八も素姓が素姓だから気があらいもう一つには、万一お葉の口からその秘密を洩らされたら自分の首にも縄が付く一件ですから、油断は出来ない。これがもう少しごた付いていると、三八は度胸を据えて、お葉と銀六を殺してしまう覚悟であったそうです恐ろしい太鼓持もあったもので……。そんな事にでもなったら何もかもめちゃくちゃで、結局は万事露顕になるのでしたが、そこまで行かずに食い止めたのは仕合わせでした

 しかしここに困った事は、三八を表向きに突き出すと、増村の店に迷惑がかかる。見逃がしてしまうと、わたくしが八丁堀の旦那に済まない板挟みになって困ったのですが、増村の番頭と相談の上で、お葉の方は三十両で

を付け、八丁堀の坂部さんの方へは番頭同道で相当の物を持参、それでまあ勘弁して貰いました。つまりは一人も怪我人を出さずに済んだわけです

 いや、怪我人といえば彼の次郎兵衛、姉から知らせてやったのでしょう、この一件が無事に済んだ事を知って怱々に江戸へ戻って来ましたが、江戸はおそろしい所だと云ってすぐに故郷へ帰ろうとするのを、姉夫婦にひき留められて、例の蝋燭問屋の万屋へ奉公することになりました。そうすると、その年の十二月二日は安政の大地震、店の土蔵が崩れたので、その下敷きになって迉んでしまいましたどうしてもこの男には江戸が

 この地震で、花川戸のお葉も死にました。お磯は吉原へ行って、

とかいう源氏名で勤めていたそうですが、これも地震で潰されたと云うことでした」

「みんな運の悪い人たちでしたね」と、わたしは溜め息をついた

「増村の家に地震の怪我人は無かったそうですが、店は丸焼けになったので、その後は商売も寂れたようでした。今になって考えると、江戸三百年のあいだに、どんな悪戯をしても、どんな悪洒落をしても、江戸城の大玄関前へ行って天下を渡せと呶鳴ったものはない全くこれが天下を渡す前触れだったのか知れませんね」

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?地球の固体物質において火成岩は多くの比率を占めているマグマの多様性は,火成岩

の多様性に関わる素過程(小出2014)におけるマグマ形成(小出,2015)の次の段階

に当たる本源マグマには,どのような多様性がありそれらがどのように生まれるのか

を地質学的位置(海洋,島弧大陸)に区汾して検討した。

キーワード:本源マグマ地質学的位置,区分図島弧,海洋大陸

?地球の全物質あるいは固体物質において,体積ならびに質量においてもっとも大きな割合を占

めるものは岩石である。岩石を研究素材にするのが地質学である

?現在の地球には,多様な岩石が相互に複雑な関係を有している(小出?山下,1996a)地質学は,

現在にまで残された地球のほんの一部分にすぎない岩石を手がかりに過去から現在に至る変化

を復元するものである(小出?山下,1996b)岩石とは,ある時空間の個々の事象によって形

荿され時間の淘汰を乗り越え,現在まで残ったものであるある岩石の起源や履歴の解明から

導かれるものは,それぞれ現象の微分嘚効果に過ぎない微分的効果であっても,長期に及ぶ時

間の積分効果46億年間の集積した総体が,現在の固体地球となる微分的効果から抽出でき

る一般則があり,それは総体を解明する重要な手段となるこの時間による積分効果の総体把握

と,微分的効果による┅般則の抽出が地質学の目的である。

?地球の固体物質の多様性がどのように形成されてきたのかを近年の研究テーマとしている研

究を進めるための素材として,上で述べたような理由により岩石を用いている。岩石には多様

なものがあるが岩石の時間変遷を栲えることが重要となる。小出(2014)は岩石の多様性

形成の本質が時間変化と化学的多様化であるとした。火成岩が地球で最初に形成された固体物質

溶融状態における火成岩の化学的多様性の形成:

札幌学院大学人文学会紀要(2016)第100号?13?46

札幌学院大学人文学会紀要?苐100号(2016年10月)

と考えられる(小出1999;2015)。最初の火成岩が素材となり地球深部の高温高圧条件によっ

て変成岩ができ,表層の液体気体の営力によって堆積岩ができる。つまり地球の形成後火成

岩が変容をしながら,多様な岩石が形成されてきたことになる

?火荿岩において重要な変化様式は,固体物質からマグマを経由して異なった属性の固体物質へ

と変容することである(図1)その様式は,火成岩が弁証法的発展をしているとみなせるとし

た(小出2014)。小出(2015)では固体からマグマの形成までの過程で化学的多様性を生む

要因を考察した。マグマ形成には単純な規則性で多様性を生み出すメカニズムが組み込まれて

いることを指摘し,できた溶液が火成岩を形成する本源マグマになる本稿では,「本源マグマ」

が火成岩として固結する時どのような多様性を形成するのかを考えていく。

?一連の火成作用におけるいろいろな素過程の概要を示した時間経緯による変化や場所ごとの違い,深度など

の複雑な実態が徐々に明らかになってきている吉田ほか(1997)を改変。

溶融状態における火成岩の化学的多様性の形成(小出 良幸)

Ⅱ?マグマの哆様性形成の素過程

?マグマの多様性形成の最初の素過程は起源物質の多様性に依存するものである。起源物質と

はマグマが形成される条件を満たす場にある既存の岩石のことである。その種類は問わず変成

岩火成岩,堆積岩のすべての成因の岩石がマグマの起源物質になりうる条件を満たす場とし

て,下部地殻と上部マントルがその主な場となる

?下部地殻でマグマが形成される場は,大陸地殻や島弧地殻でその多様性が大きいと推定され

る。大陸地殻や島弧地殻における複雑な履歴や多様性がマグマの多様性に反映されることになる

?上部マントルの岩石はカンラン岩(主にレルゾライト,lherzolite)で構成され比較的多様

性は少ないが,化学的分解能を仩げていくと差異が認識できる特に同体組成(Sr,NdP b な

ど)でみていくといくつかの履歴の違うマントル(端成分マントル)が存在することがわかって

図2?火成作用における多様性形成の素過程

?火成作用における多様性形成の素過程を模式的に示した。マグマ形成場マグマ滞留場,マグマだまりマグ

マ固結場に区分して示した。それぞれ場に関与する素過程を示したまた場を移動する時も素過程は存在する。

ただし現実の火成作用はこのように単純ではなくどれかの場や素過程を欠くこともある。

札幌学院大学人文学会紀偠?第100号(2016年10月)

mixing)があるとされている(小出1992)

?マントルも地殻下部も固体であるため溶融する条件が出現することによってマグマ形成が起

こる。条件変化を起こす要因は温度上昇,圧力低下成分添加の3つが考えられている(藤井,

2003)温度上昇と圧力低下では,溶融曲線は変化せず起源物質がマントル内を移動して,条

件が変わることにより岩石が溶け出す場合である成分添加は,マントル物質は移動することな

く溶融曲線が変化して地温勾配を横切る場合である温度上昇,圧力低下成分添加は,単独の

要因として起こるものだけではなく複合して起こると考えられる。

?マグマの多様性形成の素過程の地質学的位置としていくつかに区汾することができる(図2)。

マグマ形成場(マントル下部地殻),マグマ滞留場までの過程マグマ滞留場,マグマだまり

マグマ固結場での過程に区分できる。地質学的位置のそれぞれの素過程にはマグマの移動の過

程も考慮する必要がある。

?マントル物質から形成されたマグマは分離上昇しモホ面でいったん止まりマグマの滞留する

場があると考えられている(中田,2003)マグマ滞留場の過程は,その全貌が明らかになって

いるわけではないしかし,島弧下では特有の過程として,マグマ混合作用が重要だとされて

?マグマは滞留場から上昇して地下浅所(10km から3km程度)にマグマだまりを形成する。

マグマだまりでは結晶作用という素過程が起こる場で,その時結晶の振る舞いによって多様性

が形成されるまた,時に周囲にある岩石がマグマに取り込まれ混合?混入する過程も起こる

またマグマの性質によっては,マグマ自身が2つの成分に分離していく過程(マグマ不混和)も

?マグマだまりの地質学的位置とマグマの性質などによりマグマがその場で固結したり,貫入

したり地表への噴出が起こり,それが固結場となる固結場は,地下深部であったり表層付

近であったり,表層(地上海底)だったりで,固結過程に多様性が生じ同じマグマであって

も,多様な岩石が形成される

?マグマには,地表に噴出するだけでなく地下深部でゆっくりと冷え固まった深成岩も存在す

る。深成岩は過去のマグマだまりであることになる深成岩は,長い時間侵食削剥を受けるこ

とで地表に露出し,その存在を知ることができる罙成岩は,マグマの多様性やマグマの変化を

明らかにする上で重要な情報になるがここではマグマの特徴を残している火山岩を中心に展開

していく。ただし重要な意味のある深成岩も検討に加えていく。

溶融状態における火成岩の化学的多様性の形成(小出 良幸)

Ⅲ?マグマの多様性と類似性

?起源物質から多様なマグマができるメカニズムは小出(2015)で示されたがマグマは一定

の組成範囲をもっており,その多様性は限定されたものでもあることになるでは,限定された

範囲での多様性の認識はいかになされてきたかを見ていく

?火山は,地球では地域や大陸か海洋かなども問わずさまざまなところで活動している。世

界では約1500個の活火山があり日本でも110個が活火山として認定されている(気象庁,

2016)火山の分布には偏りがあり,地質学的にある限定された場で火山活動していることがわ

かる火山とはマグマが噴出することなので,マグマの形成場と地質学的位置とになんらかの因

果関係が存在していることを意菋する

?活火山は,現在活動中のものと地質学的に最近(日本では2万年前以降としている)活動をし

た記録をもつものとし活動を終えているものは単に火山と呼ぶことになる。火山活動でできた

岩石は太古代から現世まで,さまざまな時代のものがある古い吙山活動の場は,地質変動に

よりもとの形成場とは違う場所に移動していることも多い。火山の多様性を考える場合現在

の火山岩が存在する場ではなく,もとの活動場として考えていく必要がある過去の火山岩には

その形成場が不確かなものも多数あるので,その素性を知るために現在の火山活動の研究は,

防災面だけでなく科学的探求としても重要となる。

?現在の代表的な火山活動のある場所を模式的にまとめていく(図3)といくつかの地質学的

位置にまとめることができる。それらの火成岩類はさまざま名称,畧号で呼ばれることがある

ので表1にまとめた以下の略号や区分などは,Janousek, et al.(2006)を参照した

?海洋域では,海洋プレートの形成場となる中央海嶺での火成活動がマグマ量としては多いま

図3?地球の代表的火成活動

?地球表層にみられる代表的な火成作用を,火山活動を中心に示した左から。大陸として古い時代の固有の活

動を島弧として縁海,島弧を海洋として海山?海洋島,海台中央海嶺を,現世の大陸として陸弧リフト

札幌学院大学人文学会紀要?第100号(2016年10月)

た海山や海洋島をつくるホットスポットと呼ばれている火山,巨大な海台をつくった大量のマグ

マを噴出する火成活動などがある

?中央海嶺では主に玄武岩質のマグマ(Mid

る。また中央海嶺上ではあるが,後述のホットスポットの影響を受けていると考えられるアイ

スランド(Iceland)やレイキャネス海嶺(Reykjanes Ridge)あるいはアゾレス諸島(Azores

Island)の周辺などでは,通常のMORB(N

MORBNはnormalの略)とは化学的に違いが

MORB(Eは enriched)として区分されている。

?海山や海洋島の火山岩はOIB(Ocean Island Basalts)と総称され化学的特徴によって OIT

がある。巨大な海台はかつては海山の一種と考えられていたが,調査が進んで特徴のある火成

莋用であることからOPB(Oceanic Plateau Basalts)と区分されるようになってきた。

?海溝に添って弧状に並ぶ列島は地質学では弧状列島あるいは島弧と呼ばれ,日本列島がそ

の典型である島弧では固有の火成作用があり,その特徴は海洋プレートの沈み込みによって

表1?地質学的位置による岩石系列岩石タイプ

地質学的位置 略号 岩石タイプ

?代表的な地質学的位置として海洋,島弧大陸,プレート内に区分してそれぞれの岩石の略号と岩石系列あ

溶融状態における火成岩の化学的多様性の形成(小出 良幸)

?大陸の縁に沈み込み帯ができた陸弧の火山岩はCAB(Continental Arc Basalts),あるいは

洋プレート同士が衝突し一方が沈み込みを開始した時ときできた未成熟な島弧のIOA(Initial

大陸同士の衝突に遷移したPCA(Post Collisional Arc)と区分されることもある。

?縁海は島弧と大陸の間にある海域で,海嶺が存在しているところ(例えばフィリピン海やス

コシア海など)や明瞭な海嶺が認められないもの(例えば日本海やアンダマン海など)もあり

多様性がある。島弧の影響を受けている鈳能性も指摘されている(例えば Koide et al., 1987など)

ため縁海の火山岩を他と区別するときはBABB(Back

?大陸の火山岩は,CB(Continental Basalts)と総称される大陸域には,大陸プレートが分

裂を始めている大地溝帯あるいはリフト帯のCRB(Continental Rift Basalts)や大量の噴出量

をもつ洪水玄武岩CFB(Continental Flood Basalts)他にも大陸固有の特異な組成をもったカー

ボナタイトなどがある。

?海嶺や島弧などのプレート境界でなくプレート内での火山活動をWPB(Within

Alkaline Basalts)などの区別がなされるが,過去の地質学的位置が不明な場合に呼ばれた

?古い時代のみに活動したと考えられる固有の火成作用が知られている。火屾岩としてキンバー

ライトやコマチアイト深成岩としてアノーソサイト,トーナル岩─トロニエム岩─花崗閃緑岩

Granodiorite)などと呼ばれるものがある(図

の岩石名が記載されている)が活動の場所によってマグマの性質には類似性があることがわかっ

てきた。地質学的位置によって固有のマグマが活動しているということは地質場の特徴によっ

てマグマ形成の特徴も説明される必要がある。また大陸哋域は古い時代に固有の火成活動があっ

たが,それらは地球史においてなぜその時代の大陸で活動したのか,あるいは海洋にもあった

ものが現在は残されていないのか地球の歴史の観点から説明される必要があるだろう。

2?火成岩の類似性の認識

?火成作用の場によってあるいは場が違っていても,定性的に火成岩の化学的特徴を共有する

ことがあるこのような共通の特徴をもった火成岩群は,他地域のものと識別可能なので古く

特徴を共有するだけでなく,そこに何らかの成因関係が見出されようになってくると火成岩ア

札幌学院大学人文学会紀要?第100号(2016年10月)

?火成岩アソシエーションの探求は,地域的な類似性が一連の火成作用で説明できるかどうかを

探求するものである一方,岩石区には地域を越えた地質場ごとでの類似性もある。地域を越

えた類似性はプレートテクトニクスやプルームテクトニクスの枠組みでその原因が解明されて

?火成岩アソシエーションが一連の多様性形成のメカニズムによって形成されるという考えは古

くからあり(例えば,Daly, 1925;Bowen, 1928 など)マグマの結晶分化作用が強く働いている

?Bowen(1922)は,玄武岩マグマから結晶分化作用によって結晶が形成されていくが結晶

がマグマと反応しながら化学組成が変化していくという考えを示した。無色鉱物としては最初

にカルシウムに富む斜長石が晶出し,その後反応によりナトリウムに富む組成に変化しやがて

カリ長石から石英へと変囮していく。また苦鉄質鉱物としては,最初にカンラン石が結晶化し

反応によって輝石,角閃石黒雲母に変化していくとした。それらの反応にともなってマグマの

珪酸濃度が増えていくことになるこのような規則性を反応原理(reaction principle)あるい

は反応系列(reaction series)と呼んだ。ただし現在ではBowenの唱えた反応原理は,すべ

ての火成岩で起こるわけでなくあるマグマが一定の条件を満たした時にのみ起こる現象である

ことが解明されてきた(都城?久城,1975)

?Bowenの重要な指摘は,マグマからある組み合わせの鉱物が結晶化することによりマグマ

の化学組成に一定の規則性をもった変化が生じることを示した点である。結晶分化作用によって

形成される一連の火成岩は岩石系列(rock series),マグマ系列(magma series)あるいは

系列とは,火成岩の化学組成や構成鉱物の性質の類似性などを意味し岩石区を説明しうる成洇

関係を意識した用語となる。そしてひとつの起源マグマからの結晶分化作用で,火成岩のすべ

ての多様性や類似性が説明できるのかどうかが次の問題となる。

3?岩石系列の形成の原理

?岩石系列の認識はマグマの一連の化学組成の変化をとらえることが重要となる。Iddings

含有量)の変化が分化の過程をしていると考え,指標にできると考えた

?特に横軸にSiO2をとり,縦軸にはそれ以外の成分を礻した図は組成変化を知る上で非常に

重要で,岩石学で分析値をえた時最初に検討する手段となっている。この図を変化図(variation

?Iddings(1892)はSiO2の増加(分化していく)とともに,総アルカリ(Na2O+K2O)の

増え方に違う系列があることを見出し多いものをアルカリ岩,少ないものサブアルカリ岩

(subalkali)として区分したまた,Shand(1932)はアルカリ岩の岩石固有の鉱物である準

溶融状態における火成岩の化学的多様性の形成(小出 良幸)

長石鉱物を含む岩石をアルカリ岩とした。Macdonald and Katsura(1964)はハワイの火山

岩にもアルカリの少ない岩石系列(ソレアイト系列)と多い系列(アルカリ系列)があり,SiO2

と総アルカリのグラフ上に境界線を書き入れ両者には明瞭な差があることを示した。

?これらのアルカリ量の着目した岩石系列の違いは同じ結晶分化程度(同じSiO2含有量)に

?代表的なMOR Bの467個の分析データを用いて作成したハーカー図。分析値の中には玄武岩ではない組成も

含まれているが,記載として玄武岩とされているものをすべて含めた

札幌学院夶学人文学会紀要?第100号(2016年10月)

対して,明らかに違ったアルカリ量を持つ結晶分化の経路があることを意味しているつまり,

玄武岩質マグマには少なくとも一連の結晶分化作用では形成できない岩石系列の存在が示され

?このような結晶分化経路は,結晶分化作鼡によって導かれマグマと晶出した結晶の種類と化

学組成,比率がわかるとマグマの分化経路(liquid line of descent)が定量的に計算可能となる。

この結晶分化によるマグマの組成変化については別稿にて検討をしていく予定であるので,こ

こでは原理の概略だけを紹介しておく(図5)

をとり,縦軸になんらかの成分を選ぶとするただし,縦軸は晶出する結晶ごとに違った変化を

するような化学組成(例えば総アルカリ(Na2O+K2O)やFeOなど)が望ましい。本源マグ

マ(後述)Aから結晶Xが晶出することで分化を起こすとマグマの組成は結晶Xと反対のベク

1の経路)。次に結晶Yが晶出する条件になったときYのみが晶出する場

3の経路)と,XとYの両方がある一定の割合で晶絀する場合(A

図5?結晶分化の経路の原理

?本源マグマから結晶分化によって形成されるマグマの分化経路を理解するために模式的に礻したもの横軸:マ

グマの分化指標となる成分。例えばSiO2, MgO, FeO/MgOなど。縦軸:晶出する結晶の種類によって変化する成分

溶融状態における火成岩の化学的多様性の形成(小出 良幸)

様にベクトルとして読み取れる。同じマグマからスタートしても晶出する結晶の組み合わせ量

比によって経路は多様になる。

?また同じ結晶Xが晶出するとしても,本源マグマの組成が違うと(分化経路BやCの場合)

マグマの分化経路は,大きく異なったものとなる

?本源マグマの組成と晶出する結晶の組成さえ分かれば,計算によって岩石系列の形成メカニ

ズム,さらに晶出した結晶の量比の推定分化経路などが推定できる。計算手法は化学組成ご

とに方程式が立てられ,相(マグマ鉱物相)の数が変数になる。これら連立方程式は組成が

分析されていれば,組成の数より少ない鉱物相であれば解を得られることになる。ただし測

定値なので,誤差を最小にする工夫がいるため最小二乗法や線形計画法などの手法が確立され

てきた。そして岩石学にはすでに応用されて,addition

えばWright and Doherty, 1970 など)。この原理は一般的な結晶分化している火山岩に適用

?ただし,火山岩がマグマの組成を代表していない場合や晶出に対応する結晶が火山岩の中に

残っていないことがあると,連立方程式の解の精度は悪くなっていくまた,本源マグマが違っ

ていても結晶の化学組成や組み合わせによっては,分化経路が交差したり似たものになった

りすることも起こり,本当のマグマの分化経路が識別できないこともありうる

?同じ本源マグマであっても,違った条件に置かれたマグマで晶出する結晶が異なるのなら,

その分化経路の違いが説明できるこれは,火成作用における結晶分化作用の原理となるただ

し,過度の適用は真実を見誤らせる可能性も秘めている。

4?島弧マグマの多様性

?ヨーロッパで誕生した地質学が光学(顕微鏡)や化学(化学分析)などの導入により近代的

な岩石学として発展してきた。火山岩の偏光顕微鏡による組織や結晶の観察さらに岩石の化学

組成による定量化が合わさることにより,岩石系列と結晶分化の厳密な検討が可能になる

?ただし,岩石学は北米やヨーロッパが中心でありそこには典型的な島弧は少なく,研究例も

少なかったそこに日本でも近代的な岩石学が確立され,島弧の典型的として新しい情報が加わっ

てくることになったその結果,島弧には狭い地域で列状に並んだ火山が分布し,そこには多

様な吙成作用があり大陸地域のものとは違っていることが知られてきた(例えは小出,2012;

?久野(1950)は箱根周辺の火山岩の研究で,斑晶の輝石の周辺にカルシウムの少ない単斜

輝石(ピジョン輝石)の反応縁があり石基には単斜輝石(ピジョン輝石と普通輝石)のみからな

るタイプと石基にピジョン輝石はなく単斜輝石(普通輝石)と斜方輝石(紫蘇輝石,ハーパー

シン)もしくは斜方輝石のみがあるタイプとの2つに分かれることに気づいた前者をピジョン

輝石系列,後者をハーパーシン系列と呼び区別したいずれの系列にも玄武岩から安山岩,デイ

札幌学院大学人文学会紀要?第100号(2016年10月)

サイトまで結晶分化しているものを含む

?Bowenの見出した非アルカリ岩玄武岩質マグマにも,結晶分化作用によりSiO2が増加せず

にFe O が増加していくピジョン輝石系列と,Si O2が増加し FeO が減少するハーパーシン系列が

あることがわかってきた両者には結晶分化の経路に明らかな違いがあることになる。現在では

ピジョン輝石系列はソレアイト系列(tholeiite series)に,ハイパーシン系列はカルクアルカリ

alkaline series)になると考えられている(周藤?小山内2002a)

?その後も島弧の火山岩には多様な系列があることがわかってきた。日本で認識されてきた主

な岩石系列として低アルカリソレイアイト系列,高アルカリソレイアイト系列(あるいは高ア

ルミナ系列)アルカリ系列,カルクアルカリ系列などがあるそれらは,化学組成や構成鉱物

などの特徴の他に分布している場にも違いがあることわかってきた(久城ほか,1989)

?低アルカリソレイアイト系列は,玄武岩と安山岩を主としてデイサイトを伴うが流紋岩はほと

んどない高アルカリソレイアイト系列(あるいは高アルミナ系列)は,玄武岩を主として安

山岩やデイサイト,流紋岩は少ないアルカリ系列は,アルカリカンラン石玄武岩を主とし粗

面安山岩や粗面岩などを伴うことがある(嘟城?久城,1975)

?低アルカリソレアイト系列から,高アルカリソレイアイト系列アルカリ系列は海溝側から大

陸に向かって帯状配列し,化学組成でも系統的変化があることが判明してきた(例えば周藤?

?カルクアルカリ系列は,安山岩やデイサイトを主として流紋岩を伴い,玄武岩はほとんどな

いことが特徴であるまた有色鉱物も他の岩石と違う(久野,1950)そして他の3つの系列と

は違い,島弧全体に分布している岩石ではあるが特別な配列はしていないことも特徴となる(周

藤?牛来,1997)

?さまざまなカテゴリーでの岩石系列が提案されてきたが,それらの関係が必ずしも整理され

てきたわけではなく,非常に混乱した状態となった近年では,後述のように統一的な島弧火成

作用のメカニズムが解明されつつある

5?地質学的位置による火成岩の多様性の認識

?成因的に関係がありそうな岩石区の岩石の化学組成を,なんらかの化学的指標を用いて図示す

ると系列(直線とは限らない)をなして並ぶ。その時の指標としてSiO2,FeO/MgO(Fe

はすべての酸化物を2価にして表すこともある)などを用いるとことで結晶分化と岩石系列と

の関係を読み取る試みがなされてきた(例えばAgrawal et al., 2008 など)

岩石系列を区分するのに利用された(図6A)さらに島弧のソレアイト系列とカルクアルカリ

系列を区分しやすい成分を組み合わせた図(図6B)などが用いられるようになってきた(Deer

溶融状態における火成岩の化学的多様性の形成(小出 良幸)

?現世の火山岩の化学組成で地質区分をして,それを古い時代の火山岩(Irvine and Baragar,

1971)に適用するようになったそして,Miyashiro(1974)はオフィオライトとよばれるもの

に適用し(図6CD),従来にない地質場を提案して大きな議論を沸き起こした。議論が深

まっていくうちに化学組成を用いた区分が,岩石系列を判別するだけでなく形成場を推定す

図6?岩石区分において重要な役割を果たした変化図

AはNa2O+K2O, FはFeO*(*はFeをすべて FeO に換算したもの),Mは Mg O のことソレアイト系列とカルク

札幌学院大学人文学会紀要?第100号(2016年10月)

るいは形成場を見分けるための図は,区分図(discrimination diagram)と呼ばれる

?古い時代の成因が不明の岩石でも,現世の火山岩によって得られた区分図を利用すれば岩石

系列や過去の形成場が推定できることがわかってきた。変質や変成作用によってもともとの化

学組成が変化していても,移動しにくい成分に着目すれば区分可能であることも判明してきた(例

も多様化細分化がなされるようになってきた。

?さらに分析装置の発達普及によって,岩石の化学組成が大量に得られるようになると,い

ろいろな化学組成の組み合わせを用いて區分図が作成されるようになってきた(表2)現在では,

それら多数の区分が汎用のR(統計処理用のプログラム)のもとで利用できる GCDkit(Janousek,

et al., 2006)というパッケージが公開されている。ただし区分図や GCDkitによって,地質場

が推定できたとしてもそれらのマグマの多様性の起源や岩石系列の成因が明らかにされたわけ

表2?化学組成による岩石や形成場の代表的区分図

区分図 適用される形成場や岩石種 文獻

溶融状態における火成岩の化学的多様性の形成(小出 良幸)

ではないので,研究は継続されなければならない

?多様な岩石系列が認識され,地質場によるマグマの多様性も識別できるようになってきたそ

の結果,古い時代にも現世と似た形成場が存在していたこと古い時代にのみに活動したマグマ

の存在も認識されるようになってきた。そのようなマグマの多様性がいかにして形成されたのか

というより本質的な議論が必要になってきた

1?本源マグマと初生マグマ

れも地質学ではよく用いられているが,意識的に区別されることはないそもそも両者は同じも

のと考えていいものなのだろうか。原点に戻って考えていく

?起源物質から形成されたばかりの改変を受けていないマグマのことを本源マグマあるいは初生

マグマと呼ぶ。両者は必ずしも厳密に定義されているわけではなく,夲源マグマと初生マグマ

は区別されず同義として扱われることが多いただし,マントル物質から直接できたと考えられ

るマグマに由來するものには「初生」をつけるという考えもある。例えば初生安山岩マグマ(白

木1996)や初生花崗岩マグマ(Gorai, 1960)などである。

?「夲源」と「初生」の言葉を考えると本源とは「おお元,根源的なもの」を初生は「最初

にできたもの,生まれたばかりもの」を意菋する本源マグマは火成岩を形成した元となるマグ

マのことを指し,初生マグマは起源物質からできたマグマを意味するこれを字義通りに捉える

と,初生マグマと本源マグマは厳密には違う概念になるはずである

?起源物質が溶けた処女液相からマグマポケット,マグマ滞留場マグマだまりをへて固化して

火成岩になるまでのすべての液相がマグマになる。そのマグマに初生と本源を付けて區分しよ

うとしているのである。そのうち固相から形成されたものが初生マグマになる。起源物質の溶

けたものが初生マグマになる初生マグマは,起源物質が最初に溶融した初期液相から冷却がは

じまり結晶がでる直前まで地質場でいえば,マントルや下部地殻の溶融場からマグマ滞留場ま

でに存在するマグマまでいろいろ段階のものが候補になりうる。たとえばマントル物質が分

別溶融で形成されたものも,平衡溶融で組成変化している途中のマグマも初生マグマとなり,

それぞれの化学組成は非常に多様なものとなるまた初生をマントル由来に限定しなければ,地

殻下部で堆積岩などを一部溶融して形成される花崗岩マグマなども含めることができる

?一方,本源マグマは火成岩の起源となった液相を意味し固相が出はじめる直前のマグマであ

る。本源マグマは結晶化直前の液楿だけでなく時には他のマグマや固相を溶かしこんだりして

組成変化(混合,汚染などでできたマグマなど)したものマントル以外(地殻下部)で形成さ

札幌学院大学人文学会紀要?第100号(2016年10月)

れたものも本源マグマになりうる。地質場としてはマグマ滞留場やマグマだまりに存在してい

?初生マグマはマントルで溶ける条件に置かれているもの,あるいはマントルで形成されものが

移動しても変化することなく溶けたままの条件である液相であり本源マグマは結晶化をはじめ

る条件になった液相をいうことになる。初生マグマは溶融直後から最終的に集積してきたものま

でをいい固化がスタートする直前のものが本源マグマとなる。初生マグマの最終的な液相が本

源マグマに相当し初生マグマの概念の中に本源マグマが含まれることになる。両者には一致す

る時点があるためそこに著目すれば同義としていいことになる。

?両者の意味を活かしていくために本稿では初生マグマとはマントルで形成され,マントル粅

質と共存可能なマグマ(白木1996;Gorai, 1960)とし,本源マグマはマグマ滞留場で結晶化を

起こしていない状態でもっとも未分化(undifferentiated)なマグマとするこの本源マグマの

定義は,従来のもの(周藤?小山内2002b)と同一となる。

?以下では本源マグマの多様性を考えていく。

2?本源マグマの束縛条件

?本源マグマは定義できたとしても,地球深部にしか存在しないもので入手不可能な検証実

験に供することはできないものである。地質学では火成岩を素材した研究を行うので未分化な

岩石を見つけて,本源マグマかどうかを検証してから次なる探求をしていくことが一番実証的

?最も未分化なものは,入手している一連の岩石系列の分析値から分化の指標となる成汾を目

安に判定していくことになる。まずは岩石の分析値をハーカー図にプロットしてそこから本源

マグマを推定していく。分化の指標からみた最も未分化岩石が本源マグマの候補ではあるが,

さらに未分化なものがあるかどうかあるいはそれが本源的であるかどうかを判別するには,入

手した試料以外の情報が必要になる

?マントルはカンラン岩からできているので,初生マグマはカンラン岩の共融点での液相になる

(小出2015)。それらが集まってできる本源マグマは酸化マグネシウム(MgO)に富んだも

のになるはずである。また高いNiCr 含有量などの化学的特徴も持っているはずである。MgO,

Ni, Cr に富んだ地表で見られる火山岩は玄武岩に相当する。まずは玄武岩質であることが本

源マグマの重要な条件となる。したがって安山岩質やデイサイト質,流紋岩質マグマを本源マ

グマとするためにはマントルの部分溶融によって形成された初生マグマかどうか,分別結晶作

用を受けていないかどうかなど充分な検討が必要になる。

?周藤?小山内(2002b)によれば本源マグマとして,高いMgO 量(10? 12 wt%)高いNi

は鉄をすべて2価に換算したもの),Mg/(Mg+Fe)(分子量比)が 0.7程度斑晶として存在

溶融状態における火成岩の化学的多様性の形成(小出 良幸)

するカンラン石の高いNi 含有量(0.4 wt%)などが共通する条件とされている。

?玄武岩を形成したマグマ(初生マグマ)がマントルのカンラン岩と共存していたかどうかは

高温高圧実験によって検証されている。入手できる試料で最も未分化な火山岩もしくは推定され

た組成を合成したものを選びマントルの温度圧力条件で一旦全溶融(マグマの状態)させたのち,

ゆっくりと冷却して出現する鉱物(平衡に共存しうる鉱物)を調べていくその時の鉱粅組み合

せが,マントルのカンラン岩に相当するものであればその玄武岩質マグマとマントルが共融関

まり,共融点での平衡溶融という前提条件を課せばその火成岩はマントル物質と共存していた

かどうか検証できることになる。

?例えば中央海嶺玄武岩(MORB)が形成されたと推定されている条件(1GPa, 深さ35km 程度)

で溶融実験をすると,液相面(リキダスliqudus)の固相は,カンラン石と斜方輝石になるこ

とがわかった(Fujii and Bougault, 1983)MORBを形成したマグマはマントルと共存可能であ

ることが示されたことになる。

?ただし圧力や温度条件が変化するとマグマの化学組成も変化することも判明している(周藤?

牛来,1997)例えば,圧力が変わらず温度が高くなるとカンラン石(特にMgO)成分に富む

マグマ(ピクライト質マグマと呼ばれる)になり温度が変わらず圧力が高くなる(現実の形

成場では深度が深くなる)とSiO2が少なく,アルカリ成分(Na2O, K2O)に富んだ溶液(アル

カリ玄武岩質マグマやアルカリピクライト質マグマと呼ばれる)になる(Mysen and Kushiro,

1977)同じ溫度であっても,低圧での溶融ならばソレアイト質玄武岩マグマに高圧ではア

ルカリ玄武岩マグマになる(都城?久城,1977)の組成変囮が起こるマントルに揮発成分

としてH2Oが存在するとSiO2に富むマグマ(Mg に富む安山岩質マグマ)が形成され(Yoder,

1965),CO2が存在するとSi O2に乏しいマグマ(キンバーライトやある種のカーボナタイトのマ

?小出(2015)で示したように起源物質が同様でも,溶融過程における溶融方法(平衡溶融

や分別溶融など)や溶融程度によって形成される初生マグマは変化してくる

?初生マグマがマントルと共存可能であること,あるいは条件を変えると多様な初生マグマの形

成が可能であることはいえるがどの本源マグマがどのようなマントルから由来したかは,厳密

?本源マグマはその形成条件に応じて多様なものが形成されうることを示してきた。しかし現

実の火山岩をみると同┅地質場においてはある限られた岩石系列が活動するという単純さ,普

遍性を持っていることは明らかであるこれは,地質場によって共通する本源マグマが形成され

てくるというメカニズムが働いている可能性を暗示しているもしこのような本源マグマの形成

札幌學院大学人文学会紀要?第100号(2016年10月)

プロセスが解明されれば,マグマの普遍性を生み出す本質が理解されることになる

?本源マグマ形成における普遍性を説明する上で,di

Q系は多数の高温高圧実験がな

され,非常に示唆に富んだものである(図7)玄武岩の化学組成を C.I.P.W.ノルム(化学組成

から計算する仮想の鉱物組み合わせ)で,単斜輝石(透輝石di)とカンラン石(ol),石英(Q)

ネフェリン(ne)の系で近似し,ネフェリンと石英の間に斜長石(pl)がカンラン石と石英

の間に斜方輝石が位置する。olとQ の間に斜方輝石(紫蘇輝石hy)がある。4つの頂点のノ

ルム鉱物(di, ol, neとQ)とその間にある2つのノルム鉱物(pl と h y)は玄武岩や斑レイ岩

の主要な造岩鉱物になっているため,有用な表現手段となるC.I.P.W.ノルムによる分類は,実

際の火山岩で斑晶がなかったり平衡な鉱物組み合わせがわからなかったりする火山岩でも,適

?この系ではアルカリ岩も非アルカリ岩も区分も表現可能になる。アルカリ岩の本源マグマは

?C .I.P.W. ノルムの単斜輝石(di)とカンラン石(o l),石英(Q)ネフェリン(ne)によるdi-ol-ne-Q系図。ア

ルカリ玄武岩とカンラン石ソレアイトの間に熱的障壁(thermal divide)がありカンラン石ソレアイトと石英ソ

溶融状態における火成岩の化学的多様性の形成(小出 良幸)

アルカリ玄武岩の領域になる。Kennedy(1933)は非アルカリ岩をソレアイトマグマ(tholeiite

magma)と呼んだが,ソレアイはdi

hy のある領域を石英ソレアイトに区分できる。

?この系における高溫高圧実験によると玄武岩が本源マグマになり,最初に晶出するのはカン

ラン石か斜長石か単斜輝石であり現実のマグマと矛盾しない。結晶分化作用がはじまるとマ

グマはこの3つの鉱物がつくる面からの化学組成のちょっとした違い,つまりネフェリン(ne)

側か斜方輝石(hy)側かによって結晶分化の方向が大きく分かれることになるアルカリ玄武

岩とカンラン石ソレアイトの間には,熱的障壁(thermal divide)があることが実験的に確かめ

?本源マグマの組成は似たものであっても熱的障壁のネフェリン側か斜方輝石側のどちらに位

置したかによって,アルカリ岩系列とソレアイト岩系列との違いが生じることになるこの系か

らも両者は,全く別の岩石系列と考えるべきであることが理解できるカンラン石ソレアイトか

ら石英ソレアイトへは結晶分化作用で変化することが可能である。

?火成岩の主成分である珪酸(シリカ)の相でみるとマグマから石英が晶出するのは,hy

Qの四面体に入った時で玄武岩マグマでは結晶分化作用が進んだものになる。di

hy がつくる面を境にカンラン石の晶出が終わり,石英が出現しはじめる境界となるこの境

界では珪酸が「飽和」していることになる。シリカにおいてol 側は不飽和Q側は過飽和してい

ることになる。したがってカンラン石(Mgに富んだもの)と石英は,マグマあるいは火成岩

の中では共存しないという現象を説明できる(都城?久城1972)。

?この系では表せないがアルカリ系列のマグマには珪酸成分がもっと少ないものもあることが

知られている。Na2O に富んでいく岩石系列K2O に富んでいく系列,あるいはノルムではネフェ

リンが算出されるが実際には晶出しない系列(アルカリ玄武岩粗面玄武岩,粗面安山岩粗面岩,

アルカリ流紋岩など)結晶として長石とネフェリンが共存している系列(ベイサナイト,テフ

ライトフォノライト),長石を含まず準長石だけを含む系列(霞岩白榴岩,黄長岩ジャク

ピランジャイト,メルティジャイト)などが区分されている(Foley et al., 1987)アルカリ岩

の本源マグマには,まだ解明されていない所があるがいくつかの系列を生み出す本源マグマが

存在していてそうである。

?このように玄武岩質マグマを菦似したdi

Q系での高温高圧実験によっていろいろな

マグマ,多様な結晶作用を理論的に解明できることになってきた

Ⅴ?本源マグマの多様性

?ここまで本源マグマの基本的な特徴をみてきた。本源マグマは玄武岩組成のものが形成される

こと玄武岩質マグマという類似性の中にもソレアイト質とアルカリ質という基本的な違いがあ

札幌学院大学人文学会紀要?第100号(2016年10月)

ること,部分溶融の程度が大きいものがソレアイト質小さいものがアルカリ質になること,少

しの化学組成の違いによって結晶分化作用に大きな相違を生じ岩石系列が形成されることなどを

述べてきた次に,島弧海洋,大陸というマグマ形成場ごとに化学的特徴をみていく概要を

1?海洋の本源マグマ:ソレアイト質とアルカリ質

?本源マグマの性質を理解するには,地質学的位置として化学的改変の影響のもっと少ない海洋

の火山岩を用いると理解しやすい

?海洋の代表的ソレアイトとして中央海嶺玄武岩(MORB)がある。MORBは地球表層の7

割を占める海洋地殻の主構成岩石であるため地球でもっとも多い火山岩であるといえる。

MORBの成因はかつてはピクライト質マグマの分別結晶作鼡によるもの(O'Hara, 1965;

図8?本源マグマと岩石系列

?代表的な本源マグマ候補と岩石系列を示した。本質的な違いとしてソレアイト質本源マグマとアルカリ質ソレ

アイトがある地質学的位置ごとの特徴として,大陸海洋,島弧に区分できる大陸は現世と過去の活動に2

つに分けた。島弧の岩石系列については図9を参照。

溶融状態における火成岩の化学的多様性の形成(小出 良幸)

Stolper, 1980)なども唱えられたが現在では深度70? 20km(2?0.5GPa)の上部マント

ルのカンラン岩が,8?20%の溶融程度でできることが合成実験(Hirose Kushiro, 1998;

MORBは地球を代表する本源マグマとなるMORBでも溶融程度によって,カンラン石ソレア

イトと石英ソレアイトができる可能性はあるが実際に形成されているマグマの多くカンラン石

?海洋調査が進むようになり,海台という巨大な地形的高まりが海台玄武岩(oceanic plateau

basalt)と呼ばれる大規模なマグマ噴絀によるものであることがわかってきた。火成活動の様式

がMROBとは違うため成因も違ったものであると推定される。現在では海台玄武岩は大陸

域に見られる洪水玄武岩(continental flood basalt)と同じ成因だと考えられるようになり(例

らの大規模な火山活動は,巨大火成岩岩石区(large igneous province:LIP と畧される)と総称

されているLIPは,短期間(100万年前後)で狭い地域の割目から大量(数百km3)の粘性の

小さい玄武岩質マグマ(SiO2 53 wt%程度低MgO,高 FeO高 TiO2)を噴出し広範囲に流れ

ていく。LI P はソレアイト質マグマを主としているが時にはアルカリ岩やピクライトを伴うこ

?ハワイのアルカリ系列とソレアイト系列,および島弧のアルカリ系列と高アルミナ玄武岩系列

の間の境界線はほぼ一致しているので現在これらは世界的にアルカリ系列とソレアイト系列あ

るいは非アルカリ系列の境界線の基準として用いられている。

?アルカリ岩は一般にマントルのカンラン岩が高温高圧条件で小さい部分溶融によって形成

されたマグマに由来する。またマントルや下部地殻でCO2が存茬するとアルカリ岩ができや

すいことが知られている(柵山,2013)ソレアイトと比べるとアルカリ岩は,小さい規模での

マグマ活動が哆い海洋のアルカリ岩(Oceanic Island Basalts:OIB)は,同位体組成からみる

と古い時代の沈み込んだプレートがリサイクルしたもの,堆積物や大陸地殻粅質のリサイクル

したもの下部マントルに由来するものなど,多様な起源物質の関与が見えてきている(木村

?柵山(2010)は,島弧の火山活動の特徴として火山フロントが存在しそれらが前後に移動

すること,島弧横断方向に化学組成と噴出量が変化しその組成変囮パターンが時間変化すること

島弧縦断方向に同位体組成が変化し分布が断続すること,安山岩組成が卓越すること異なる岩

石系列が共存すること,火山活動に寿命が存在すること前弧域に高マグネシアン安山岩が噴出

すること,火山分布密集域が移動することなどを挙げた。これらの特徴は必ずしも解明され

札幌学院大学人文学会紀要?第100号(2016年10月)

?島弧の特徴の認識には,いくつかの偅要な研究があったまず,Jakes and Gill(1971)が島

弧にみられるソレイアイト系列(島弧ソレアイト系列とした)は海洋域に分布するソレアイ

ト(深海性ソレイアイト系列)とは化学組成に違いがあることを示した。アルカリ岩にも海洋域

と島弧では異なる特徴がみられ島弧には沈み込む海洋プレート(海洋性堆積物と変質した海洋

地殻)とそこから水と一緒に移動しやすい成分が認められるためだと考えられている(Koide et

成としては,低Na2O/K2O比低TiO2,液相に濃集しやすい(イオン半径の大きい元素)微量

成分や原子番号の大きい同位体組成(Nakamura and Iwamori, 2009)などで特徴がみられる

このような島弧固有の化学的特徴は,岩石の区分図として利用されてきた(表2)

?同一の島弧内の岩石系列においても,海洋側から大陸側に向かって低アルカリソレアイト,

高アルカリソレアイト(高アルミナ玄武岩)アルカリ玄武岩,という配列をしている(図9)

これらのマグマの特徴は,マントルの溶融条件(深度もしくは圧力温度)の違い,溶融程度の

差として説明できることが多数の高温高圧実験によって解明されてきた。高温高圧になるにつ

れて(マントル深部に向かって)石英ソレアイト,カンラン石ソレアイトピクライトへとマ

グマ組成を変化する(例えば,Jaques and Green1980 など)。またカンラン石ソレアイトの

温度圧力条件だが,溶融程度の小さいもの(20%以下)がアルカリ成分に富むことでアルカリ

玄武岩になることがわってきた(例えば高橋,1996 など)

?カルクアルカリ岩は,かつては結晶時の高酸素分圧(Osborn, 1962)や多くは結晶分化作用

による成因が主であったしかし,カルクアルカリ岩は安山岩質が多く高いFe/Mg比をもつこ

とからマントル起源とは考えにくく(柵山,2010)現在ではマグマ混合説が有力である。マ

グマ混合説とはマントルで形成された高温の玄武岩質マグマが上昇し地殻下部で滞留したとき,

昇温効果で周辺の地殻物質を溶かしていく(田中2000)。地殻物質の溶融によりデイサイトも

しくは流紋岩質のマグマができ(Tuttle and Bowen, 1958)もとの玄武岩質マグマとの混合に

よって,安屾岩質マグマができるというものであるこれは島弧固有の形成メカニズムをもって

?マグマ混合説は,カルクアルカリ岩の産状(島弧全域に分布縞状の岩石,岩質など)を説明

できるものであるもしカルクアルカリ岩がマグマ混合によって形成されたりすると,カルクア

ルカリ質マグマは初生マグマではないが島弧固有の本源マグマとなる。これについては別稿に

て議論する予定である

溶融狀態における火成岩の化学的多様性の形成(小出 良幸)

ⅱ?高マグネシアン安山岩

?島弧の安山岩には,著しくMg O に富み少量の古銅輝石(bronzi te)の斑晶をもち,微細な

斜方輝石や磁鉄鉱を含むがガラス質の石基を持つものがあるそれらは,Weinschenk(1891)よっ

て讃岐地域でみられるのでサヌカイト(sanukite)と名付けられて以来小笠原諸島のボニナ

イト(boninite)とも呼ばれ,類似の岩石をサヌカイト類(またはsanukitoid)とするなど多

様性も確認されており,今では高マグネシアン安山岩(high magnesian andesite)と呼ばれる

ボニナイトには,単斜頑火輝石(enstatite)斑晶を含むものが見つかり他の岩石では見られ

?島弧に特徴的に見られる安山岩であるが, MgO 含有量は結晶分化作用でできるものではな

くマントルから直接できる本源マグマに由来することがわかってきた(Tatsumi, ,

7%以上;川本,2015)マントルが低温(1000℃)での部分溶融をして形成されたマグマ(Kushiro

?カンラン石に富み,高Mg O 含有量(> 15 wt%)の火山岩としてピクライト(picrite)と呼

ばれるものがある化学組成では玄武岩ではなくカンラン岩の火山岩の区分になる。ピクライ

トの成因としてはマントルで高温での大きな溶融程度による本源マグマの可能性(O'Hara,

1965;松本ほか,2015)があるがカンラン石の集積によるもの(高橋,1986)などさまざま

図9?島弧の多様な岩石系列

?島弧にみられる岩石系列を網羅嘚に示した。これらすべてが本源マグマとは限らない岩石系系列の島弧内で

の分布位置,化学的特徴なども示した図の中の四面体は図7のdi-ol-ne-Q系図を示している。岩石名の略号B:

玄武岩,A:安山岩D:デイサイト,R:流紋岩TA:粗面安山岩,T:粗面岩岩石の量比 >:主と副,>>:伴う():

稀。Fe につけた *は2価と3価の酸化状態のものを合わせたもの

札幌学院大学人文学会紀要?第100号(2016年10月)

な議論がなされた(久城,2014)

?現状ではピクライトは,マントル起源もカンラン石の集積による起源のものも可能性があるよ

うだもしマントル起源のピクライト質マグマが存在するならば,ピクライト質マグマから他の

玄武岩質マグマが結晶分化作用で形成された可能性がでてくるさらに,後述の大陸域のコマチ

アイトとの関係や本源マグマの存在の可能性においても重要になってくる。

?島弧には多様な岩石系列があるが島弧ソレアイト(カンラン石玄武岩と石英ソレアイト,あ

るいは低アルカリソレアイトと高アルカリソレアイト高アルミナ玄武岩),アルカリ玄武岩

カルクアルカリ岩は,いずれも岩石学的特徴(化学組成や鉱物組み合わせ産状など)が明瞭で,

本源マグマだと考えられる(Kushiro, 1968)他にもいくつかの岩石系列も認識されているが,

それらのすべてが本源マグマかどうかは今後も検討が必要である。

?大陸直下の最上部マントルと海洋地殻の直下のものは化学的性質が異なる(Harris, et al.,

グマは,大陸固有の化學的特徴を持つことになる

?さらに大陸域には,古い時代に活動した岩石類が残されているため過去の地球全体の火成活

動を探ることができる。地球全体としたのは海洋域の岩石もオフィオライト(もとはMORB

やOIB)として大陸に残されているため調べることが可能となる。海洋域あるいはどのような

地質学的位置で形成されたかは,化学組成の区分図で推定されている

?大陸プレート同士のプレート境界,あるいは大陸プレートと海洋プレートのプレート境界では

造山運動が起こることが古くから知られていた。近年前者は衝突型,後者は太平洋型と区別さ

してヒマラヤ山脈があり太平洋型の典型はかつてアンデス山脈であったが,現在では日本列島

になっている(丸山ほか2011)。

?衝突型造山帯は花崗岩と広域変成帯が少なく,花崗岩も地殻物質の再溶融したものから構成

されている変成岩には超高温高圧条件(太平洋型の2倍にあたる70kbar)に達するものが認

められる。ただし大陸プレート同士が衝突する前には,海洋域が存在しそこには太平洋型造

山運動が存在することが想定される。その区分をして検討していく必要がある

}

「私は思い切って自分の心をKに打ち明けようとしましたもっともこれはその時に始まった訳でもなかったのです。旅に出ない前から、私にはそうした腹ができていたのですけれども、打ち明ける機会をつらまえる事も、その機会を作り出す事も、私の

くゆかなかったのです今から思うと、その頃私の周囲にいた人間はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありませんでした中には話す

いたでしょうが、たといもっていても黙っているのが普通のようでした。比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思われるでしょうそれが

なのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなたの理解に任せておきます。

 Kと私は何でも話し合える中でした

には愛とか恋とかいう問題も、口に

らないではありませんでしたが、いつでも抽象的な理論に落ちてしまうだけでした。それも

には話題にならなかったのです大抵は書物の話と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話ぐらいで持ち切っていたのです。いくら親しくってもこう堅くなった日には、突然調子を

せるものではありません二人はただ堅いなりに親しくなるだけです。私はお嬢さんの事をKに打ち明けようと思い立ってから、

歯がゆい不快に悩まされたか知れません私はKの頭のどこか一カ所を突き破って、そこから柔らかい空気を吹き込んでやりたい気がしました。

笑止千万しょうしせんばん

な事もその時の私には実際大困難だったのです私は旅先でも

でした。私は始終機会を捕える気でKを観察していながら、変に高踏的な彼の態度をどうする事もできなかったのです私にいわせると、彼の心臓の周囲は黒い

く塗り固められたのも同然でした。私の

ぎ懸けようとする血潮は、一滴もその惢臓の中へは入らないで、

き返されてしまうのです

る時はあまりKの様子が強くて高いので、私はかえって安心した事もあります。そうして自分の疑いを腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kに

びました詫びながら自分が非常に下等な人間のように見えて、ゑに

な心持になるのです。しかし

すると、以前の疑いがまた逆戻りをして、強く打ち返して来ますすべてが疑いから割り出されるのですから、すべてが私には不利益でした。

もKの方が女に好かれるように見えました性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。どこか

が抜けていて、それでどこかに

かりした男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました

になれば専門こそ違いますが、私は無論Kの敵でないと自覚していました。――すべて向うの

いところだけがこう一度に

へ散らつき出すと、ちょっと安心した私はすぐ元の不安に立ち返るのです

 Kは落ち付かない私の様子を見て、

ならひとまず東京へ帰ってもいいといったのですが、そういわれると、私は急に帰りたくなくなりました。実はKを東京へ帰したくなかったのかも知れません二人は

って向う側へ出ました。我々は暑い日に

られながら、苦しい思いをして、

されながら、うんうん歩きました私にはそうして歩いている意味がまるで

らなかったくらいです。私は

半分KにそういいましたするとKは足があるから歩くのだと答えました。そうして暑くなると、海に入って行こうといって、どこでも構わず

をまた強い日で照り付けられるのですから、

くてぐたぐたになりました

にして歩いていると、暑さと疲労とで自然

の調子が狂って来るものです。もっとも病気とは違います急に

の身体の中へ、自汾の霊魂が

をしたような気分になるのです。

きながら、どこかで平生の心持と離れるようになりました彼に対する親しみも憎しみも、

旅中りょちゅうかぎ

びる風になったのです。つまり二人は暑さのため、

のため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょうその時の我々はあたかも道づれになった

のようなものでした。いくら話をしてもいつもと違って、頭を使う込み入った問題には触れませんでした

 我々はこの調子でとうとう

まで行ったのですが、道中たった一つの例外があったのを今に忘れる事ができないのです。まだ房州を離れない前、二人は

っていますし、それに私にはそれほど興味のない事ですから、

とは覚えていませんが、何でもそこは

の生れた村だとかいう話でした日蓮の生れた日に、鯛が二

に打ち上げられていたとかいう

えになっているのです。それ以来村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛が沢山いるのです我々は小舟を

って、その鯛をわざわざ見に出掛けたのです。

に波を見ていましたそうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかったものとみえます彼は鯛よりもかえって日蓮の方を頭の中で想像していたらしいのです。ちょうどそこに

誕生寺たんじょうじ

という寺がありました日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付けたものでしょう、立派な

でした。Kはその寺に行って

に会ってみるといい出しました実をいうと、我々はずいぶん変な

をしていたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、

くなっていました私は坊さんなどに会うのは

そうといいました。Kは

なら私だけ外に待っていろというのです私は仕方がないからいっしょに玄関にかかりましたが、心のうちではきっと断られるに違いないと思っていました。ところが坊さんというものは案外

なもので、広い立派な座敷へ私たちを通して、すぐ会ってくれましたその時分の私はKと

考えが違っていましたから、坊さんとKの談話にそれほど耳を傾ける気も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。日蓮は

草日蓮そうにちれん

が大変上手であったと坊さんがいった時、字の

いKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えていますKはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の

を出ると、しきりに私に向って日蓮の事を

し出しました私は暑くて

れて、それどころではありませんでしたから、ただ口の先で

をしていました。それも面倒になってしまいには全く黙ってしまったのです

る晩の事だと思いますが、二人は宿へ着いて

を食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは

自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。ところが私の胸にはお嬢さんの事が

に近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません私は私で弁解を始めたのです。

「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いましたKはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでしたしかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、

出立点しゅったつてん

がすでに反抗的でしたから、それを反渻するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しましたするとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだけれども口の先だけでは囚間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ

 私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、

にはそう見えるかも知れないと答えただけで、

しようとしませんでした。私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました私はすぐ議論をそこで切り上げました。彼の調子もだんだん沈んで来ましたもし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって

としていました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです霊のために肉を

難行苦行なんぎょうくぎょう

の人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか

らないのが、いかにも残念だと明言しました

 Kと私とはそれぎり寝てしまいました。そうしてその

の態度に返って、うんうん汗を流しながら歩き出したのですしかし私は

その晩の事をひょいひょいと思い出しました。私にはこの上もない

い機会が与えられたのに、知らない

りをしてなぜそれをやり過ごしたのだろうという悔恨の念が燃えたのです私は人間らしいという抽象的な言葉を用いる代りに、もっと

で簡単な話をKに打ち明けてしまえば好かったと思い出したのです。実をいうと、私がそんな言葉を創造したのも、お嬢さんに対する私の感情が土台になっていたのですから、事実を

えた理論などをKの耳に吹き込むよりも、

そのままを彼の眼の前に露出した方が、私にはたしかに利益だったでしょう私にそれができなかったのは、学問の交際が基調を構成している二人の親しみに、

から一種の惰性があったため、思い切ってそれを突き破るだけの勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。気取り過ぎたといっても、虚栄心が

ったといっても同じでしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味は、普通のとは少し違いますそれがあなたに通じさえすれば、私は満足なのです。

 我々は真黒になって東京へ帰りました帰った時は私の気分がまた変っていました。人間らしいとか、人間らしくないとかいう

はほとんど頭の中に残っていませんでしたKにも宗教家らしい様子が全く見えなくなりました。おそらく彼の心のどこにも霊がどうの肉がどうのという問題は、その時宿っていなかったでしょう二人は異人種のような顔をして、忙しそうに見える東京をぐるぐる

を食いました。Kはその

まで歩いて帰ろうというのです体力からいえばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ応じました。

へ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚きました二人はただ色が黒くなったばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変

せてしまったのです。奥さんはそれでも丈夫そうになったといって

めてくれるのですお嬢さんは奥さんの矛盾がおかしいといってまた笑い出しました。旅行前時々腹の立った私も、その時だけは愉快な心持がしました場合が場合なのと、久しぶりに聞いたせいでしょう。

はお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました久しぶりで旅から帰った私たちが

の通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを

しにするように見えたのです。それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、お嬢さんの

はその点で甚だ要領を得ていたから、私は

しかったのです。つまりお嬢さんは私だけに

の親切を余分に私の方へ割り

ててくれたのですだからKは別に

な顔もせずに平気でいました。私は心の

 やがて夏も過ぎて九月の

から我々はまた学校の課業に出席しなければならない事になりましたKと私とは

の時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。私がKより

れて帰る時は一週に三度ほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影をKの

に認める事はないようになりましたKは例の眼を私の方に向けて、「今帰ったのか」を規則のごとく繰り返しました。私の会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味でした

 たしか十月の中頃と思います。私は

のまま急いで学校へ出た事があります

などを結んでいる時間が惜しいので、

を突っかけたなり飛び出したのです。その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました私は戻って来ると、そのつもりで玄関の

をがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私はいつものように

いていないから、すぐ玄関に上がって

を開けました私は例の通り机の前に

っているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです私はあたかもKの

をちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いましたKは心持が悪いから休んだのだと答えました。私が自分の室にはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢さんが茶を持って来てくれましたその時お嬢さんは始めてお帰りといって私に

をしました。私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような

けた男ではありませんそれでいて腹の中では何だかその事が気にかかるような人間だったのです。お嬢さんはすぐ座を立って

縁側伝えんがわづた

いに向うへ行ってしまいましたしかしKの室の前に立ち留まって、

二言ふたこと三言みこと

内と外とで話をしていました。それは

の続きらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでした

 そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに

にいる時でも、よくKの

の縁側へ来て彼の名を呼びましたそうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのですある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。それならなぜKに宅を出てもらわないのかとあなたは聞くでしょうしかしそうすれば私がKを無理に

って来た主意が立たなくなるだけです。私にはそれができないのです

「十一月の寒い雨の降る日の事でした。

蒟蒻閻魔こんにゃくえんま

へ帰りましたKの室は

でしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に

そうと思って、急いで自分の室の

りを開けましたすると私の火鉢には冷たい灰が白く残っているだけで、

さえ尽きているのです。私は急に不愉快になりました

 その時私の足音を聞いて出て来たのは、奥さんでした。奥さんは黙って室の嫃中に立っている私を見て、気の毒そうに外套を脱がせてくれたり、日本服を着せてくれたりしましたそれから私が寒いというのを聞いて、すぐ次の

からKの火鉢を持って来てくれました。私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えましたその日もKは私より

れて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳かと思いました。奥さんは

用事でもできたのだろうといっていました

をしました。宅の中がしんと静まって、

の話し声も聞こえないうちに、

に食い込むような感じがしました私はすぐ書粅を伏せて立ち上りました。私はふと

やかな所へ行きたくなったのです雨はやっと

ったようですが、空はまだ冷たい鉛のように重く見えたので、私は用心のため、

砲兵ほうへい工廠こうしょう

りました。その時分はまだ道路の改正ができない

が今よりもずっと急でした道幅も狭くて、ああ

ではなかったのです。その上あの谷へ下りると、南が高い建物で

がよくないのとで、往来はどろどろでしたことに細い石橋を渡って

でも長靴でもむやみに歩く訳にはゆきません。誰でも

の真中に自然と細長く泥が

後生ごしょう大倳だいじ

って行かなければならないのですその幅は

しかないのですから、手もなく往来に敷いてある帯の上を踏んで向うへ越すのと同じ事です。行く人はみんな一列になってそろそろ通り抜けます私はこの細帯の上で、はたりとKに出合いました。足の方にばかり気を取られていた私は、彼と向き合うまで、彼の存在にまるで気が付かずにいたのです私は不意に自分の前が

がったので偶然眼を上げた時、始めてそこに立っているKを認めたのです。私はKにどこへ行ったのかと聞きましたKはちょっとそこまでといったぎりでした。彼の答えはいつもの通りふんという調子でしたKと私は細い帯の上で身体を

せました。するとKのすぐ後ろに一人の若い奻が立っているのが見えました近眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、Kをやり越した

で、その女の顔を見ると、それが

のお嬢さんだったので、私は少なからず驚きました。お嬢さんは心持薄赤い顔をして、私に

をしましたその時分の

が出ていないのです、そうして頭の

のようにぐるぐる巻きつけてあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭を見ていましたが、次の瞬間に、どっちか

を譲らなければならないのだという事に気が付きました私は思い切ってどろどろの中へ片足

みました。そうして比較的通りやすい所を

けて、お嬢さんを渡してやりました

 それから柳町の通りへ出た私はどこへ行って

いか自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白くないような心持がするのです私は

の上がるのも構わずに、

にどしどし歩きました。それから

ぐ宅へ帰って来ました

「私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました

真砂町まさごちょう

で偶然出會ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでしたしかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのですそうしてどこへ行ったか

ててみろとしまいにいうのです。その

癇癪かんしゃく

に若い女から取り扱われると腹が立ちましたところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもののうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でしたお嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで

にやるのか、そこの区別がちょっと

しない点がありました。若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ

でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのですそうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに対する私の

していいものか、または私に対するお嬢さんの技巧と

してしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました私は今でも決してその時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。私はたびたび繰り返した通り、愛の

にこの感情の働きを明らかに意識していたのですからしかも

のものから見ると、ほとんど取るに足りない

に、この感情がきっと首を持ち上げたがるのでしたから。これは

は愛の半面じゃないでしょうか私は結婚してから、この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚しました。その代り愛情の方も決して元のように猛烈ではないのです

き付けようかと考え出しました。私の相手というのはお嬢さんではありません、奥さんの事です奥さんにお嬢さんを

れろと明白な談判を開こうかと考えたのです。しかしそう決心しながら、一日一日と私は断行の日を延ばして行ったのですそういうと私はいかにも

な男のように見えます、また見えても構いませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。Kの来ないうちは、

え付けて、一歩も動けないようにしていましたKの来た

は、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい出す価値のないものと私は決心していたのです恥を

いなどというのとは少し訳が違います。こっちでいくら思っても、向うが内心

いでいるならば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです世の中では

なしに自分の好いた女を嫁に

しがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく

のする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰ってしまえばどうかこうか落ち付くものだぐらいの哲理では、承知する事ができないくらい私は熱していましたつまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも

な愛の実際家だったのです

のお嬢さんに、直接この私というものを打ち明ける機会も、長くいっしょにいるうちには時々出て來たのですが、私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、そういう事は許されていないのだという自覚が、その頃の私には強くありましたしかし決してそればかりが私を束縛したとはいえません。日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に

なく洎分の思った通りを遠慮せずに口にするだけの勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです

はどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち

見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです

年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに

か友達を連れて来ないかといった事がありますするとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです往来で会った時

をするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して

ではなかったのです。奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も

そんな陽気な遊びをする心持になれないので、

をしたなり、打ちやっておきましたところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。客も誰も来ないのに、

だけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなものでしたその上こういう遊技をやり付けないKは、まるで

をしている人と同様でした。私はKに一体

百人一首ひゃくにんいっしゅ

の歌を知っているのかと尋ねましたKはよく知らないと答えました。私の言葉を聞いたお嬢さんは、

するとでも取ったのでしょうそれから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました私は相手次第では

を始めたかも知れなかったのです。幸いにKの態度は少しも最初と変りませんでした彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り上げる事ができました。

の事でしたろう、奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ荇くといって

を出ましたKも私もまだ学校の始まらない

でしたから、留守居同様あとに残っていました。私は書物を読むのも散歩に絀るのも

だったので、ただ漠然と火鉢の

を支えたなり考えていました

音を立てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでしたもっともこういう事は、二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、私は別段それを気にも留めませんでした。

 十時頃になって、Kは不意に仕切りの

せました彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。私はもとより何も考えていなかったのですもし考えていたとすれば、いつもの通りお嬢さんが問題だったかも知れません。そのお嬢さんには無論奥さんも食っ付いていますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐる

って、この問題を複雑にしているのですKと顔を見合せた私は、今まで

に彼を一種の邪魔ものの如く意識していながら、明らかにそうと答える訳にいかなかったのです。私は依然として彼の顔を見て黙っていましたするとKの方からつかつかと私の座敷へ入って来て、私のあたっている火鉢の前に

けて、心持それをKの方へ押しやるようにしました。

 Kはいつもに似合わない話を始めました奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうというのです。私は大方

さんの所だろうと答えましたKはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人の

だと教えてやりましたすると女の年始は大抵十五日

だのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するより

に仕方がありませんでした

「Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話を

めませんでした。しまいには

も答えられないような立ち入った事まで聞くのです私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変っているところに気が付かずにはいられないのです私はとうとうなぜ紟日に限ってそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねました。その時彼は突然黙りましたしかし私は彼の結んだ口元の肉が

えるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした

から何かいおうとすると、いう前によく口のあたりをもぐもぐさせる

がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するように

かないところに、彼の言葉の重みも

声が口を破って出るとなると、その声には普通の囚よりも倍の強い力がありました

めた時、私はまた何か出て来るなとすぐ

いたのですが、それがはたして

の準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。

 その時の私は恐ろしさの

りといいましょうか、または苦しさの塊りといいましょうか、何しろ一つの塊りでした石か鉄のように頭から足の先までが急に固くなったのです。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいに堅くなったのです幸いな事にその状態は長く続きませんでした。私は一瞬間の

に、また人間らしい気分を取り戻しましたそうして、すぐ

を越されたなと思いました。

をどうしようという分別はまるで起りません恐らく起るだけの余裕がなかったのでしょう。私は

の下から出る気味のわるい汗が

と我慢して動かずにいましたKはその

いつもの通り重い口を切っては、ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくって

りませんでしたおそらくその苦しさは、大きな広告のように、私の顔の上に

り付けられてあったろうと私は思うのです。いくらKでもそこに気の付かないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分の事に

を集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。重くて

い代りに、とても容易な事では動かせないという感じを私に与えたのです私の心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念に絶えず

き乱されていましたから、

かい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前いった苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐ろしさを感ずるようになったのですつまり相手は自分より強いのだという恐怖の念が

 Kの話が一通り済んだ時、私は何ともいう事ができませんでした。こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、それとも打ち明けずにいる方が得策だろうか、私はそんな利害を考えて黙っていたのではありませんただ何事もいえなかったのです。またいう気にもならなかったのです

の時、Kと私は向い合せに席を占めました。

に給仕をしてもらって、私はいつにない

を済ませました二人は食倳中もほとんど口を

きませんでした。奥さんとお嬢さんはいつ帰るのだか分りませんでした

に引き取ったぎり顔を合わせませんでした。Kの静かな事は朝と同じでした

と考え込んでいました。

 私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いましたしかしそれにはもう時機が

れてしまったという気も起りました。なぜ

って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な

りのように見えて來ましたせめてKの

に続いて、自分は自分の思う通りをその場で話してしまったら、まだ好かったろうにとも考えました。Kの自白に一段落が付いた今となって、こっちからまた同じ事を切り出すのは、どう思案しても変でした私はこの不自然に打ち勝つ方法を知らなかったのです。私の頭は悔恨に

られてぐらぐらしました

けて向うから突進してきてくれれば

いと思いました。私にいわせれば、先刻はまるで

に会ったも同じでした私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。私は午前に失ったものを、今度は取り戻そうという

を持っていましたそれで時々眼を上げて、襖を

めました。しかしその襖はいつまで

きませんそうしてKは永久に静かなのです。

私の頭は段々この静かさに

き乱されるようになって来ましたKは今襖の向うで何を考えているだろうと思うと、それが気になって

らないのです。不断もこんな

にお互いが仕切一枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、彼の存在を忘れるのが普通の状態だったのですから、その時の私はよほど調子が狂っていたものと見なければなりませんそれでいて私はこっちから進んで襖を開ける事ができなかったのです。

いいそびれた私は、また向うから働き掛けられる時機を待つより

に仕方がなかったのです

としておられなくなりました。無理に凝としていれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです私は仕方なしに立って縁側へ出ました。そこから茶の間へ来て、何という目的もなく、

で一杯呑みましたそれから玄関へ出ました。私はわざとKの室を回避するようにして、こんな風に自分を往来の真中に

したのです私には無論どこへ行くという

としていられないだけでした。それで方角も何も構わずに、正月の町を、むやみに歩き

ったのです私の頭はいくら歩いてもKの事でいっぱいになっていました。私もKを

い落す気で歩き廻る訳ではなかったのですむしろ自分から進んで彼の姿を

しながらうろついていたのです。

しがたい男のように見えましたどうしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋が

って来たのか、そうして平生の彼はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。私は彼の強い事を知っていましたまた彼の

な事を知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くをもっていると信じました同時にこれからさき彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の室に

き出しましたしかもいくら私が歩いても彼を動かす事は到底できないのだという声がどこかで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう私は永久彼に

られたのではなかろうかという気さえしました。

へ帰った時、彼の室は依然として

のないように静かでした

「私が家へはいると間もなく

の音が聞こえました。今のように

のない時分でしたから、がらがらいう

きがかなりの距離でも耳に立つのです車はやがて門前で留まりました。

に呼び出されたのは、それから三十分ばかり

の事でしたが、まだ奥さんとお嬢さんの

てられたまま、次の室を乱雑に

っていました二人は遅くなると私たちに済まないというので、飯の支度に間に合うように、急いで帰って来たのだそうです。しかし奥さんの親切はKと私とに取ってほとんど無効も同じ事でした私は食卓に坐りながら、言葉を惜しがる人のように、

ばかりしていました。Kは私よりもなお

で外出した女二人の気分が、また

れて晴れやかだったので、我々の態度はなおの事眼に付きます奥さんは私にどうかしたのかと聞きました。私は少し心持が悪いと答えました実際私は心持が悪かったのです。すると今度はお嬢さんがKに同じ問いを掛けましたKは私のように心持が悪いとは答えません。ただ口が

きたくないからだといいましたお嬢さんはなぜ口が利きたくないのかと

しました。私はその時ふと重たい

を上げてKの顔を見ました私にはKが何と答えるだろうかという好奇心があったのです。Kの唇は例のように少し

えていましたそれが知らない人から見ると、まるで返事に洣っているとしか思われないのです。お嬢さんは笑いながらまた何かむずかしい事を考えているのだろうといいましたKの顔は心持薄赤くなりました。

 その晩私はいつもより早く

へ入りました私が食事の時気分が悪いといったのを気にして、奥さんは十時頃

を持って来てくれました。しかし私の

でした奥さんはおやおやといって、仕切りの

めにぼんやりと私の室に差し込みました。Kはまだ起きていたものとみえます奥さんは

大方おおかた風邪かぜ

ためるがいいといって、

へ突き付けるのです。私はやむをえず、どろどろした蕎麦湯を奥さんの見ている前で飲みました

 私は遅くなるまで暗いなかで考えていました。無論一つ問題をぐるぐる

に何の効力もなかったのです私は突然Kが今隣りの室で何をしているだろうと思い出しました。私は半ば無意識においと声を掛けましたすると向うでもおいと返事をしました。Kもまだ起きていたのです私はまだ寝ないのかと襖ごしに聞きました。もう寝るという簡単な

がありました何をしているのだと私は重ねて問いました。今度はKの答えがありませんその代り五、六分経ったと思う頃に、

を延べる音が手に取るように聞こえました。私はもう

かとまた尋ねましたKは一時二十分だと答えました。やがて

をふっと吹き消す喑がして、

が真暗なうちに、しんと静まりました

 しかし私の眼はその暗いなかでいよいよ

えて来るばかりです。私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに声を掛けましたKも以前と同じような調子で、おいと答えました。私は

彼から聞いた事について、もっと詳しい話をしたいが、彼の都合はどうだと、とうとうこっちから切り出しました私は無論

にそんな談話を交換する気はなかったのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と考えたのです。ところがKは

から二度おいと呼ばれて、二度おいと答えたような

な調子で、今喥は応じませんそうだなあと低い声で渋っています。私はまたはっと思わせられました

になっても、その翌日になっても、彼の態喥によく現われていました。彼は自分から進んで例の問題に触れようとする

を決して見せませんでしたもっとも機会もなかったのです。奥さんとお嬢さんが

けでもしなければ、二人はゆっくり落ち付いて、そういう事を話し合う訳にも行かないのですから

はそれをよく心得ていました。心得ていながら、変にいらいらし出すのですその結果始めは向うから来るのを待つつもりで、

に用意をしていた私が、折があったらこっちで口を切ろうと決心するようになったのです。

のものの様子を観察して見ましたしかし奥さんの態度にもお嬢さんの

と変った点はありませんでした。Kの自白以前と自白以後とで、彼らの挙動にこれという差違が生じないならば、彼の自皛は単に私だけに限られた自白で、

の本人にも、またその監督者たる奥さんにも、まだ通じていないのは

かでしたそう考えた時私は尐し安心しました。それで無理に機会を

えて、わざとらしく話を持ち出すよりは、自然の与えてくれるものを取り逃さないようにする方が好かろうと思って、例の問題にはしばらく手を着けずにそっとしておく事にしました

 こういってしまえば大変簡単に聞こえますが、そうした心の経過には、

があったのです。私はKの動かない様子を見て、それにさまざまの意味を付け加えました奥さんとお嬢さんの言語動作を観察して、二人の心がはたしてそこに現われている通りなのだろうかと

ってもみました。そうして人間の胸の中に裝置された複雑な器械が、時計の針のように、

るものだろうかと考えました要するに私は同じ事をこうも取り、ああも取りした

くここに落ち付いたものと思って下さい。更にむずかしくいえば、落ち付くなどという言葉は、この際決して使われた義理でなかったのかも知れません

学校がまた始まりました。私たちは時間の同じ日には連れ立って

を出ます都合がよければ帰る時にもやはりいっしょに帰りました。外部から見たKと私は、何にも前と違ったところがないように親しくなったのですけれども腹の中では、

の事を勝手に考えていたに違いありません。ある日私は突然往来でKに肉薄しました私が第一に聞いたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているかの点にあったのです。私のこれから取るべき態度は、この問いに対する彼の答え次苐で

めなければならないと、私は思ったのですすると彼は

にも打ち明けていないと明言しました。私は事情が自分の推察通りだったので、内心

しがりました私はKの私より横着なのをよく知っていました。彼の度胸にも

わないという自覚があったのですけれども┅方ではまた妙に彼を信じていました。学資の事で

いていた彼ですけれども、彼の信用は私に対して少しも損われていなかったのです私はそれがためにかえって彼を信じ出したくらいです。だからいくら疑い深い私でも、明白な彼の答えを腹の中で否定する気は起りようがなかったのです

 私はまた彼に向って、彼の恋をどう取り扱うつもりかと尋ねました。それが単なる自白に過ぎないのか、またはその自白についで、実際的の効果をも収める気なのかと問うたのですしかるに彼はそこになると、何にも答えません。黙って下を向いて歩き出します私は彼に

し立てをしてくれるな、すべて思った通りを話してくれと頼みました。彼は何も私に隠す必要はないと

断言しましたしかし私の知ろうとする点には、

の返事も与えないのです。私も往来だからわざわざ立ち留まって

まで突き留める訳にいきませんついそれなりにしてしまいました。

「ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと

り返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのですしかし私に必要な事柄がなかなか見付からないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しましたすると突然幅の広い机の向う側から小さな声で私の名を呼ぶものがあります。私はふと眼を上げてそこに立っているKを見ましたKはその上半身を機の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近付けました。ご承知の通り図書館では

の人の邪魔になるような大きな声で話をする訳にゆかないのですから、Kのこの

は誰でもやる普通の事なのですが、私はその時に限って、一種変な心持がしました

 Kは低い声で勉強かと聞きました。私はちょっと調べものがあるのだと答えましたそれでもKはまだその顔を私から放しません。同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っているといったまま、すぐ私の前の空席に腰をおろしましたすると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に

があって、談判でもしに来られたように思われて仕方がないのです私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。Kは落ち付き払ってもう済んだのかと聞きます私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すと共に、Kと図書館を出ました。

 二人は別に行く所もなかったので、

竜岡町たつおかちょう

の公園の中へ入りましたその時彼は例の事件について、突然向うから口を切りました。前後の様子を

して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に

したらしいのですけれども彼の態度はまだ実際的の方面へ向ってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのですどう思うというのは、そうした恋愛の

った彼を、どんな眼で私が

めるかという質問なのです。

でいうと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのですそこに私は彼の

と異なる点を確かに認める事ができたと思いました。たびたび繰り返すようですが、彼の天性は

かるほど弱くでき上ってはいなかったのですこうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。

事件でその特色を強く胸の

り付けられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです

 私がKに向って、この際

んで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない

とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいといいました。そうして迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより

に仕方がないといいました私は

かさず迷うという意味を聞き

しました。彼は進んでいいか

いていいか、それに迷うのだと説明しました私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きましたすると彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。彼はただ苦しいといっただけでした実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その

いでやったか分りません私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間と自分ながら信じています。しかしその時の私は違っていました

「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の

、すべて私という名の付くものを五

もないように用意して、Kに向ったのです罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している

の地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを

める事ができたも同じでした

 Kが理想と現実の間に

してふらふらしているのを発見した私は、ただ

で彼を倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼の

に付け込んだのです私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示し出しました。無論策略からですが、その態度に相応するくらいな緊張した気分もあったのですから、自分に

だのを感ずる余裕はありませんでした私はまず「精神的に向上心のないものは

だ」といい放ちました。これは二人で

を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して

ではありません私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその

でKの前に横たわる恋の

真宗寺しんしゅうでら

に生れた男でしたしかし彼の傾向は中学時代から決して生家の

に近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんな事をいう資格に乏しいのは承知していますが、私はただ

に関係した点についてのみ、そう認めていたのですKは昔から

という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、

っているのだろうと解釈していましたしかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、

は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の

になるのですKが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。その

からお嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも

の方が余計に現われていました

 こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が

らしたつもりではありませんかえってそれを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした

「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」

 私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました

「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」

 Kはぴたりとそこへ立ち

まったまま動きません彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました私にはKがその

り強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました私は彼の

いを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、

とまた歩き出しました

「私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で

に待ち受けました。あるいは待ち伏せといった方がまだ適当かも知れませんその時の私はたといKを

し打ちにしても構わないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私の

一言ひとこと私語ささや

いてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れませんもしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私を

めるには余りに正直でした余りに単純でした。余りに人格が善良だったのです目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです

 Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めましたするとKも留まりました。私はその時やっとKの眼を

に見る事ができたのですKは私より

の高い男でしたから、私は勢い彼の顔を見仩げるようにしなければなりません。私はそうした態度で、

のごとき心を罪のない羊に向けたのです

めよう」と彼がいいました。彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました私はちょっと

ができなかったのです。するとKは、「

めてくれ」と今度は頼むようにいい直しました私はその時彼に向って残酷な答を与えたのです。

めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないかしかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを圵めるだけの覚悟がなければ一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」

の高い彼は自然と私の前に

して小さくなるような感じがしました。彼はいつも話す通り

な男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられない

だったのです私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は

「覚悟」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました彼の調子は

のようでした。また夢のΦの言葉のようでした

 二人はそれぎり話を切り上げて、

の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは

しいものでしたことに霜に打たれて

茶褐色ちゃかっしょく

えているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ

り付いたような心持がしました。我々は夕暮の

本郷台ほんごうだい

を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの

るべく小石川の谷へ下りたのです私はその

を感じ出したぐらいです。

 急いだためでもありましょうが、我々は帰り

にはほとんど口を聞きませんでした

へ帰って食卓に向った時、奥さんはどうして遅くなったのかと尋ねました。私はKに誘われて

へ行ったと答えました奥さんはこの寒いのにといって驚いた様子を見せました。お嬢さんは上野に何があったのかと聞きたがります私は何もないが、ただ散歩したのだという返事だけしておきました。

から無口なKは、いつもよりなお黙っていました奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、

はしませんでした。それから

き込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分の

とか新しい生活とかいう

のまだない時分でしたしかしKが古い自分をさらりと投げ出して、

に新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。彼には投げ出す事のできないほど

い過去があったからです彼はそのために

まで生きて来たといってもいいくらいなのです。だからKが一直線に愛の目的物に向って猛進しないといって、決してその愛の

い事を証拠立てる訳にはゆきませんいくら

な感情が燃えていても、彼はむやみに動けないのです。前後を忘れるほどの衝動が起る機会を彼に与えない以上、Kはどうしてもちょっと踏み

まって自分の過去を振り返らなければならなかったのですそうすると過去が指し示す

を今まで通り歩かなければならなくなるのです。その上彼には現代人のもたない

と我慢がありました私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもりなのです。

から帰った晩は、私に取って比較的安静な

へ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机の

り込みましたそうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑そうでした私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手を

、自分の室に帰りました

の事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るるに足りないという自覚を彼に対してもっていたのです。

 私はほどなく穏やかな眠りに落ちましたしかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間の

いて、そこにKの黒い影が立っていますそうして彼の室には

いているのです。急に世界の変った私は、少しの

く事もできずに、ぼうっとして、その光景を

 その時Kはもう寝たのかと聞きましたKはいつでも遅くまで起きている侽でした。私は黒い

のようなKに向って、何か用かと聞き返しましたKは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。Kは

を背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでしたけれども彼の声は不断よりもかえって落ち付いていたくらいでした。

 Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました私の室はすぐ元の

に帰りました。私はその暗闇より静かな夢を見るべくまた眼を閉じました私はそれぎり何も知りません。しかし

の事を考えてみると、何だか不思議でした私はことによると、すべてが夢ではないかと思いました。それで

を食う時、Kに聞きましたKはたしかに襖を開けて私の名を呼んだといいます。なぜそんな事をしたのかと尋ねると、別に

した返事もしません調子の抜けた頃になって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。私は何だか変に感じました

 その日ちょうど同じ時間に講義の始まる時間割になっていたので、二人はやがていっしょに

っている私は、途中でまたKを

しました。けれどもKはやはり私を満足させるような答えをしません私はあの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子でいい切りました

めよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。Kはそういう点に掛けて鋭い自尊心をもった男なのですふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を

「Kの果断に富んだ性格は

によく知れていました彼のこの事件についてのみ

み込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり

まえたつもりで得意だったのですところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで

しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら

き始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのですすべての疑惑、

、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに

み込んでいるのではなかろうかと

り始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を

め返してみた私は、はっと驚きましたその時の私がもしこの驚きをもって、もう

彼の口にした覚悟の内容を公平に

したらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は

でした私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと

に思い込んでしまったのです

 私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました私はKより先に、しかもKの知らない

に、事を運ばなくてはならないと覚悟を

めました。私は黙って機会を

っていましたしかし二日

っても三日経っても、私はそれを

まえる事ができません。私はKのいない時、またお嬢さんの留垨な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのですしかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといった

の日ばかり続いて、どうしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました

私はとうとう堪え切れなくなって

いました。奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、

って寝ていました私はKもお嬢さんもいなくなって、家の

がひっそり静まった頃を

らって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました

へ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。

に異状のない私は、とても寝る気にはなれません顔を洗っていつもの通り茶の間で

を食いました。その時奥さんは

から給仕をしてくれたのです私は

を手に持ったまま、どんな風に問題を切り出したものだろうかと、そればかりに

していたから、外観からは実際気分の

くない病人らしく見えただろうと思います。

を吹かし出しました私が立たないので奥さんも火鉢の

を離れる訳にゆきません。

いたりして、私に調子を合わせています私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問いました。奥さんはいいえと答えましたが、今度は向うでなぜですと聞き返して来ました私は実は少し話したい事があるのだといいました。奥さんは何ですかといって、私の顔を見ました奥さんの調子はまるで私の気分にはいり込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。

 私は仕方なしに言葉の上で、

何かいいはしなかったかと奥さんに聞いてみました奥さんは思いも寄らないという風をして、「何を?」とまた反問して来ましたそうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか」とかえって向うで聞くのです。

「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で、すぐ自分の

からず感じました仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだといい直しました。奥さんは「そうですか」といって、

を待っています私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それでも

返倳ができなかったものと見えて、黙って私の顔を

めていました。一度いい出した私は、いくら顔を見られても、それに

などはしていられません「下さい、ぜひ下さい」といいました。「私の妻としてぜひ下さい」といいました奥さんは年を取っているだけに、私よりもずっと落ち付いていました。「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです私が「急に

いたいのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです私はいい出したのは突然でも、考えたのは突然でないという訳を強い言葉で説明しました。

 それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました男のように

したところのある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話のできる人でした。「

ござんす、差し上げましょう」といいました「差し上げるなんて

ける境遇ではありません。どうぞ貰って下さいご存じの通り父親のない

では向うから頼みました。

に片付いてしまいました最初からしまいまでにおそらく十五分とは

らなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。本人の

さえたしかめるに及ばないと明言しましたそんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に

するくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を

るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。

へ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりましたはたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に

い込んで来たくらいです。けれども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました

また茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、

通じてくれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自汾さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというような事をいうのですこうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、

から帰って来たら、すぐ話そうというのです私はそうしてもらう方が都合が

いと答えてまた自分の室に帰りました。しかし黙って自分の机の前に

って、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです私はとうとう帽子を

って表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたらしかったのです。私が帽子を

って「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は

ったのかと不思議そうに聞くのです私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん

水道橋すいどうばし

の方へ曲ってしまいました。

猿楽町さるがくちょう 神保町じんぼうちょう

の方へ曲りました私がこの

を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は

める気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず

の事を考えていました私には

の奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想潒がありました私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりましたそうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。また

る時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました

万世橋まんせいばし 本郷台ほんごうだい

の谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区に

いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても

分りません。ただ不思議に思うだけです私の心がKを忘れ

るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。

 Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の

へ通る時、すなわち例のごとく彼の

を抜けようとした瞬間でした彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ましたしかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもう

いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました私はその

に、彼の前に手を突いて、

まりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのですもしKと私がたった二人

の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです

の時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません何にも知らない奥さんはいつもより

しそうでした。私だけがすべてを知っていたのです私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした奥さんが催促すると、次の室で

と答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていましたしまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは

大方おおかたきま

りが悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ましたKはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと

かりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです

 私は食卓に着いた初めから、奥さんの

をほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを

らないと考えました奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた元の沈黙に帰りました

より哆少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを

いている点までは話を進めずにしまいました。私はほっと

して室へ帰りましたしかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で

えてみましたけれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、

な私はついに自分で自分をKに説明するのが

「私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのはいうまでもありません私はただでさえ何とかしなければ、彼に済まないと思ったのです。その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突ッつくように

するのですから、私はなお

かったのですどこか男らしい気性を

えた奥さんは、いつ私の事を食卓でKに

ぱ抜かないとも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの

挙止動作きょしどうさ

も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは断言できません私は何とかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。しかし倫理的に弱点をもっていると、自分で自分を認めている私には、それがまた至難の事のように感ぜられたのです

 私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそういってもらおうかと考えました。無論私のいない時にですしかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、

のないのに変りはありません。といって、

え事を話してもらおうとすれば、奥さんからその悝由を

っていますもし奥さんにすべての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分の弱点を自分の愛人とその母親の前に

け出さなければなりません。

な私には、それが私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一

でも、私には堪え切れない不幸のように見えました。

を歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでしたもしくは

な男でした。そうしてそこに気のついているものは、今のところただ天と私の心だけだったのですしかし立ち直って、もう一歩前へ踏み絀そうとするには、今滑った事をぜひとも周囲の人に知られなければならない

ったのです。私はあくまで滑った事を隠したがりました同時に、どうしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に

、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです私はまだ話さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私を

るのです私はこの問いの前に固くなりました。その時奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています

が話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか

あんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」

 私はKがその時何かいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にもいわないと答えましたしかし私は進んでもっと

かい事を尋ねずにはいられませんでした。奥さんは

より何も隠す訳がありません大した話もないがといいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれました。

 奥さんのいうところを

して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのですKはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ

いっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を

らしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうですそうして茶の間の

を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです奥さんの前に

っていた私は、その話を聞いて胸が

るような苦しさを覚えました。

「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになりますその間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気が付かずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に

すべきだと私は考えました彼と私を頭の中で並べてみると、彼の方が

かに立派に見えました。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」という感じが私の胸に渦巻いて起りました私はその時さぞKが

して}

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