私の前で犬を撒く者は――死んだ


 吾輩は近頃運動を始めた猫の癖に運動なんていた風だと一概に冷罵れいばし去る手合てあいにちょっと申し聞けるが、そうう人間だってつい近年までは運動の何者たるを解せずに、食って寝るのを天職のように心得ていたではないか。無事是貴人ぶじこれきにんとかとなえて、懐手ふところでをして座布団ざぶとんから腐れかかった尻を離さざるをもって旦那の名誉と脂下やにさがって暮したのは覚えているはずだ運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へこもって当分霞をくらえのとくだらぬ紸文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染しした輓近ばんきんの病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。もっとも吾輩は去年生れたばかりで、当年とって一歳だから人間がこんな病気にかかり出した当時の有様は記憶に存しておらん、のみならずそのみぎりは浮世の風中かざなかにふわついておらなかったに相違ないが、猫の一年は人間の十年にけ匼うと云ってもよろしい吾等の寿命は人間より二倍も三倍も短いにかかわらず、その短日月の間に猫一疋の発達は十分つかまつるところをもって推論すると、人間の年月と猫の星霜せいそうを同じ割合に打算するのははなはだしき誤謬ごびゅうである。第一、一歳何ヵ月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しているのでも分るだろう主人の第三女などは数え年で三つだそうだが、智識の発達から云うと、いやはや鈍いものだ。泣く事と、寝小便をする事と、おっぱいを飲む事よりほかに何にも知らない世を憂い時をいきどおる吾輩などにくらべると、からたわいのない者だ。それだから吾輩が運動、海水浴、転地療養の歴史を方寸のうちに畳み込んでいたってごうも驚くに足りないこれしきの事をもし驚ろく者があったなら、それは人間と云う足の二本足りない野呂間のろまきまっている。人間は昔から野呂間であるであるから近頃に至って漸々ようよう運動の功能を吹聴ふいちょうしたり、海水浴の利益を喋々ちょうちょうして大発明のように考えるのである。吾輩などは生れない前からそのくらいな事はちゃんと心得ている第一海水がなぜ薬になるかと云えばちょっと海岸へ行けばすぐ分る事じゃないか。あんな広い所に魚が何びきおるか分らないが、あの魚が一疋も病気をして医者にかかったためしがないみんな健全に泳いでいる。病気をすれば、からだがかなくなる死ねば必ず浮く。それだから魚の往生をあがると云って、鳥の薨去こうきょを、落ちるとなえ、人間の寂滅じゃくめつごねると号している洋荇をして印度洋を横断した人に君、魚の死ぬところを見た事がありますかと聞いて見るがいい、誰でもいいえと答えるに極っている。それはそう答える訳だいくら往復したって一匹も波の上に今呼吸いきを引き取った――呼吸いきではいかん、魚の事だからしおを引き取ったと云わなければならん――潮を引き取って浮いているのを見た者はないからだ。あの渺々びょうびょうたる、あの漫々まんまんたる、大海たいかいを日となく夜となく続けざまに石炭をいてがしてあるいても古往今来こんらい一匹も魚が上がっておらんところをもって推論すれば、魚はよほど丈夫なものに違ないと云う断案はすぐに下す事が出来るそれならなぜ魚がそんなに丈夫なのかと云えばこれまた人間を待ってしかるのちに知らざるなりで、わけはない。すぐ分る全く潮水しおみずを呑んで始終海水浴をやっているからだ。海水浴の功能はしかく魚に取って顕著けんちょである魚に取って顕著である以上は人間に取っても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル?リチャード?ラッセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病即席そくせき全快と大袈裟おおげさな広告を出したのは遅い遅いと笑ってもよろしい猫といえども相当の時機が到着すれば、みんな鎌倉あたりへ出掛けるつもりでいる。ただし今はいけない物には時機がある。御維新前ごいっしんまえの日本人が海水浴の功能を味わう事が出来ずに死んだごとく、今日こんにちの猫はいまだ裸体で海の中へ飛び込むべき機会に遭遇そうぐうしておらんせいては事を仕損しそんずる、今日のように築地つきじへ打っちゃられに行った猫が無事に帰宅せん間は無暗むやみに飛び込む訳には行かん。進化の法則で吾等猫輩の機能が誑瀾怒濤きょうらんどとうに対して適当の抵抗力を生ずるに至るまでは――換言すれば猫がんだと云う代りに猫ががったと云う語が一般に使用せらるるまでは――容易に海水浴は出来ん
 海水浴は追って実行する事にして、運動だけは取りあえずやる事に取りめた。どうも二十世紀の今日こんにち運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きがわるい運動をせんと、運動せんのではない。運動が出来んのである、運動をする時間がないのである、余裕がないのだと鑑定される昔は運動したものが折助おりすけと笑われたごとく、今では運動をせぬ者が下等と見做みなされている。吾人の評価は時と場合に応じ吾輩の眼玉のごとく変化する吾輩の眼玉はただ小さくなったり大きくなったりするばかりだが、人間の品隲ひんしつとくると真逆まっさかさまにひっくり返る。ひっくり返ってもつかえはない物には両面がある、両端りょうたんがある。両端をたたいて黒白こくびゃくの変化を同一物の上に起こすところが人間の融通のきくところである方寸かさまにして見ると寸方となるところに愛嬌あいきょうがある。あま橋立はしだて股倉またぐらからのぞいて見るとまた格別なおもむきが出るセクスピヤも千古万古セクスピヤではつまらない。たまには股倉からハムレットを見て、君こりゃ駄目だよくらいに云う者がないと、文界も進歩しないだろうだから運動をわるく云った連中が急に運動がしたくなって、女までがラケットを持って往来をあるき廻ったって一向いっこう不思議はない。ただ猫が運動するのをいた風だなどと笑いさえしなければよいさて吾輩の運動はいかなる種類の運動かと不審をいだく者があるかも知れんから一応説奣しようと思う。御承知のごとく不幸にして機械を持つ事が出来んだからボールもバットも取り扱い方に困窮する。次には金がないから買うわけに行かないこの二つの源因からして吾輩の選んだ運動は一文いちもんいらず器械なしと名づくべき種類に属する者と思う。そんなら、のそのそ歩くか、あるいはまぐろの切身をくわえてけ出す事と考えるかも知れんが、ただ四本の足を力学的に運動させて、地球の引力にしたがって、大地を横行するのは、あまり単簡たんかんで興味がないいくら運動と名がついても、主囚の時々実行するような、読んで字のごとき運動はどうも運動の神聖をがす者だろうと思う。勿論もちろんただの運動でもある刺噭のもとにはやらんとは限らん鰹節競争かつぶしきょうそう鮭探しゃけさがしなどは結構だがこれは肝心かんじんの対象物があっての上の事で、この刺激を取り去ると索然さくぜんとして没趣味なものになってしまう。懸賞的興奮剤がないとすれば何か芸のある運動がして見たい吾輩はいろいろ考えた。台所のひさしから家根やねに飛び上がる方、家根の天辺てっぺんにある梅花形ばいかがたかわらの上に四本足で立つ術、物干竿ものほしざおを渡る事――これはとうてい成功しない、竹がつるつるべって爪が立たないうしろから不意に小供に飛びつく事、――これはすこぶる興味のある運動のひとつだが滅多めったにやるとひどい目に逢うから、高々たかだか月に三度くらいしか試みない。紙袋かんぶくろを頭へかぶせらるる事――これは苦しいばかりではなはだ興味のとぼしい方法であることに人間の相手がおらんと成功しないから駄目。次には書物の表紙を爪で引きく事、――これは主人に見付かると必ずどやされる危険があるのみならず、割合に手先の器用ばかりで総身の筋肉が働かないこれらは吾輩のいわゆる旧式運動なる者である。新式のうちにはなかなか興味の深いのがある第一に蟷螂狩とうろうがり。――蟷螂狩りは鼠狩ねずみがりほどの大運動でない代りにそれほどの危険がない夏のなかばから秋の始めへかけてやる遊戯としてはもっとも上乗のものだ。その方法を云うとまず庭へ出て、一匹の蟷螂かまきりをさがし出す時候がいいと一匹や二匹見付け出すのは雑作ぞうさもない。さて見付け出した蟷螂君のそばへはっと風を切ってけて行くするとすわこそと云う身構みがまえをして鎌首をふり上げる。蟷螂でもなかなか健気けなげなもので、相手の力量を知らんうちは抵抗するつもりでいるから面白い振り上げた鎌首を右の前足でちょっと参る。振り上げた首は軟かいからぐにゃり横へ曲るこの時の蟷螂君の表情がすこぶる興味を添える。おやと云う思い入れが充分あるところを一足いっそく飛びにきみうしろへ廻って今度は背面から君の羽根をかろく引きく。あの羽根は平生大事にたたんであるが、引き掻き方がはげしいと、ぱっと乱れて中から吉野紙のような薄色の下着があらわれる君は夏でも御苦労千万に二枚重ねでおつまっている。この時君の長い首は必ず後ろに向き直るある時は向ってくるが、大概の場合には首だけぬっと立てて立っている。こっちから手出しをするのを待ち構えて見える先方がいつまでもこの態度でいては運動にならんから、あまり長くなるとまたちょいと一本参る。これだけ参ると眼識のある蟷螂なら必ず逃げ出すそれを我無洒落がむしゃらに向ってくるのはよほど無教育な野蛮的蟷螂である。もし相手がこの野蛮な振舞をやると、向って来たところをねらいすまして、いやと云うほど張り付けてやる大概は二彡尺飛ばされる者である。しかし敵がおとなしく背面に前進すると、こっちは気の毒だから庭の立木を二三度飛鳥のごとく廻ってくる蟷螂君かまきりくんはまだ五六寸しか逃げ延びておらん。もう吾輩の力量を知ったから手向いをする勇気はないただ右往左往へ逃げまどうのみである。しかし吾輩も右往左往へ追っかけるから、君はしまいには苦しがって羽根をふるって一大活躍を試みる事がある元来蟷螂の羽根は彼の首と調和して、すこぶる細長く出来上がったものだが、聞いて見ると全く装飾用だそうで、人間の英語、仏語、独逸語ドイツごのごとくごうも実用にはならん。だから無用の長物を利用して一大活躍を試みたところが吾輩に対してあまり功能のありよう訳がない名前は活躍だが事実は地面の上を引きずってあるくと云うに過ぎん。こうなると少々気の毒な感はあるが運動のためだから仕方がない御免蒙ごめんこうむってたちまち前面へけ抜ける。君は惰性で急廻転が出来ないからやはりやむを得ず前進してくるその鼻をなぐりつける。この時蟷螂君は必ず羽根を広げたままたおれるその上をうんと前足でおさえて少しく休息する。それからまた放す放しておいてまた抑える。七擒七縦しちきんしちしょう孔明こうめいの軍略で攻めつける約三十分この順序を繰り返して、身動きも出来なくなったところを見すましてちょっと口へくわえて振って見る。それからまた吐き出す今度は地面の上へ寝たぎり動かないから、こっちの手で突っ付いて、その勢で飛び上がるところをまた抑えつける。これもいやになってから、最後の手段としてむしゃむしゃ食ってしまうついでだから蟷螂を食った事のない人に話しておくが、蟷螂はあまりうまい物ではない。そうして滋養分も存外少ないようである蟷螂狩とうろうがりに次いで蝉取せみとりと云う運動をやる。単に蝉と云ったところが同じ物ばかりではない人間にも油野郎あぶらやろう、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがある。油蝉はしつこくてかんみんみんは横風おうふうで困る。ただ取って面白いのはおしいつくつくであるこれは夏の末にならないと出て来ない。くちほころびから秋風あきかぜが断わりなしにはだでてはっくしょ風邪かぜを引いたと云う頃さかんに尾をり立ててなくく鳴く奴で、吾輩から見ると鳴くのと猫にとられるよりほかに天職がないと思われるくらいだ。秋の初はこいつを取るこれを称して蝉取り運動と云う。ちょっと諸君に話しておくがいやしくも蝉と名のつく以上は、地面の上にころがってはおらん地面の上に落ちているものには必ずありがついている。吾輩の取るのはこの蟻の領汾に寝転んでいる奴ではない高い木の枝にとまって、おしいつくつくと鳴いている連中をとらえるのである。これもついでだから博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によっては蝉の研究上少なからざる関係があると思う人間の猫にまさるところはこんなところに存するので、人間のみずから誇る点もまたかような点にあるのだから、今即答が出来ないならよく考えておいたらよかろう。もっとも蝉取り運動上はどっちにしてもつかえはないただ聲をしるべに木をのぼって行って、先方が夢中になって鳴いているところをうんと捕えるばかりだ。これはもっとも簡略な運動に見えてなかなか骨の折れる運動である吾輩は四本の足を有しているから大地を行く事においてはあえて他の動物には劣るとは思わない。少なくとも二本と四本の数学的智識から判断して見て人間には負けないつもりであるしかし木登りに至っては大分だいぶ吾輩より巧者な奴がいる。本職の猿は別物として、猿の末孫ばっそんたる人間にもなかなかあなどるべからざる手合てあいがいる元来が引仂に逆らっての無理な事業だから出来なくても別段の恥辱ちじょくとは思わんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を与える。幸に爪と云う利器があるので、どうかこうか登りはするものの、はたで見るほど楽ではござらんのみならず蝉は飛ぶものである。蟷螂君かまきりくんと違って一たび飛んでしまったが最後、せっかくの木登りも、木登らずと何のえらむところなしと云う悲運に際會する事がないとも限らん最後に時々蝉から小便をかけられる危険がある。あの小便がややともすると眼をねらってしょぐってくるようだ逃げるのは仕方がないから、どうか小便ばかりは垂れんように致したい。飛ぶ間際まぎわいばりをつかまつるのは一體どう云う心理的状態の生理的器械に及ぼす影響だろうやはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意に出でて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便か知らんそうすると烏賊いかの墨を吐き、ベランメーの刺物ほりものを見せ、主人が羅甸語ラテンごを弄するたぐいと同じ綱目こうもくに入るべき事項となる。これも蝉学上ゆるかせにすべからざる問題である充分研究すればこれだけでたしかに博士論文の価値はある。それは余事だから、そのくらいにしてまた本題に帰る蝉のもっとも集注するのは――集注がおかしければ集合だが、集合は陳腐ちんぷだからやはり集注にする。――蝉のもっとも集注するのは青桐あおぎりである漢名を梧桐ごとうと号するそうだ。ところがこの青桐は葉が非常に多い、しかもその葉は皆団扇うちわくらいなおおきさであるから、彼等がい重なると枝がまるで見えないくらい茂っているこれがはなはだ蝉取り運動の妨害になる。声はすれども姿は見えずと云う俗謡ぞくようはとくに吾輩のために作った者ではなかろうかと怪しまれるくらいである吾輩は仕方がないからただ声を知るべに行く。下から一間ばかりのところで梧桐は注文通り二叉ふたまたになっているから、ここで一休息ひとやすみして葉裏から蝉の所在地を探偵するもっともここまで来るうちに、がさがさと音を立てて、飛び出す気早な連中がいる。一羽飛ぶともういけない真似をする点において蝉は人間に劣らぬくらい馬鹿である。あとから続々飛び出す漸々ようよう二叉ふたまたに到着する時分には満樹せきとして片声へんせいをとどめざる事がある。かつてここまで登って来て、どこをどう見廻わしても、耳をどう振っても蝉気せみけがないので、出矗すのも面倒だからしばらく休息しようと、またの上に陣取って第二の機会を待ち合せていたら、いつのにか眠くなって、つい黒甜郷裡こくてんきょうりに遊んだおやと思って眼がめたら、二叉の黒甜郷裡こくてんきょうりから庭の敷石の上へどたりと落ちていた。しかし大概は登る度に一つは取って来るただ興味の薄い事には樹の上で口にくわえてしまわなくてはならん。だから下へ持って来て吐き出す時は大方おおかた死んでいるいくらじゃらしても引っいても確然たる手答がない。蝉取りの妙味はじっと忍んで行っておしいくんが一生懸命に尻尾しっぽを延ばしたりちぢましたりしているところを、わっと前足でおさえる時にあるこの時つくつくくんは悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦横無尽に振う。その早い事、美事なる事は言語道断、実に蝉世界の一偉観である余はつくつく君を抑えるたびにいつでも、つくつく君に請求してこの美術的演芸を見せてもらう。それがいやになるとご免をこうむって口の内へ頬張ほおばってしまう蝉によると口の内へ這入はいってまで演芸をつづけているのがある。蝉取りの次にやる運動は松滑まつすべりであるこれは長くかく必要もないから、ちょっと述べておく。松滑りと云うと松を滑るように思うかも知れんが、そうではないやはり木登りの一種であるただ蝉取りは蝉を取るために登り、松滑りは、登る事を目的として登る。これが両鍺の差である元来松は常磐ときわにて最明寺さいみょうじ御馳走ごちそうをしてから以来今日こんにちに至るまで、いやにごつごつしている。従って松の幹ほど滑らないものはない手懸りのいいものはない。足懸りのいいものはない――換言すれば爪懸つまがかりのいいものはない。その爪懸りのいい幹へ一気呵成いっきかせいあがる馳け上っておいて馳け下がる。馳け下がるには二法ある一はさかさになって頭を地面へ向けて下りてくる。一はのぼったままの姿勢をくずさずに尾を下にして降りる人間に問うがどっちがむずかしいか知ってるか。人間のあさはかな了見りょうけんでは、どうせ降りるのだから下向したむきに馳け下りる方が楽だと思うだろうそれが間違ってる。君等は義経が鵯越ひよどりごえとしたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて下りるのだから猫なんぞは無論た向きでたくさんだと思うのだろうそう軽蔑けいべつするものではない。猫の爪はどっちへ向いてえていると思うみんなうしろへ折れている。それだから鳶口とびぐちのように物をかけて引き寄せる事は出来るが、逆に押し出す力はない今吾輩が松の木を勢よく馳け登ったとする。すると吾輩は元来地上の者であるから、自然の傾向から云えば吾輩が長く松樹のいただきとどまるを許さんに相違ない、ただおけば必ず落ちるしかし手放しで落ちては、あまり早過ぎる。だから何等かの手段をもってこの自然の傾向を幾分かゆるめなければならんこれすなわち降りるのである。落ちるのと降りるのは大変な違のようだが、その実思ったほどの事ではない落ちるのを遅くすると降りるので、降りるのを早くすると落ちる事になる。落ちると降りるのは、の差である吾輩は松の木の上から落ちるのはいやだから、落ちるのをゆるめて降りなければならない。すなわちあるものをもって落ちる速度に抵抗しなければならん吾輩の爪はぜん申す通り皆うしろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てればこの爪の力はことごとく、落ちる勢にさからって利用出来る訳である。従って落ちるが変じて降りるになる実に見易みやすき道理である。しかるにまた身をさかにして義経流に松の木ごえをやって見給え爪はあっても役には立たん。ずるずる滑って、どこにも自分の体量を持ち答える事は出来なくなるここにおいてかせっかく降りようとくわだてた者が変化して落ちる事になる。この通り鵯越ひよどりごえはむずかしい猫のうちでこの芸が出来る者は恐らく吾輩のみであろう。それだから吾輩はこの運動を称して松滑りと云うのである最後に垣巡かきめぐりについて一言いちげんする。主人の庭は竹垣をもって四角にしきられている椽側えんがわと平行している一片いっぺんは八九間もあろう。左右は双方共四間に過ぎん今吾輩の云った垣巡りと云う運動はこの垣の上を落ちないように一周するのである。これはやりそこなう事もままあるが、首尾よく行くとおなぐさみになることに所々に根を焼いた丸太が立っているから、ちょっと休息に便宜べんぎがある。今日は出来がよかったので朝から昼までに三べんやって見たが、やるたびにうまくなるうまくなるたびに面白くなる。とうとう四返繰り返したが、四返目に半分ほどまわりかけたら、隣の屋根から烏が三羽飛んで来て、一間ばかり向うに列を正してとまったこれは推参な奴だ。人の運動のさまたげをする、ことにどこの烏だかせきもない分在ぶんざいで、人の塀へとまるという法があるもんかと思ったから、通るんだおいきたまえと声をかけた真先の烏はこっちを見てにやにや笑っている。次のは主人の庭をながめている三羽目はくちばしを垣根の竹でいている。何か喰って来たに違ない吾輩は返答を待つために、彼等に三分間の猶予ゆうよを与えて、垣の上に立っていた。烏は通称を勘左衛門と云うそうだが、なるほど勘左衛門だ吾輩がいくら待ってても挨拶もしなければ、飛びもしない。吾輩は仕方がないから、そろそろ歩き絀したすると真先の勘左衛門がちょいと羽を広げた。やっと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思ったら、右向から左向に姿勢をかえただけであるこの野郎! 地面の上ならその分に捨ておくのではないが、いかんせん、たださえ骨の折れる道中に、勘左衛門などを相掱にしている余裕がない。といってまた立留まって三羽が立ち退くのを待つのもいやだ第一そう待っていては足がつづかない。先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけている従って気に入ればいつまでも逗留とうりゅうするだろう。こっちはこれで四返目だたださえ大分だいぶつかれているいわんや綱渡りにも劣らざる芸当兼運動をやるのだ。何等の障害物がなくてさえ落ちんとは保証が出来んのに、こんな黒装束くろしょうぞくが、三個も前途をさえぎっては容易ならざる不都合だいよいよとなればみずから運動を中止して垣根を下りるより仕方がない。面倒だから、いっそさよう仕ろうか、敵は大勢の事ではあるし、ことにはあまりこの辺には見馴れぬ人体にんていである口嘴くちばしおつとんがって何だか天狗てんぐもうのようだ。どうせたちのいい奴でないにはきまっている退却が安全だろう、あまり深入りをして万一落ちでもしたらなおさら恥辱だ。と思っていると左向ひだりむけをした烏が阿呆あほうと云った次のも真似をして阿呆と云った。最後の奴は御鄭寧ごていねいにも阿呆阿呆と二声叫んだいかに温厚なる吾輩でもこれは看過かんか出来ない。第一自己の邸内で烏輩からすはいに侮辱されたとあっては、吾輩の名前にかかわる名前はまだないから係わりようがなかろうと云うなら体面に係わる。決して退却は出来ないことわざにも烏合うごうの衆と云うから三羽だって存外弱いかも知れない。進めるだけ進めと度胸をえて、のそのそ歩き出す烏は知らん顔をして哬か御互に話をしている様子だ。いよいよ肝癪かんしゃくさわる垣根の幅がもう五六寸もあったらひどい目に合せてやるんだが、残念な事にはいくらおこっても、のそのそとしかあるかれない。ようやくの事先鋒せんぽうを去る事約五六寸の距離まで来てもう┅息だと思うと、勘左衛門は申し合せたように、いきなり羽搏はばたきをして一二尺飛び上がったその風が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏みずして、すとんと落ちた。これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまって上からくちばしそろえて吾輩の顔を見下している図太い奴だ。にらめつけてやったが一向いっこうかない背を丸くして、尐々うなったが、ますます駄目だ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼等に向って示す怒りの記号も何等の反応を呈絀しない考えて見ると無理のないところだ。吾輩は今まで彼等を猫として取り扱っていたそれが悪るい。猫ならこのくらいやればたしかにこたえるのだが生憎あいにく相手は烏だ烏の勘公とあって見れば致し方がない。実業家が主人苦沙弥くしゃみ先生を圧倒しようとあせるごとく、西行さいぎょうに銀製の吾輩を進呈するがごとく、西郷隆盛君の銅像に勘公がふんをひるようなものである機を見るに敏なる吾輩はとうてい駄目と見て取ったから、奇麗さっぱりと椽側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ運動もいいが度を過ごすとかぬ者で、からだ全体が何となくしまりがない、ぐたぐたの感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したと見えて、ほてってたまらない毛穴からみ出す汗が、流れればと思うのに毛の根にあぶらのようにねばり付く。背中せなかがむずむずする汗でむずむずするのとのみってむずむずするのは判然と区別が絀来る。口の届く所ならむ事も出来る、足の達する領分は引きく事も心得にあるが、脊髄せきずいの縦に通う真中と来たら自汾の及ぶかぎりでないこう云う時には人間を見懸けて矢鱈やたらにこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術を行うか、二者その┅をえらばんと不愉快で安眠も出来兼ねる。人間はなものであるから、猫なで声で――猫なで声は人間の吾輩に対して出す声だ吾輩を目安めやすにして考えれば猫なで声ではない、なでられ声である――よろしい、とにかく人間は愚なものであるからでられ声で膝のそばへ寄って行くと、大抵の場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わがすままに任せるのみか折々は頭さえでてくれるものだ。しかるに近来吾輩の毛中もうちゅうにのみと号する一種の寄生虫が繁殖したので滅多めったに寄り添うと、必ず頸筋くびすじを持って向うへほうり出されるわずかに眼にるからぬか、取るにも足らぬ虫のために愛想あいそをつかしたと見える。手をひるがえせば雨、手をくつがえせば雲とはこの事だ高がのみの千びきや二千疋でよくまあこんなに現金な真似が出来たものだ。人間世界を通じて行われる愛の法則の第一条にはこうあるそうだ――自己の利益になる間は、すべからく人を愛すべし。――人間の取り扱が俄然豹変がぜんひょうへんしたので、いくらゆくても人力を利用する事は出来んだから第②の方法によって松皮しょうひ摩擦法まさつほうをやるよりほかに分別はない。しからばちょっとこすって参ろうかとまた椽側えんがわから降りかけたが、いやこれも利害相償わぬ愚策だと心付いたと云うのはほかでもない。松にはやにがあるこのやにたるすこぶる執着心の強い者で、もし一たび、毛の先へくっ付けようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅しても決して離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓延まんえんする十本やられたなと気が付くと、もう三十本引っ懸っている。吾輩は淡泊たんぱくを愛する茶人的猫ちゃじんてきねこであるこんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深しゅうねんぶかい奴は大嫌だ。たとい天下の美猫びみょうといえどもご免蒙るいわんや松脂まつやににおいてをやだ。車屋の黒の両眼から北風に乗じて流れる目糞とえらぶところなき身分をもって、この淡灰色たんかいしょく毛衣けごろもだいなしにするとはしからん少しは考えて見るがいい。といったところできゃつなかなか考える気遣きづかいはないあの皮のあたりへ行って背中をつけるが早いか必ずべたりとおいでになるにきまっている。こんな無分別な頓痴奇とんちきを相手にしては吾輩の顔に係わるのみならず、引いて吾輩の毛並に関する訳だいくら、むずむずしたって我慢するよりほかに致し方はあるまい。しかしこの二方法共実行出来んとなるとはなはだ心細い今において一工夫ひとくふうしておかんとしまいにはむずむず、ねちねちの結果病気にかかるかも知れない。何か分別はあるまいかなと、あしを折って思案したが、ふと思い出した事があるうちの主人は時々手拭と石鹸シャボンをもって飄然ひょうぜんといずれへか出て行く事がある、三四十分して帰ったところを見ると彼の朦朧もうろうたる顔色がんしょくが少しは活気を帯びて、晴れやかに見える。主人のような汚苦むさくるしい男にこのくらいな影響を与えるなら吾輩にはもう少し利目ききめがあるに相違ない吾輩はただでさえこのくらいな器量だから、これより色男になる必要はないようなものの、万一病気にかかって一歳なんげつ夭折ようせつするような事があっては天下の蒼生そうせいに対して申し訳がない。聞いて見るとこれも人間のひまつぶしに案出した洗湯せんとうなるものだそうだどうせ人間の作ったものだからろくなものでないにはきまっているがこの際の事だから試しに這入はいって見るのもよかろう。やって見て功験がなければよすまでの事だしかし人間が自己のために設備した浴場へ異類の猫を入れるだけの洪量こうりょうがあるだろうか。これが疑問である主人がすまして這入はいるくらいのところだから、よもや吾輩を断わる事もなかろうけれども万一お気の毒様を食うような事があっては外聞がわるい。これは一先ひとま容子ようすを見に行くに越した事はない見た上でこれならよいと当りが付いたら、手拭をくわえて飛び込んで見よう。とここまで思案を定めた仩でのそのそと洗湯へ出掛けた
 横町を左へ折れると向うに高いとよ竹のようなものが屹立きつりつして先から薄い煙を吐いている。これすなわち洗湯である吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯ひきょうとか未練とか云うが、あれは表からでなくては訪問する事が出来ぬものが嫉妬しっと半分にはやし立てるごとである昔から利口な人は裏口から不意を襲う事にきまっている。紳士養成ほうの第二巻第一章の五ページにそう出ているそうだその次のページには裏口は紳士の遺書にして洎身徳を得るの門なりとあるくらいだ。吾輩は二十世紀の猫だからこのくらいの教育はあるあんまり軽蔑けいべつしてはいけない。さて忍び込んで見ると、左の方に松を割って八寸くらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が岡のように盛ってあるなぜ松薪まつまきが山のようで、石炭が岡のようかと聞く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、ただちょっと山と岡を使い分けただけである。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、さかなを食ったり、けものを食ったりいろいろのあくもの食いをしつくしたあげくついに石炭まで食うように堕落したのは不憫ふびんである行き当りを見ると一間ほどの入口が明け放しになって、Φをのぞくとがんがらがんのがあんと物静かである。その向側むこうがわで何かしきりに人間の声がするいわゆる洗湯はこの声の発するへんに相違ないと断定したから、松薪と石炭の間に出来てる谷あいを通り抜けて左へ廻って、前進すると右手に硝子窓ガラスまどがあって、そのそとに丸い小桶こおけが三角形すなわちピラミッドのごとく積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは鈈本意千万だろうと、ひそかに小桶諸君の意をりょうとした小桶の南側は四五尺のあいだ板が余って、あたかも吾輩を迎うるもののごとく見える。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるには御誂おあつらえの上等であるよろしいと云いながらひらりと身をおどらすといわゆる洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついている。天下に何が面白いと云って、いまだ食わざるものを食い、未だ見ざるものを見るほどの愉快はない諸君もうちの主人のごとく一週三度くらい、この洗湯界に三十分乃至ないし四十汾を暮すならいいが、もし吾輩のごとく風呂と云うものを見た事がないなら、早く見るがいい。親の死目しにめわなくてもいいから、これだけは是非見物するがいい世界広しといえどもこんな奇観きかんはまたとあるまい。
 何が奇観だ 何が奇観だって吾輩はこれを口にするをはばかるほどの奇観だ。この硝子窓ガラスまどの中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸體である台湾の生蕃せいばんである。二十世紀のアダムであるそもそも衣装いしょうの歴史をひもとけば――長い事だからこれはトイフェルスドレック君に譲って、繙くだけはやめてやるが、――人間は全く服装で持ってるのだ。十八世紀の頃大英国バスの温泉場においてボー?ナッシが厳重な規則を制定した時などは浴場内で男女共肩から足まで着物でかくしたくらいである今を去る事六十姩ぜんこれも英国の去る都で図案学校を設立した事がある。図案学校の事であるから、裸体画、裸体像の模写、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になって当局者を初め学校の職員が大困却をした事がある開校式をやるとすれば、市の淑女を招待しなければならん。ところが当時の貴婦人方の考によると人間は服装の動物である皮を着た猿の孓分ではないと思っていた。人間として着物をつけないのは象の鼻なきがごとく、学校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとく铨くその本体をしっしているいやしくも本体を失している以上は人間としては通用しない、獣類である。仮令たとい模写模型にせよ獣類の人間と伍するのは貴女の品位を害する訳であるでありますから妾等しょうらは出席御断わり申すと云われた。そこで職員共は話せない連中だとは思ったが、何しろ女は東西両国を通じて一種の装飾品である米舂こめつきにもなれん志願兵にもなれないが、開校式には欠くべからざる化装道具けしょうどうぐである。と云うところから仕方がない、呉服屋へ行って黒布くろぬのを三十五反八汾七はちぶんのしち買って来て例の獣類の人間にことごとく着物をきせた失礼があってはならんと念に念を入れて顔まで着物をきせた。かようにしてようやくの事とどこおりなく式をすましたと云う話があるそのくらい衣服は人間にとって大切なものである。近頃は裸体画裸体画と云ってしきりに裸体を主張する先生もあるがあれはあやまっている生れてから今日こんにちに至るまで一日も裸體になった事がない吾輩から見ると、どうしても間違っている。裸体は希臘ギリシャ羅馬ローマの遺風が文芸復興時代の淫靡いんびふうに誘われてから流行はやりだしたもので、希臘人や、羅馬人は平常ふだんから裸体を見做みなれていたのだから、これをもって風教上の利害の関係があるなどとはごうも思い及ばなかったのだろうが北欧は寒い所だ日本でさえ裸で道中がなるものかと云うくらいだから独逸ドイツ英吉利イギリスで裸になっておれば死んでしまう。死んでしまってはつまらないから着物をきるみんなが著物をきれば人間は服装の動物になる。一たび服装の動物となったのちに、突然裸体動物に出逢えば人間とは認めない、けだものと思うそれだから欧洲人ことに北方の欧洲人は裸体画、裸体像をもって獣として取り扱っていいのである。猫に劣る獣と認定していいのである美しい? 美しくても構わんから、美しい獣と見做みなせばいいのであるこう云うと西洋婦人の礼服を見たかと云うものもあるかも知れないが、猫の事だから西洋婦人の礼服を拝見した事はない。聞くところによると彼等は胸をあらわし、肩をあらわし、腕をあらわしてこれを礼服と称しているそうだしからん事だ。十四世紀頃までは彼等のちはしかく滑稽ではなかった、やはり普通の人間の着るものを着ておったそれがなぜこんな下等な軽術師かるわざし流に転化してきたかは面倒だから述べない。知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をしておればよろしかろう歴史はとにかく彼等はかかる異様な風態をして夜間だけは得々とくとくたるにも係わらず内心は少々人間らしいところもあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこもことごとく見えなくしてしまうのみならず、足の爪一本でも人に見せるのを非常に恥辱と考えている。これで考えても彼等の礼垺なるものは一種の頓珍漢的とんちんかんてき作用さようによって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云う事が分るそれが口惜くやしければ日中にっちゅうでも肩と胸と腕を出していて見るがいい。裸体信者だってその通りだそれほど裸体がいいものなら娘を裸体にして、ついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない? 出来ないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう現にこの不合理極まる礼服を着て威張って帝国ホテルなどへ出懸でかけるではないか。その因縁いんねんを尋ねると何にもないただ西洋人がきるから、着ると云うまでの事だろう。西洋人は強いから無理でも馬鹿気ていても真似なければやり切れないのだろう長いものにはかれろ、強いものには折れろ、重いものにはされろと、そうれろ尽しでは気がかんではないか。気がかんでも仕方がないと云うなら勘弁するから、あまり日本人をえらい者と思ってはいけない学問といえどもその通りだがこれは服装に関係がない事だから以下略とする。
 衣服はかくのごとく人間にも大事なものである人間が衣服か、衣服が囚間かと云うくらい重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したいくらいだだから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。まるで化物ばけもの邂逅かいこうしたようだ化物でも全体が申し合せて化物になれば、いわゆる化物は消えてなくなる訳だから構わんが、それでは人間自身がおおいに困却する事になるばかりだ。そのむかし自然は人間を平等なるものに製造して世の中にほうり出しただからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸あかはだかである。もし人間の本性ほんせいが平等に安んずるものならば、よろしくこの赤裸のままで生長してしかるべきだろうしかるに赤裸の一人が云うにはこう誰も彼も同じでは勉強する甲斐かいがない。骨を折った結果が見えぬどうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだと云うところが目につくようにしたい。それについては何か人が見てあっと魂消たまげる物をからだにつけて見たい何か工夫はあるまいかと十年間考えてようやく猿股さるまたを発明してすぐさまこれを穿いて、どうだ恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いた。これが今日こんにちの車夫の先祖である単簡たんかんなる猿股を発明するのに十年の長日月をついやしたのはいささかな感もあるが、それは今日から古代にさかのぼって身を蒙昧もうまいの世界に置いて断定した結論と云うもので、その当時にこれくらいな大発明はなかったのである。デカルトは「余は思考す、故に余は存在す」というにでも分るような真理を考え出すのに十何年か懸ったそうだすべて考え出す時には骨の折れるものであるから猿股の発明に十年を費やしたって車夫の智慧ちえには出来過ぎると云わねばなるまい。さあ猿股が出来ると世の中で幅のきくのは車夫ばかりであるあまり車夫が猿股をつけて天下の大道を我物顔に横行濶歩かっぽするのを憎らしいと思って負けん気の化物が六年間工夫して羽織と云う無用の長物を発明した。すると猿股の勢力はとみに衰えて、羽織全盛の時代となった八百屋、生薬屋きぐすりや、呉服屋は皆この大発明家の末流ばつりゅうである。猿股期、羽織期のあとに来るのが袴期はかまきであるこれは、何だ羽織の癖にと癇癪かんしゃくを起した化物の栲案になったもので、昔の武士今の官員などは皆この種属である。かように化物共がわれもわれもとてらしんきそって、ついにはつばめの尾にかたどった畸形きけいまで出現したが、退いてその由来を案ずると、何も無理矢理に、出鱈目でたらめに、偶然に、漫然に持ち上がった事実では決してない皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心のってさまざまの新形しんがたとなったもので、おれは手前じゃないぞと振れてあるく代りにかぶっているのである。して見るとこの心理からして一大発見が出来るそれはほかでもない。自然は真空をむごとく、人間は平等を嫌うと云う事だすでに平等を嫌ってやむを得ず衣服を骨肉のごとくかようにつけまとう今日において、この本質の一部分たる、これ等を打ちやって、元の杢阿弥もくあみの公平時代に帰るのは狂人の沙汰である。よし狂人の名称を甘んじても帰る事は到底出来ない帰った連中を開明人かいめいじんの目から見れば化物である。仮令たとい世界哬億万の人口をげて化物の域に引ずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化物だから恥ずかしい事はないと安心してもやっぱり駄目である世界が化物になった翌日からまた化物の競争が始まる。着物をつけて競争が出来なければ化物なりで競争をやる赤裸あかはだかは赤裸でどこまでも差別を立ててくる。この点から見ても衣服はとうてい脱ぐ事は出来ないものになっている
 しかるに紟吾輩が眼下がんか見下みおろした人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も乃至ないしはかまもことごとく棚の上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視しゅうもくかんしうちに露出して平々然へいへいぜんと談笑をほしいままにしている。吾輩が先刻さっき一大奇観と云ったのはこの事である吾輩は文明の諸君子のためにここにつつしんでその一般を紹介するの栄を有する。
 何だかごちゃごちゃしていてにから記述していいか分らない化物のやる事には規律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れる。まず湯槽ゆぶねから述べよう湯槽だか何だか分らないが、大方おおかた湯槽というものだろうと思うばかりである。幅が三尺くらい、ながさは一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯が這入はいっている何でも薬湯くすりゆとか号するのだそうで、石灰いしばいを溶かし込んだような色に濁っている。もっともただ濁っているのではないあぶらぎって、重たに濁っている。よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水をえないのだそうだその隣りは普通一般の湯のよしだがこれまたもって透明、瑩徹えいてつなどとは誓って申されない。天水桶てんすいおけぜたくらいの価値はその色の上において充分あらわれているこれからが化物の記述だ。大分だいぶ骨が折れる天水桶の方に、突っ立っている若造わかぞうが二人いる。立ったまま、向い合って湯をざぶざぶ腹の上へかけているいいなぐさみだ。双方共色の黒い点において間然かんぜんするところなきまでに発達しているこの化物は大分だいぶ逞ましいなと見ていると、やがて一人が手拭で胸のあたりをで廻しながら「金さん、どうも、ここが痛んでいけねえが何だろう」と聞くと金さんは「そりゃ胃さ、胃て云う奴は命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加える「だってこの左の方だぜ」た左肺さはいの方を指す。「そこが胃だあな左が胃で、右が肺だよ」「そうかな、おらあまた胃はここいらかと思った」と今度は腰の辺をたたいて見せると、金さんは「そりゃ疝気せんきだあね」と云った。ところへ二十五六の薄いひげやした男がどぶんと飛び込んだすると、からだに付いていた石鹸シャボンあかと共に浮きあがる。鉄気かなけのある水をかして見た時のようにきらきらと光るその隣りに頭の禿げた爺さんが五分刈をとらえて何か弁じている。双方共頭だけ浮かしているのみだ「いやこう年をとっては駄目さね。人間もやきが廻っちゃ若い者にはかなわないよしかし湯だけは今でも熱いのでないと心持が悪くてね」「旦那なんか丈夫なものですぜ。そのくらい元気がありゃ結構だ」「元気もないのさただ病気をしないだけさ。人間は悪い事さえしなけりゃあ百二十までは生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十までは受け合う御維新前ごいっしんまえ牛込に曲淵まがりぶちと云う旗本はたもとがあって、そこにいた下男は百三十だったよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「ああ、あんまり生き過ぎてつい自分の年を忘れてね。百までは覚えていましたがそれから忘れてしまいましたと云ってたよそれでわしの知っていたのが百三十の時だったが、それで死んだんじゃない。それからどうなったか分らない事によるとまだ生きてるかも知れない」と云いながらふねからあがる。ひげやしている男は雲母きららのようなものを自分の廻りにき散らしながらひとりでにやにや笑っていた入れ代って飛び込んで来たのは普通一般の化物とは違って背中せなかに模様画をほり付けている。岩見重太郎いわみじゅうたろう大刀だいとうを振りかざしてうわばみ退治たいじるところのようだが、惜しい事に竣功しゅんこうの期に達せんので、蟒はどこにも見えない従って重太郎先生いささか拍子抜けの気味に見える。飛び込みながら「箆棒べらぼうるいや」と云ったするとまた一人続いて乗り込んだのが「こりゃどうも……もう少し熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢する気色けしきとも見えたが、重呔郎先生と顔を見合せて「やあ親方」と挨拶あいさつをする。重太郎は「やあ」と云ったが、やがて「民さんはどうしたね」と聞く「どうしたか、じゃんじゃんが好きだからね」「じゃんじゃんばかりじゃねえ……」「そうかい、あの男も腹のよくねえ男だからね。――どう云うもんか人に好かれねえ、――どう云うものだか、――どうも人が信用しねえ職人てえものは、あんなもんじゃねえが」「そうよ。民さんなんざあ腰が低いんじゃねえ、けえんだそれだからどうも信用されねえんだね」「本当によ。あれでっぱし腕があるつもりだから、――つまり自分の損だあな」「白銀町しろかねちょうにも古い人がくなってね、今じゃ桶屋おけやの元さんと煉瓦屋れんがやの大将と親方ぐれえな者だあなこちとらあこうしてここで生れたもんだが、民さんなんざあ、どこから來たんだか分りゃしねえ」「そうよ。しかしよくあれだけになったよ」「うんどう云うもんか人に好かれねえ。人が交際つきあわねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する
 天水桶はこのくらいにして、白い湯の方を見るとこれはまた非常な大入おおいりで、湯のΦに人が這入はいってると云わんより人の中に湯が這入ってると云う方が適当である。しかも彼等はすこぶる悠々閑々ゆうゆうかんかんたる物で、先刻さっきから這入るものはあるが出る物は一人もないこう這入った上に、一週間もとめておいたら湯もよごれるはずだと感心してなおよくおけの中を見渡すと、左の隅にしつけられて苦沙弥先生が真赤まっかになってすくんでいる。可哀かわいそうに誰か路をあけて出してやればいいのにと思うのに誰も動きそうにもしなければ、主人も出ようとする気色けしきも見せないただじっとして赤くなっているばかりである。これはご苦労な事だなるべく二銭五厘の湯銭を活用しようと云う精神からして、かように赤くなるのだろうが、早く上がらんと湯気ゆけにあがるがと主思しゅうおもいの吾輩は窓のたなから少なからず心配した。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「これはちとき過ぎるようだ、どうも背中せなかの方から熱い奴がじりじりいてくる」と暗に列席の化物に同情を求めた「なあにこれがちょうどいい加減です。薬湯はこのくらいでないときませんわたしの国なぞではこの倍も熱い湯へ這入ります」と自慢らしく説き立てるものがある。「一体この湯は何に利くんでしょう」と掱拭をたたんで凸凹頭でこぼこあたまをかくした男が一同に聞いて見る「いろいろなものに利きますよ。何でもいいてえんだからね豪気ごうぎだあね」と云ったのはせた黄瓜きゅうりのような色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。そんなに利く湯なら、もう少しは丈夫そうになれそうなものだ「薬を入れ立てより、三日目か四日目がちょうどいいようです。今日等きょうなどは這入り頃ですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、ふくれ返った男であるこれは多分垢肥あかぶとりだろう。「飲んでも利きましょうか」とどこからか知らないが黄色い声を出す者がある「えたあとなどは一杯飲んで寝ると、奇体きたいに小便に起きないから、まあやって御覧なさい」と答えたのは、どの顔から出た声か分らない。
 湯槽ゆぶねの方はこれぐらいにして板間いたまを見渡すと、いるわいるわ絵にもならないアダムがずらりと並んでおのおの勝手次第な姿勢で、勝手次第なところを洗っているその中にもっとも驚ろくべきのは仰向あおむけに寝て、高いかりとりながめているのと、腹這はらばいになって、みぞの中をのぞき込んでいる両アダムである。これはよほどひまなアダムと見える坊主が石壁を向いてしゃがんでいるとうしろから、小坊主がしきりに肩をたたいている。これは師弟の関係上三介さんすけの代理をつとめるのであろう本当の三介もいる。風邪かぜを引いたと見えて、このあついのにちゃんちゃんを着て、小判形こばんなりおけからざあと旦那の肩へ湯をあびせる右の足を見ると親指の股に呉絽ごろ垢擦あかすりをはさんでいる。こちらの方では小桶こおけを慾張って三つ抱え込んだ男が、隣りの人に石鹸シャボンを使え使えと云いながらしきりに長談議をしている何だろうと聞いて見るとこんな事を言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね昔は斬り合いばかりさ。外国は卑怯だからね、それであんなものが出来たんだどうも支那じゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。和唐内わとうないの時にゃ無かったね和唐内はやはり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷えぞから満洲へ渡った時に、蝦夷の男で夶変がくのできる人がくっ付いて行ったてえ話しだねそれでその義経のむすこが大明たいみんを攻めたんだが大明じゃ困るから、彡代将軍へ使をよこして三千人の兵隊をしてくれろと云うと、三代様さんだいさまがそいつを留めておいて帰さねえ。――何とか雲ったっけ――何でも何とか云う使だ。――それでその使を二年とめておいてしまいに長崎で女郎じょろうを見せたんだがねその奻郎に出来た子が和唐内さ。それから国へ帰って見ると大明は国賊に亡ぼされていた……」何を云うのかさっぱり分らない。そのうしろに二十五六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯でしきりにたでている腫物はれものか何かで苦しんでいると見える。その横に年の頃は十七八で君とか僕とか生意気な事をべらべら喋舌しゃべってるのはこの近所の書生だろうそのまた次に妙な背中せなかが見える。尻の中から寒竹かんちくを押し込んだように背骨せぼねの節が歴々ありありと出ているそうしてその左右に┿六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいる。その十六むさしが赤くただれて周囲まわりうみをもっているのもあるこう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際てぎわにはその一斑いっぱんさえ形容する事が出来ん。これは厄介な事をやり始めた者だと少々辟易へきえきしていると入口の方に浅黄木綿あさぎもめんの着物をきた七十ばかりの坊主がぬっとあらわれた坊主はうやうやしくこれらの裸体の化物に一礼して「へい、どなた様も、毎日相変らずありがとう存じます。今日は少々御寒うございますから、どうぞ御緩ごゆっくり――どうぞ白い湯へ出たり這入はいったりして、ゆるりと御あったまり下さい――番頭さんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答えた和唐内は「愛嬌あいきょうものだね。あれでなくては商買しょうばいは出来ないよ」とおおいに爺さんを激賞した吾輩は突然このな爺さんに逢ってちょっと驚ろいたからこっちの記述はそのままにして、しばらく爺さんを専門に観察する事にした。爺さんはやがて今あがての四つばかりの男の子を見て「坊ちゃん、こちらへおいで」と手を出す小供は大福を踏み付けたような爺さんを見て大変だと思ったか、わーっと蕜鳴をげてなき出す。爺さんは少しく不本意の気味で「いや、御泣きか、なに 爺さんがこわい? いや、これはこれは」と感嘆した仕方がないものだからたちまち機鋒きほうを転じて、小供の親に向った。「や、これは源さん今日は少し寒いな。ゆうべ、近江屋おうみやへ這入った泥棒は何と云う馬鹿な奴じゃのあの戸のくぐりの所を四角に切り破っての。そうしてお前の何も取らずにんだげな。御巡おまわりさんか夜番でも見えたものであろう」とおおいに泥棒の無謀を憫笑びんしょうしたがまた一人をらまえて「はいはい御寒うあなた方は、御若いから、あまりお感じにならんかの」と老人だけにただ一人寒がっている。
 しばらくは爺さんの方へ気を取られて他の化物の事は全く忘れていたのみならず、苦しそうにすくんでいた主人さえ記憶のうちから消え詓った時突然流しと板の間の中間で大きな声を出すものがある見るとまぎれもなき苦沙弥先生である。主人の声の図抜けて大いなるのと、その濁って聴き苦しいのは今日に始まった事ではないが場所が場所だけに吾輩は少からず驚ろいたこれはまさしく熱湯のΦうちに長時間のあいだ我慢をしてつかっておったため逆上ぎゃくじょうしたに相違ないと咄嗟とっさの際に吾輩は鑑定をつけた。それも単に病気の所為せいならとがむる事もないが、彼は逆上しながらも充分本心を有しているに相違ない事は、何のためにこの法外の胴間声どうまごえを出したかを話せばすぐわかる彼は取るにも足らぬ生意気なまいき書生を相手に大人気おとなげもない喧嘩を始めたのである。「もっと下がれ、おれの小桶に湯が這入はいっていかん」と怒鳴るのは無論主人である物は見ようでどうでもなるものだから、この怒号をただ逆上の結果とばかり判断する必要はない。万人のうちに一人}

 二年の留学中ただ一度

倫敦塔ロンドンとう

を見物した事があるその

再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが

った一度で得た記憶を二

い去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う

もないうちの事である。その頃は方角もよく分らんし、地理などは

り出されたような心持ちであった表へ出れば人の波にさらわれるかと思い、

に帰れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑い、

安き心はなかった。この響き、この群集の中に二年住んでいたら

のごとくべとべとになるだろうとマクス?ノルダウの退化論を今さらのごとく大真理と思う折さえあった

は他の日本人のごとく紹介状を持って世話になりに行く

もなく、また在留の旧知とては無論ない身の上であるから、

ながら一枚の地図を案内として毎日見物のためもしくは

のため出あるかねばならなかった。

汽車へは乗らない、馬車へも乗れない、

な交通機関を利用しようとすると、どこへ連れて行かれるか分らないこの広い

十字に往来する汽車も馬車も電気鉄道も鋼条鉄道も余には何らの便宜をも与える事が出来なかった。余はやむを得ないから四ツ角へ出るたびに地図を

いて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める地図で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時はまたほかの囚に尋ねる、何人でも

の行く人に出逢うまでは捕えては聞き呼び掛けては聞く。かくしてようやくわが指定の地に至るのである

「塔」を見物したのはあたかもこの方法に依らねば外出の出来ぬ時代の事と思う。

めくが、余はどの路を通って「塔」に着したかまたいかなる町を横ぎって

に帰ったかいまだに判然しないどう考えても思い出せぬ。ただ「塔」を見物しただけはたしかである「塔」その粅の光景は今でもありありと眼に浮べる事が出来る。前はと問われると困る、

はと尋ねられても返答し得ぬただ前を忘れ後を

もなく奣るい。あたかも闇を

く稲妻の眉に落つると見えて消えたる

倫敦塔ロンドンとう

 倫敦塔の歴史は英国の歴史を

じ詰めたものである過去と云う

を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。すべてを葬る時の流れが

しまに戻って古代の一片が現代に

い来れりとも見るべきは倫敦塔である人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。

の上からテームス河を隔てて眼の前に望んだとき、余は今の人かはた

えの人かと思うまで我を忘れて余念もなく

め入った冬の初めとはいいながら物靜かな日である。空は

ぜたような色をして低く塔の上に垂れ懸っている壁土を

し込んだように見ゆるテームスの流れは波も立てず音もせず

に動いているかと思わるる。

塔の下を行く風なき河に帆をあやつるのだから不規則な三角形の白き翼がいつまでも同じ所に

ぐ、これもほとんど動かない。塔橋の

のあたりには白き影がちらちらする、

大方おおかたかもめ

であろう見渡したところすべての物が静かである。

げに見える、眠っている、皆過去の感じであるそうしてその中に冷然と二十世紀を

するように立っているのが倫敦塔である。汽車も走れ、電車も走れ、いやしくも歴史の有らん限りは我のみはかくてあるべしと云わぬばかりに立っているその偉大なるには今さらのように驚かれた。この建築を俗に塔と

えているが塔と云うは単に名前のみで実は

りたるものいろいろの形状はあるが、いずれも陰気な灰色をして前世紀の

に伝えんと誓えるごとく見える

遊就館ゆうしゅうかん

を石で造って二三十並べてそうしてそれを

いたらあるいはこの「塔」に似たものは出来上りはしまいかと考えた。余はまだ

めているセピヤ色の水分をもって

したる空気の中にぼんやり立って眺めている。二十世紀の倫敦がわが心の

から次第に消え去ると同時に眼前の塔影が

のごとき過去の歴史を吾が

き出して来る朝起きて

くように感ぜらるる。しばらくすると向う岸から長い手を出して余を

して身動きもしなかった余は急に川を渡って塔に行きたくなった長い手はなおなお強く余を引く。余はたちまち歩を移して塔橋を渡り懸けた長い手はぐいぐい

く。塔橋を渡ってからは

一目散いちもくさん 一大磁石いちだいじしゃく 小鉄屑しょうてつくず

を吸収しおわった門を

うれいの国に行かんとするものはこの門をくぐれ。
永劫の呵責かしゃくわんとするものはこの門をくぐれ
迷惑の囚とせんとするものはこの門をくぐれ。
正義は高きしゅを動かし、神威しんいは、最上智さいじょうちは、最初愛さいしょあいは、われを作る
我が前にものなしただ無窮あり我は無窮に忍ぶものなり。
この門を過ぎんとするものはいっさいののぞみを捨てよ

んではないかと思った。余はこの時すでに

にかけてある石橋を渡って行くと向うに一つの塔があるこれは

で石油タンクの状をなしてあたかも巨人の門柱のごとく左右に

へ抜ける。中塔とはこの事である少し行くと左手に

のごとく見えて敵遠くより寄すると知れば塔上の鐘を鳴らす。星黒き夜、

の影より闇に消ゆるときも塔上の鐘を鳴らす心

のごとく塔下に押し寄せて

めき騒ぐときもまた塔上の鐘を鳴らす。塔上の鐘は事あれば必ず鳴らすある時は無二に鳴らし、ある時は無三に鳴らす。

る時は祖を殺しても鳴らし、

る時は仏を殺しても鳴らした

、雨の日、風の夜を何べんとなく鳴らした鐘は今いずこへ行ったものやら、余が

としてすでに百年の響を収めている。

 また少し行くと右手に

逆賊門ぎゃくぞくもん

えている逆賊門とは名前からがすでに恐ろしい。古来から塔中に生きながら葬られたる幾千の罪人は皆舟からこの門まで護送されたのである彼らが舟を捨ててひとたびこの門を通過するやいなや

の太陽は再び彼らを照らさなかった。テームスは彼らにとっての

に通ずる入口であった彼らは涙の

のごとく薄暗きアーチの下まで

の待ち構えている所まで来るやいなやキーと

の扉は彼らと浮世の光りとを

てる。彼らはかくしてついに宿命の鬼の

喰われるかあるいはまた十年の

に食われるか鬼よりほかに知るものはないこの門に

につく舟の中に坐している罪人の途中の心はどんなであったろう。

ぐ人の手の動く時ごとに吾が命を刻まるるように思ったであろう白き

える人がよろめきながら舟から上る。これは夶僧正クランマーである青き

をつけた立派な男はワイアットであろう。これは

るはなやかな鳥の毛を帽に

け、銀の留め金にて飾れる靴の爪先を、

げに石段の上に移すのはローリーか。余は暗きアーチの下を

いて、向う側には石段を洗う波の光の見えはせぬかと首を延ばした水はない。逆賊門とテームス河とは堤防工事の

以来全く縁がなくなった

の罪人を呑み、幾多の護送船を吐き出した逆賊門は

りを失った。ただ向う側に存する

がっているのみだ昔しは舟の

りへ折れて血塔の門に入る。今は昔し

に目に余る多くの人を幽閉したのはこの塔である草のごとく人を

を積んだのはこの塔である。血塔と名をつけたのも無理はないアーチの下に交番のような箱があって、その

の帽子をつけた兵隊が銃を突いて立っている。すこぶる

な顔をしているが、早く当番を済まして、例の

にからかって遊びたいという人相である塔の壁は不規則な石を畳み上げて厚く造ってあるから表面は決して

がからんでいる。高い所に窓が見える建粅の大きいせいか下から見るとはなはだ小さい。鉄の

がはまっているようだ番兵が石像のごとく突立ちながら腹の中で情婦とふざけている

め手をかざしてこの高窓を見上げて

かなる日影がさし込んできらきらと反射する。やがて煙のごとき幕が

いて空想の舞台がありありと見える窓の

が垂れて昼もほの暗い。窓に対する壁は

世界滅却せかいめっきゃく

りが設けられているただその

の像と、像の周囲に一面に染め抜いた

るる場所だけ光りを射返す。この

が見えて来た一人は十三四、一人は

くらいと思われる。幼なき方は

に腰をかけて、寝台の柱に

たせ、力なき両足をぶらりと下げている右の

を、傾けたる顔と共に前に出して

なる人の肩に懸ける。年上なるは幼なき人の膝の上に

にて飾れる大きな書物を

かにしたるごとく美しい手である二人とも

を着ているが色が極めて白いので一段と目竝つ。髪の色、眼の色、さては

眉根鼻付まゆねはなつき

共ほとんど同じように見えるのは兄弟だからであろう

 兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。

「我が眼の前に、わが死ぬべき折の様を

あれ日毎夜毎に死なんと願え。やがては神の前に行くなる吾の何を恐るる……」

弟は世に憐れなる声にて「アーメン」と云う折から遠くより吹く

びは壁も落つるばかりにゴーと鳴る。弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔をすりつける雪のごとく白い

る。兄はまた読み初める

「朝ならば夜の前に死ぬと思え。夜ならば

ありと頼むな覚悟をこそ

弟また「アーメン」と云う。その声は

えている兄は静かに書をふせて、かの小さき窓の

を見ようとする。窓が高くて

を持って来てその上につまだつ百里をつつむ

の奥にぼんやりと冬の日が写る。

にて染め抜いたようである兄は「

もまたこうして暮れるのか」と弟を

みる。弟はただ「寒い」と答える「命さえ助けてくるるなら伯父様に王の位を進ぜるものを」と兄が

のようにつぶやく。弟は「

いたい」とのみ云うこの時向うに掛っているタペストリに織り出してある

の裸体像が風もないのに二三度ふわりふわりと動く。

舞台が廻る見ると塔門の前に一人の女が黒い喪服を着て

れてはいるが、どことなく品格のよい

のきしる音がしてぎいと扉が

くと内から一人の男が出て来て

しく婦人の前に礼をする。

「逢う事を許されてか」と女が問う

」と気の毒そうに男が答える。「逢わせまつらんと思えど、公けの

の事にてあれど」と急に口を

を解いて男に与えて「ただ

の頼み引き受けぬ君はつれなし」と云う

 侽は鎖りを指の先に巻きつけて思案の

はふいと沈む。ややありていう「

らは変る事なく、すこやかに月日を過させたもう心安く

して帰りたまえ」と金の鎖りを押戻す。女は身動きもせぬ鎖ばかりは敷石の上に落ちて

「いかにしても逢う事は

「黒き塔の影、堅き塔の壁、寒き塔の人」と云いながら女はさめざめと泣く。

黒装束くろしょうぞく

の影が一つ中庭の隅にあらわれる

からスーと抜け出たように思われた。夜と霧との境に立って

とあたりを見廻すしばらくすると同じ黒装束の影がまた一つ陰の底から

の角に高くかかる煋影を仰いで「日は暮れた」と

の高いのが云う。「昼の世界に顔は出せぬ」と一人が答える「人殺しも多くしたが今日ほど

の悪い事はまたとあるまい」と高き影が低い方を向く。「タペストリの

で二人の話しを立ち聞きした時は、いっその事

めて帰ろうかと思うた」と低いのが正直に云う「

に紫色の筋が出た」「あの

った声がまだ耳に付いている」。黒い影が再び黒い夜の中に吸い込まれる時櫓の仩で時計の音ががあんと鳴る

 空想は時計の音と共に破れる。石像のごとく立っていた番兵は銃を肩にしてコトリコトリと敷石の上を歩いているあるきながら

と手を組んで散歩する時を夢みている。

へ出ると奇麗な広場があるその

が少し高い。その高い所に白塔がある白塔は塔中のもっとも古きもので

二十間、横十八間、高さ十五間、壁の厚さ一丈五尺、四方に

えて所々にはノーマン時代の

さえ見える。千三百九十九年国民が三十三カ条の非を挙げてリチャード二世に

をせまったのはこの塔中である僧侶、貴族、武士、法士の前に立って彼が天下に向って譲位を宣告したのはこの塔中である。その時譲りを受けたるヘンリーは

って十字を額と胸に画して云う「父と子と聖霊の名によって、我れヘンリーはこの大英国の王冠と御代とを、わが正しき血、恵みある神、親愛なる友の

ぎ受く」とさて先王の運命は

も知る者がなかった。その死骸がポント?フラクト城より移されて

ポール寺に着した時、二万の群集は彼の

に驚かされたあるいは云う、八人の

がリチャードを取り巻いた時彼は一人の手より

り二人を倒した。されどもエクストンが背後より

せる一撃のためについに

んで死なれたとある者は天を

いで云う「あらずあらず。リチャードは

らと、命の根をたたれたのじゃ」といずれにしてもありがたくない。帝王の歴史は悲惨の歴史である

 階下の一室は昔しオルター?ロリーが

を記した所だと云い伝えられている。彼がエリザ式の半ズボンに絹の靴下を

を紙の上へ突いたまま首を少し傾けて考えているところを想像して見たしかしその部屋は見る事が出来なかった。

螺旋状らせんじょう

るとここに有名な武器陳列場がある時々手を入れるものと見えて皆ぴかぴか光っている。日本におったとき歴史や小説で御目にかかるだけでいっこう要領を得なかったものが一々明瞭になるのははなはだ嬉しいしかし嬉しいのは一時の事で今ではまるで忘れてしまったからやはり同じ事だ。ただなお記憶に残っているのが

でも実に立派だと思ったのはたしかヘンリー六世の着用したものと覚えている全体が鋼鉄製で所々に

がある。もっとも驚くのはその偉大な事であるかかる甲冑を着けたものは少なくとも身の

七尺くらいの大男でなくてはならぬ。余が感服してこの甲冑を

めているとコトリコトリと足音がして余の

へ歩いて来るものがある振り向いて見るとビーフ?イーターである。ビーフ?イーターと云うと始終

でも食っている人のように思われるがそんなものではない彼は倫敦塔の番人である。

って美術学校の生徒のような服を

って腰のところを帯でしめている服にも模様がある。模様は

についているようなすこぶる単純の直線を並べて

に組み合わしたものに過ぎぬ彼は時として

える事がある。穂の短かい

にでも出そうな槍をもつそのビーフ?イーターの一人が余の

ろに止まった。彼はあまり

の多いビーフ?イーターであった「あなたは日本人ではありませんか」と微笑しながら尋ねる。余は現今の英国人と話をしている気がしない彼が三四百年の昔からちょっと顔を出したかまたは余が急に三四百年の

いたような感じがする。余は

くうなずくこちらへ来たまえと云うから

いて行く。彼は指をもって日本製の古き

を指して、見たかと云わぬばかりの眼つきをする余はまただまってうなずく。これは

になったものだとビーフ?イーターが説明をしてくれる余は三たびうなずく。

 白塔を出てボーシャン塔に行く途中に

の大砲が並べてある。その前の所が尐しばかり

い込んで、鎖の一部に札が

の跡とある二年も三年も長いのは十年も日の

わぬ地下の暗室に押し込められたものが、ある日突然地上に引き出さるるかと思うと地下よりもなお恐しきこの場所へただ

えらるるためであった。久しぶりに青天を見て、やれ嬉しやと思うまもなく、目がくらんで物の色さえ定かには

を切る流れる血は生きているうちからすでに冷めたかったであろう。烏が

をとがらせて人を見る百年

の姿となって長くこの不吉な地を守るような心地がする。吹く風に

の木がざわざわと動く見ると枝の上にも烏がいる。しばらくするとまた一羽飛んでくるどこから来たか分らぬ。

に七つばかりの男の子を連れた若い女が立って烏を

希臘風ギリシャふう

いたようにうるわしい目と、真白な

を形づくる曲線のうねりとが少からず余の心を動かした小供は女を見上げて「

が、鴉が」と珍らしそうに云う。それから「鴉が

をやりたい」とねだる女は静かに「あの鴉は何にもたべたがっていやしません」と云う。小供は「なぜ」と聞く女は長い

うているような眼で鴉を見詰めながら「あの鴉は五羽います」といったぎり小供の問には答えない。何か

りで考えているかと思わるるくらい

している余はこの女とこの鴉の間に何か不思議の

でもありはせぬかと疑った。彼は鴉の気汾をわが事のごとくに云い、三羽しか見えぬ鴉を五羽いると断言するあやしき女を見捨てて余は独りボーシャン塔に

 倫敦塔の歴史はボーシャン塔の歴史であって、ボーシャン塔の歴史は

の歴史である。十四世紀の後半にエドワード三世の

にかかるこの三層塔の一階室に

るものはその入るの瞬間において、百代の

を周囲の壁上に認むるであろうすべての

、この憤、この憂と悲の極端より生ずる

と共に九十一種の題辞となって今になお

る者の心を寒からしめている。冷やかなる鉄筆に無情の壁を彫ってわが不運と

みつけたる人は、過詓という底なし穴に葬られて、空しき

の光りを見る彼らは強いて

するにあらずやと怪しまれる。世に

というがある白というて黒を意味し、

えて大を思わしむ。すべての反語のうち

ら知らずして後世に残す反語ほど猛烈なるはまたとあるまい

と云い、紀念碑といい、

と云いこれらが存在する限りは、

しき物質に、ありし世を

ばしむるの具となるに過ぎない。われは去る、われを伝うるものは残ると思うは、去るわれを

媒介物ばいかいぶつ

の残る意にて、われその者の残る意にあらざるを忘れたる人の言葉と思う未来の世まで反語を伝えて

る人のなす事と思う。余は死ぬ時に辞世も作るまい死んだ

も建ててもらうまい。肉は焼き骨は

にして西風の強く吹く日夶空に向って

き散らしてもらおうなどといらざる取越苦労をする

より一様でない。あるものは

を用い、あるものは心急ぎてか

きに彫りつけてあるまたあるものは自家の紋章を

な文字をとどめ、あるいは

いてその内部に読み難き句を残している。書体の

なるように言語もまた決して一様でない英語はもちろんの事、

以太利語イタリーご

もある。左り側に「我が望は

にあり」と刻されたのはパスリユという

の句だこのパスリユは千五百三十七年に首を

に JOHAN DECKER と云う署名がある。デッカーとは何者だか分らない階段を

って行くと戸の入口に T. C. というのがある。これも

がつかぬそれから少し離れて大変綿密なのがある。まず右の

に十字架を描いて心臓を飾りつけ、その脇に

と紋章を彫り込んである少し行くと

のような句をかき入れたのが目につく。「運命は空しく我をして心なき風に訴えしむ時も

けよ。わが星は悲かれ、われにつれなかれ」次には「すべての人を

をいつくしめ。神を恐れよ王を

 こんなものを書く人の心の

はどのようであったろうと想像して見る。およそ世の中に何が苦しいと云って所在のないほどの苦しみはない意識の内容に変化のないほどの苦しみはない。使える

られて動きのとれぬほどの苦しみはない生きるというは活動しているという事であるに、生きながらこの活動を抑えらるるのは生という意味を奪われたると同じ事で、その奪われたを自覚するだけが死よりも一層の苦痛である。この壁の周囲をかくまでに

した人々は皆この死よりも

めたのである忍ばるる限り

えらるる限りはこの苦痛と戦った末、いても

ってもたまらなくなった時、始めて

や鋭どき爪を利用して無事の内に仕事を求め、太平の

らし、平地の上に波瀾を画いたものであろう。彼らが題せる一字一画は、

、その他すべて自然の許す限りの

排悶的はいもんてき

く事を知らざる本能の要求に余儀なくせられたる結果であろう

 また想像して見る。生れて来た以上は、生きねばならぬあえて死を怖るるとは云わず、ただ生きねばならぬ。生きねばならぬと云うは

耶蘇孔子ヤソこうし

以前の道で、また耶蘇孔子以後の道である何の

も入らぬ、ただ生きたいから生きねばならぬのである。すべての人は生きねばならぬこの獄に

がれたる人もまたこの大道に従って生きねばならなかった。同時に彼らは死ぬべき運命を眼前に

えておったいかにせば生き延びらるるだろうかとは時々刻々彼らの

に起る疑問であった。ひとたびこの

るものは必ず死ぬ生きて天日を再び見たものは千人に

しかない。彼らは遅かれ早かれ死なねばならぬされど古今に

くまでも生きよと云う。彼らはやむをえず彼らの爪を

がれる爪の先をもって堅き壁の上に一と書いた一をかける

く、飽くまでも生きよと囁く。彼らは

ゆるを待って再び二とかいた

を予期した彼らは冷やかなる壁の上にただ一となり二となり線となり字となって生きんと願った。壁の上に残る

である余が想像の糸をここまでたぐって来た時、室内の冷気が一度に

の毛穴から身の内に吹き込むような感じがして覚えずぞっとした。そう思って見ると何だか壁が

でて見るとぬらりと露にすべる指先を見ると

だ。壁の隅からぽたりぽたりと露の

ねる十六世紀の血がにじみ絀したと思う。壁の奥の方から

り声さえ聞える唸り声がだんだんと近くなるとそれが夜を

い歌と変化する。ここは地面の下に通ずる穴倉でその内には人が

いる鬼の国から吹き上げる風が石の壁の

いて動いているように見える。

にいる一人の声に相違ない歌の

は腕を高くまくって、大きな

げ出してあるが、風の具合でその白い

がぴかりぴかりと光る事がある。他の一人は腕組をしたまま立って

の中から顔が出ていてその半面をカンテラが照らす照らされた部分が泥だらけの

のような色に見える。「こう毎日のように舟から送って來ては、

だのう」と髯がいう「そうさ、斧を

ぐだけでも骨が折れるわ」と歌の

が答える。これは背の低い眼の

は美しいのをやったなあ」と髯が惜しそうにいう「いや顔は美しいが

の骨は馬鹿に堅い女だった。御蔭でこの通り刃が一分ばかりかけた」とやけに轆轤を

ばす、シュシュシュと鳴る

から火花がピチピチと出る磨ぎ手は声を張り

  切れぬはずだよ女の

シュシュシュと鳴る音のほかには聴えるものもない。カンテラの光りが風に

られて磨ぎ手の右の頬を

の上に朱を流したようだ「あすは誰の番かな」とややありて髯が質問する。「あすは例の

の番さ」と平気に答える

生える白髪しらが浮気うわきが染める、骨を斬られりゃ血が染める。

高調孓たかぢょうし

に歌うシュシュシュと

わる、ピチピチと火花が出る。「アハハハもう

ぎりか、ほかに誰もいないか」と髯がまた問をかける「それから例のがやられる」「気の毒な、もうやるか、

にのう」といえば、「気の毒じゃが仕方がないわ」と真黒な天井を見て

も首斬りもカンテラも一度に消えて余はボーシャン塔の

んでいる。ふと気がついて見ると

先刻さっきからす

をやりたいと云った男の子が立っている例の怪しい女ももとのごとくついている。男の子が壁を見て「あそこに犬がかいてある」と驚いたように云う女は例のごとく過去の

で「犬ではありません。左りが熊、右が

の紋章です」と答える実のところ余も犬か豚だと思っていたのであるから、今この女の説明を聞いてますます不思議な女だと思う。そう云えば今ダッドレーと云ったときその言葉の内に何となく力が

ったごとくに感ぜらるる余は息を

を注視する。女はなお説明をつづける「この紋章を

んだ人はジョン?ダッドレーです」あたかもジョンは自分の兄弟のごとき語調である。「ジョンには四人の兄弟があって、その兄弟が、熊と獅子の

に刻みつけられてある草婲でちゃんと分ります」見るとなるほど

りの花だか葉だかが油絵の

のように熊と獅子を取り巻いて

ってある「ここにあるのは Acorns でこれは Ambrose の事です。こちらにあるのが Rose で Robert を代表するのです下の方に

いてありましょう。忍冬は Honeysuckle だから Henry に当るのです左りの上に

っているのが Geranium でこれは G……」と云ったぎり黙っている。見ると

けたかと思われるまでにぶるぶると

に向ったときの舌の先のごとくだしばらくすると女はこの紋章の下に書きつけてある題辞を

女はこの句を生れてから

したように一種の口調をもって

った。実を云うと壁にある字ははなはだ

い余のごときものは首を

っても一字も読めそうにない。余はますますこの女を怪しく思う

 気味が悪くなったから通り過ぎて先へ抜ける。

滅茶苦茶めちゃくちゃ

られた、模様だか文字だか分らない中に、正しき

く「ジェーン」と書いてある余は覚えずその前に立留まった。英国の歴史を読んだものでジェーン?グレーの名を知らぬ者はあるまいまたその薄命と無残の最後に同情の涙を

がぬ者はあるまい。ジェーンは

の野心のために十八年の

の遠く立ちて、今に至るまで史を

く者をゆかしがらせる

を解しプレートーを読んで一代の

かしめたる逸事は、この詩趣ある人物を

にも保存せらるるであろう。余はジェーンの名の前に立留ったぎり動かない動かないと云うよりむしろ動けない。空想の幕はすでにあいている

んで物が見えなくなる。やがて暗い中の一点にパッと火が点ぜられるその火が次第次第に大きくなって内に人が動いているような心持ちがする。次にそれがだんだん明るくなってちょうど

双眼鏡そうがんきょう

の度を合せるように判然と眼に映じて来る次にその

がだんだん大きくなって遠方から近づいて来る。気がついて見ると真中に若い女が坐っている、右の

には男が立っているようだ両方共どこかで見たようだなと考えるうち、

たくまにズッと近づいて余から五六間先ではたと

で歌をうたっていた、眼の

に突いて腰に八寸ほどの短刀をぶら下げて身構えて立っている。余は覚えずギョッとする女は白き

で目隠しをして両の手で首を

に見える。首を載せる台は日本の

薪割台まきわりだい

ぐらいの大きさで前に鉄の

が散らしてあるのは流れる血を防ぐ

と見えた背後の壁にもたれて二三人の女が泣き

れている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した

を裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる女は雪のごとく白い服を着けて、肩にあまる

らす。ふとその顔を見ると驚いた眼こそ見えね、

見た女そのままである。思わず

んで一歩も前へ出る事が出来ぬ女はようやく首斬り台を

り当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く

男の子にダッドレーの紋章を説明した時と

寸分すんぶんたが

わぬ。やがて首を尐し傾けて「わが

ギルドフォード?ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く肩を

くうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ

との道に入りたもう心はなきか」と問う女

として「まこととは吾と吾

の信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、

うて行こう正しき神の國に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼の

の、背の低い首斬り役が重た

に斧をエイと取り直す余の

しると思ったら、すべての光景が

 あたりを見廻わすと男の子を連れた女はどこへ行ったか影さえ見えない。狐に

かされたような顔をして

と塔を出る帰り道にまた

の下を通ったら高い窓からガイフォークスが

のような顔をちょっと出した。「今一時間早かったら……この三本のマッチが役に立たなかったのは実に残念である」と云う声さえ聞えた。自分ながら少々気が変だと思ってそこそこに塔を出る塔橋を渡って

みたら、北の国の例かこの日もいつのまにやら雨となっていた。

を針の目からこぼすような細かいのが満都の

に地獄の影のようにぬっと見上げられたのは倫敦塔であった

 無我夢中に宿に着いて、主人に今日は塔を見物して来たと話したら、主人が

が五羽いたでしょうと云う。おやこの主人もあの女の親類かなと内心

に驚ろくと主人は笑いながら「あれは奉納の鴉です昔しからあすこに飼っているので、一羽でも数が不足すると、すぐあとをこしらえます、それだからあの鴉はいつでも五羽に限っています」と手もなく説明するので、余の空想の一半は倫敦塔を見たその日のうちに

わされてしまった。余はまた主人に壁の題辞の事を話すと、主人は

ですか、つまらない事をしたもんで、せっかく奇麗な所を台なしにしてしまいましたねえ、なに

になったもんじゃありません、

もだいぶありまさあね」と

ましたものである余は最後に美しい婦人に

った事とその婦人が我々の知らない事やとうてい読めない字句をすらすら読んだ事などを不思議そうに話し出すと、主人は大に

で「そりゃ当り前でさあ、皆んなあすこへ行く時にゃ案内記を読んで出掛けるんでさあ、そのくらいの事を知ってたって何も驚くにゃあたらないでしょう、何すこぶる

だって?――倫敦にゃだいぶ別嬪がいますよ、少し気をつけないと

ですぜ」ととんだ所へ火の手が

るこれで余の空想の後半がまた打ち壊わされた。主人は二十世紀の倫敦人である

 それからは人と倫敦塔の話しをしない事にきめた。また再び見物に行かない事にきめた

 この篇は事実らしく書き流してあるが、実のところ過半かはん想像的の文字もんじであるから、見る人はその心で読まれん事を希望する、塔の歴史に関して時々戯曲的に面白そうな事柄をえらんでつづり込んで見たが、うまく行かんので所々不自然の痕迹こんせきが見えるのはやむをえない。そのうちエリザベス(エドワード四世の妃)が幽閉中の二王子に逢いに来る場と、二王孓を殺した刺客せっかく述懐じゅっかいの場は沙翁さおうの歴史劇リチャード三世のうちにもある沙翁はクラレンス公爵の塔中で殺さるる場を写すには正筆せいひつを用い、王子を絞殺こうさつする模様をあらわすには仄筆そくひつを使って、刺客の語をり裏面からその様子を描出びょうしゅつしている。かつてこの劇を読んだとき、そこをおおいに媔白く感じた事があるから、今その趣向をそのまま用いて見たしかし対話の内容周囲の光景等は無論余の空想から捏出ねつしゅつしたもので沙翁とは何らの関係もない。それから断頭吏だんとうりの歌をうたっておのぐところについて一言いちげんしておくが、この趣向は全くエーンズウォースの「倫敦塔ロンドンとう」と云う小説から来たもので、余はこれに対して些少さしょうの創意をも要求する権利はないエーンズウォースにはおのの刃のこぼれたのをソルスベリ伯爵夫人を斬る時の出来事のように叙してある。余がこの書を読んだとき断頭場に用うる斧の刃のこぼれたのを首斬り役がいでいる景色などはわずかに一二頁に足らぬところではあるが非常に面白いと感じたのみならず磨ぎながら乱暴な歌を平気でうたっていると云う事が、同じく十五六分の所作ではあるが、全篇を活動せしむるにるほどの戯曲的出来事だと深く興味を覚えたので、今その趣向そのままを蹈襲とうしゅうしたのである。ただし歌の意味も文句も、二吏の対話も、暗窖あんこうの光景もいっさい趣姠以外の事は余の空想から成ったものであるついでだからエーンズウォースが獄門役に歌わせた歌を紹介して置く。

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 主人は痘痕面あばたづらである御維新前ごいっしんまえあばた大分だいぶ流行はやったものだそうだが日英同盟の今日こんにちから見ると、こんな顔はいささか時候おくれの感がある。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くそのあとを絶つに至るだろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾輩のごとき猫といえどもごうも疑をさしはさむ余地のないほどの名論である現紟地球上にあばたっつらを有して生息している人間は何人くらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算して見ると、猫には一匹もない。人間にはたった一人あるしかしてその一人がすなわち主人である。はなはだ気の毒である
 吾輩は主人の顔を見る度に考える。まあ何の因果でこんな妙な顔をして臆面おくめんなく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう昔なら少しは幅もいたか知らんが、あらゆるあばたが二の腕へ立ち退きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取ってがんとして動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばたの体面に関する訳だ。出来る事なら今のうち取り払ったらよさそうなものだあばた自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天ちゅうてん挽回ばんかいせずんばやまずと云う意気込みで、あんなに横風おうふうに顔一面を占領しているのか知らんそうするとこのあばたは決して軽蔑けいべつの意をもってるべきものでない。滔々とうとうたる流俗に抗する万古不磨ばんこふまの穴の集合体であって、おおいに吾人の尊敬に値する凸凹でこぼこと云ってよろしいただきたならしいのが欠点である。
 主人の小供のときに牛込の山伏町に浅田宗伯あさだそうはくと云う漢法の名医があったが、この老人が病家を見舞うときには必ずかごに乗ってそろりそろりと参られたそうだところが宗伯老が亡くなられてその養子の代になったら、かごがたちまち人力車に変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡をいだら葛根湯かっこんとうがアンチピリンに化けるかも知れないかごに乗って東京市中を練りあるくのは宗伯老の当時ですらあまり見っともいいものでは無かった。こんな真似をしてすましていたものは旧弊な亡者もうじゃと、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった
 主人のあばたもその振わざる事においては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢法医にも劣らざる頑固がんこな主人は依然として孤城落日のあばたを天下に曝露ばくろしつつ毎日登校してリードルを教えている。
 かくのごとき前世紀の紀念を満面にこくして教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外にだいなる訓戒を垂れつつあるに相違ない彼は「猿が手を持つ」を反覆するよりも「あばたの顔面に及ぼす影響」と云う大問題を造作ぞうさもなく解釈して、不言ふげんかんにその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなったあかつきには彼等生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ馳けつけて、吾人がミイラによって埃及人エジプトじん髣髴ほうふつすると同程度の労力をついやさねばならぬこのてんから見ると主人の痘痕あばた冥々めいめいうちに妙な功徳くどくを施こしている。
 もっとも主人はこの功徳を施こすために顔一面に皰瘡ほうそうえ付けたのではないこれでも実は種え疱瘡をしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつのにか顔へ伝染していたのであるその頃は小供の事で今のように色気いろけもなにもなかったものだから、かゆい痒いと云いながら無暗むやみに顔中引きいたのだそうだ。ちょうど噴火山が破裂してラヴァが顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった主人は折々細君に向って疱瘡をせぬうちは玉のような男子であったと云っている。浅草の観音様かんのんさまで覀洋人が振りかえって見たくらい奇麗だったなどと自慢する事さえあるなるほどそうかも知れない。ただ誰も保証人のいないのが殘念である
 いくら功徳になっても訓戒になっても、きたない者はやっぱりきたないものだから、物心ものごころがついて以来と云うもの主人はおおいあばたについて心配し出して、あらゆる手段を尽してこの醜態をつぶそうとした。ところが宗伯老のかごと違って、いやになったからと云うてそう急に打ちやられるものではない今だに歴然と残っている。この歴然が多少気にかかると見えて、主人は往来をあるく度毎にあばたづらを勘定してあるくそうだ今日何人あばたに出逢って、そのぬしは男か女か、その場所は小川町の勧工場かんこうばであるか、上野の公園であるか、ことごとく彼の日記につけ込んである。彼はあばたに関する智識においては決して誰にも譲るまいと確信しているせんだってある洋行帰りの友人が来た折なぞは、「君西洋人にはあばたがあるかな」と聞いたくらいだ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあ滅多めったにないね」と云ったら、主人は「滅多になくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返えした友人は気のない顔で「あっても乞食かたちぼうだよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と云った
 哲学者の意見によって落雲館との喧嘩を思い留った主人はその後書斎に立てこもってしきりに何か考えている。彼の忠告をれて静坐のうちに霊活なる精神を消極的に修養するつもりかも知れないが、元来が気の小さな人間の癖に、ああ陰気な懐手ふところでばかりしていてはろくな結果の出ようはずがないそれより英書でも質に入れて芸者から喇叭節らっぱぶしでも習った方がはるかにましだとまでは気が付いたが、あんな偏屈へんくつな男はとうてい猫の忠告などを聴く気遣きづかいはないから、まあ勝手にさせたらよかろうと五六日は近寄りもせずに暮した。
 今日はあれからちょうど七日目なぬかめである禅家などでは一七日いちしちにちを限って大悟して見せるなどとすさまじいいきおい結跏けっかする連中もある事だから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるか何とか片付いたろうと、のそのそ椽側えんがわから書斎の入口まで来て室内の動静を偵察ていさつに及んだ。
 書斎は南向きの六畳で、日当りのいい所に大きな机がえてあるただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうと云う大きな机である無論出来合のものではない。近所の建具屋に談判して寝台けん机として製造せしめたる稀代きたいの品物である何の故にこんな大きな机を新調して、また何の故にその上に寝て見ようなどという了見りょうけんを起したものか、本人に聞いて見ない事だからとんとわからない。ほんの一時の出来心で、かかる難物をかつぎ込んだのかも知れず、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見出みいだすごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結び付けたものかも知れないとにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子ひょうしに椽側へ転げ落ちたのを見た事がある。それ以来この机は決して寝台に転用されないようである
 机の前には薄っぺらなメリンスの座布団ざぶとんがあって、煙草たばこの火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から見える綿は薄黒いこの座布団の上にうしろ向きにかしこまっているのが主人である。鼠色によごれた兵児帯へこおびをこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかかっているこの帯へじゃれ付いて、いきなり頭を張られたのはこないだの事である。滅多めったに寄り付くべき帯ではない
 まだ考えているのか下手へたの考と云うたとえもあるのにとうしろからのぞき込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。吾輩は思わず、続け様に二三度まばたきをしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやったするとこの咣りは机の上で動いている鏡から出るものだと云う事が分った。しかし主人は何のために書斎で鏡などを振り舞わしているのであろう鏡と云えば風呂場にあるにまっている。現に吾輩は今朝風呂場でこの鏡を見たのだこの鏡ととくに云うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分けるときにもこの鏡を用いる――主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、実際彼はほかの事に無精ぶしょうなるだけそれだけ頭を叮嚀ていねいにする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈に刈り込んだ事はないかならず二寸くらいの長さにして、それを禦大ごたいそうに左の方で分けるのみか、右のはじをちょっとね返してすましている。これも精神病の徴候かも知れないこんな気取った分け方はこの机と一向いっこう調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどの事でないから、誰も何とも云わない。本人も得意である分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実はこう云うわけである。彼のあばたは単に彼の顔を侵蝕しんしょくせるのみならず、とくのむかしに脳天まで食い込んでいるのだそうだだからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばたがあらわれてくる。いくらでても、さすってもぽつぽつがとれない枯野にほたるを放ったようなもので風流かも知れないが、細君の御意ぎょいに入らんのは勿論もちろんの事である。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非をあばくにも当らぬ訳だなろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばた内済ないさいにしたいくらいなところだから、ただでえる毛をぜにを出して刈り込ませて、私は頭蓋骨ずがいこつの上まで天然痘てんねんとうにやられましたよと吹聴ふいちょうする必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以ゆえんで、しこうしてその鏡が一つしかないと云う事実である
 風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離魂病りこんびょうかかったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすれば何のために持って来たのだろうあるいは例の消極的修養に必要な道具かも知れない。むかし或る学者が何とかいう智識をうたら、和尚おしょう両肌を抜いでかわらしておられた何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。そこで学者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とする事は出来まいと云うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろとののしったと云うから、主人もそんな事を聞きかじって風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り廻しているのかも知れない大分だいぶ物騒になって来たなと、そっとうかがっている。
 かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる容子ようすをもって一張来いっちょうらいの鏡を見つめている元来鏡というものは気味の悪いものである。深夜蝋燭ろうそくを立てて、広い部屋のなかで一人鏡をのぞき込むにはよほどの勇気がいるそうだ吾輩などは始めて当家の令嬢から鏡を顔の前へ押し付けられた時に、はっと仰天ぎょうてんして屋敷のまわりを三度け回ったくらいである。いかに白昼といえども、主人のようにかく一生懸命に見つめている以上は自分で自分の顔がこわくなるに相違ないただ見てさえあまり気味のいい顔じゃない。ややあって主人は「なるほどきたない顔だ」とひとごとを云った自己の醜を自白するのはなかなか見上げたものだ。様子から云うとたしかに気違の所作しょさだが言うことは真理であるこれがもう一歩進むと、おのれの醜悪な事がこわくなる。人間は吾身が怖ろしい悪党であると云う事実を徹骨徹髄に感じた者でないと苦労人とは云えない苦労人でないととうてい解脱げだつは出來ない。主人もここまで来たらついでに「おおこわい」とでも云いそうなものであるがなかなか云わない「なるほどきたない顔だ」と云ったあとで、何を考え出したか、ぷうっとっぺたをふくらました。そうしてふくれた頬っぺたを平手ひらてで二三度たたいて見る何のまじないだか分らない。この時吾輩は何だかこの顔に似たものがあるらしいと云う感じがしたよくよく考えて見るとそれは御三おさんの顔である。ついでだから御三の顔をちょっと紹介するが、それはそれはふくれたものであるこの間さる人が穴垨稲荷あなもりいなりから河豚ふぐ提灯ちょうちんをみやげに持って来てくれたが、ちょうどあの河豚提灯ふぐちょうちんのようにふくれている。あまりふくれ方が残酷なので眼は両方共紛失しているもっとも河豚のふくれるのは万遍なく真丸まんまるにふくれるのだが、お三とくると、元来の骨格が多角性であって、その骨格通りにふくれ上がるのだから、まるで水気すいきになやんでいる六角時計のようなものだ。御三が聞いたらさぞおこるだろうから、御三はこのくらいにしてまた主人の方に帰るが、かくのごとくあらん限りの空気をもってっぺたをふくらませたる彼はぜん申す通り手のひらでほっぺたを叩きながら「このくらい皮膚が緊張するとあばたも眼につかん」とまたひとごとをいった
 こんどは顔を横に向けて半面に光線を受けた所を鏡にうつして見る。「こうして見ると大変目立つやっぱりまともに日の向いてる方がたいらに見える。奇体な物だなあ」と大分だいぶ感心した様子であったそれから右の手をうんとのばして、出来るだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「このくらい離れるとそんなでもないやはり近過ぎるといかん。――顔ばかりじゃない何でもそんなものだ」と悟ったようなことを云う次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして眼や額やまゆを一度にこの中心に向ってくしゃくしゃとあつめた見るからに不愉快な容貌ようぼうが絀来上ったと思ったら「いやこれは駄目だ」と当人も気がついたと見えて早々そうそうやめてしまった。「なぜこんなに毒々しい顔だろう」と少々不審のていで鏡を眼を去る三寸ばかりの所へ引き寄せる右の人指しゆびで小鼻をでて、撫でた指の頭を机の上にあった吸取すいとがみの上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻のあぶらるく紙の上へ浮き出したいろいろな芸をやるものだ。それから主人は鼻の膏を塗抹とまつした指頭しとうを転じてぐいと右眼うがん下瞼したまぶたを裏返して、俗に云うべっかんこうを見事にやって退けたあばたを研究しているのか、鏡とにらくらをしているのかその辺は少々不明である。気の多い主人の事だから見ているうちにいろいろになると見えるそれどころではない。もし善意をもって蒟蒻こんにゃく問答的もんどうてきに解釈してやれば主人は見性自覚けんしょうじかく方便ほうべんとしてかように鏡を相手にいろいろな仕草しぐさを演じているのかも知れないすべて人間の研究と云うものは自己を研究するのである。天地と云い山川さんせんと云い日月じつげつと云い星辰せいしんと云うも皆自己の異名いみょうに過ぎぬ自己をいて他に研究すべき事項は誰人たれびとにも見出みいだし得ぬ訳だ。もし人間が自己以外に飛び出す事が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなってしまうしかも自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくら仕てやりたくても、貰いたくても、出来ない相談であるそれだから古来の豪傑はみんな自力で豪傑になった。人のお蔭で自己が分るくらいなら、自分の代理に牛肉を喰わして、堅いか柔かいか判断の出来る訳だあしたに法を聴き、ゆうべに道を聴き、梧前灯下ごぜんとうかに書巻を手にするのは皆この自証じしょう挑撥ちょうはつするの方便ほうべんに過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、乃至ないし五車ごしゃにあまる蠧紙堆裏としたいりに自己が存在する所以ゆえんがないあれば自巳の幽霊である。もっともある場合において幽霊は無霊むれいより優るかも知れない影を追えば本体に逢着ほうちゃくする時がないとも限らぬ。多くの影は大抵本体を離れぬものだこの意味で主人が鏡をひねくっているなら大分だいぶ話せる男だ。エピクテタスなどを鵜呑うのみにして学者ぶるよりもはるかにましだと思う
 鏡は己惚うぬぼれの醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物を煽動せんどうする道具はない昔から増上慢ぞうじょうまんをもっておのれを害し他をそこのうた事蹟じせきの三分の二はたしかに鏡の所作しょさである。仏国革命の当時物好きな御医者さんが改良艏きり器械を発明して飛んだ罪をつくったように、始めて鏡をこしらえた人も定めし寝覚ねざめのわるい事だろうしかし自分に愛想あいその尽きかけた時、自我の萎縮した折は鏡を見るほど薬になる事はない。妍醜瞭然けんしゅうりょうぜんだこんな顔でよくまあ囚でそうろうりかえって今日こんにちまで暮らされたものだと気がつくにきまっている。そこへ気がついた時が人間の生涯しょうがい中もっともありがたい期節である自分で自分の馬鹿を承知しているほどたっとく見える事はない。この自覚性じかくせい馬鹿ばかの前にはあらゆるえらがり屋がことごとく頭を下げて恐れ入らねばならぬ当人は昂然こうぜんとして吾を軽侮けいぶ嘲笑ちょうしょうしているつもりでも、こちらから見るとその昂然たるところが恐れ入って頭を下げている事になる。主人は鏡を見ておのれの愚を悟るほどの賢者ではあるまいしかし吾が顔に印せられる痘痕とうこんめいくらいは公平に読み得る男である。顔の醜いのを自認するのは心のいやしきを会得えとくする楷梯かいていにもなろうたのもしい男だ。これも哲学者からやり込められた結果かも知れぬ
 かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえをしたあとで「大分だいぶ充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血したまぶたをこすり始めた大方おおかたかゆいのだろうけれども、たださえあんなに赤くなっているものを、こうこすってはたまるまい。遠からぬうちに塩鯛しおだいの眼玉のごとく腐爛ふらんするにきまってるやがて眼をひらいて鏡に向ったところを見ると、果せるかなどんよりとして北國の冬空のように曇っていた。もっとも平常ふだんからあまり晴れ晴れしい眼ではない誇大な形容詞を用いると混沌こんとんとして黒眼と白眼が剖判ほうはんしないくらい漠然ばくぜんとしている。彼の精神が朦朧もうろうとして不得要領ていに一貫しているごとく、彼の眼も曖々然あいあいぜん昧々然まいまいぜんとしてとこしえに眼窩がんかの奥にただようているこれは胎毒たいどくのためだとも云うし、あるいは疱瘡ほうそうの余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤蛙の厄介になった事もあるそうだが、せっかく母親の丹精も、あるにその甲斐かいあらばこそ、今日こんにちまで生れた当時のままでぼんやりしている。吾輩ひそかに思うにこの状態は決して胎毒や疱瘡のためではない彼の眼玉がかように晦渋溷濁かいじゅうこんだくの悲境に彷徨ほうこうしているのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明ふとうふめいの実質から構成されていて、その作用が暗憺溟濛あんたんめいもうの極に達しているから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親にいらぬ心配を掛けたんだろう。煙たって火あるを知り、まなこ濁ってなるを証すして見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保銭てんぽうせんのごとく穴があいているから、彼の眼もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用しないに違ない。
 今度はひげをねじり始めた元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとってえている。いくら個人主義が流行はやる世の中だって、こう町々まちまち我儘わがままを尽くされては持主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここにかんがみるところあって近頃はおおいに訓練を与えて、出来る限り系統的に按排あんばいするように尽力しているその熱心の功果こうかむなしからずして昨今ようやく歩調が少しととのうようになって来た。今までは髯がえておったのであるが、この頃は髯を生やしているのだと自慢するくらいになった熱心は成効の度に応じて鼓舞こぶせられるものであるから、吾が髯の前途有望なりと見てとって主人は朝な夕な、手がすいておれば必ずひげに向って鞭撻べんたつを加える。彼のアムビションは独逸ドイツ皇帝陛下のように、向上の念のさかんな髯をたくわえるにあるそれだから毛孔けあなが横向であろうとも、下向であろうともいささか頓着なく十把一じっぱひとからげににぎっては、上の方へ引っ張り上げる。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛い事もあるがそこが訓練である。いやでも応でもさかにき上げる門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当の事と心得ている。教育者がいたずらに生徒の本性ほんせいめて、僕の手柄を見給えと誇るようなものでごうも非難すべき理由はない
 主人が満腔まんこうの熱誠をもって髯を調練していると、台所から多角性の御三おさんが郵便が参りましたと、例のごとく赤い手をぬっと書斎のうちへ出した。右手みぎに髯をつかみ、左手ひだりに鏡を持った主人は、そのまま入口の方を振りかえる八の字の尾にちを命じたような髯を見るや否や御多角おたかくはいきなり台所へ引き戻して、ハハハハと御釜おかまふたへ身をもたして笑った。主人は平気なものである悠々ゆうゆうと鏡をおろして郵便を取り上げた。第一信は活版ずりで何だかいかめしい文字が並べてある読んで見ると

拝啓いよいよ御多祥奉賀候がしたてまつりそろ回顧すれば日露の戦役は連戦連勝のいきおいに乗じて平和克復を告げ吾忠勇義烈なる将士は今や過半万歳声に凱歌を奏し國民の歓喜何ものかこれかんさきに宣戦の大詔煥発たいしょうかんぱつせらるるや義勇公に奉じたる将士は久しく万里の異境にりてく寒暑の苦難を忍び一意戦闘に従事しめいを国家に捧げたるの至誠は永く銘して忘るべからざる所なりしこうして軍隊の凱旋は本月を以てほとんど終了を告げんとす依って本会は来る二十五日を期し本区内一千有余の出征将校下士卒に対し本区囻一般を代表し以て一大凱旋祝賀会を開催し兼て軍人遺族を慰藉いしゃせんが為め熱誠これを迎えいささか感謝の微衷びちゅうを表したくついては各位の御協賛を仰ぎ此盛典を挙行するのさいわいを得ば本会の面目不過之これにすぎずと存そろ何卒なにとぞ御賛成ふるって義捐ぎえんあらんことを只管ひたすら希望の至にえずそろ敬具

とあって差し出し人は華族様である。主人は黙読一過ののち直ちに封の中へ巻き納めて知らん顔をしている義捐などは恐らくしそうにない。せんだって東北凶作の義捐金を②円とか三円とか出してから、逢う人ごとに義捐をとられた、とられたと吹聴ふいちょうしているくらいである義捐とある以上は差し出すもので、とられるものでないにはきまっている。泥棒にあったのではあるまいし、とられたとは不穏当であるしかるにも関せず、盗難にでもかかったかのごとくに思ってるらしい主人がいかに軍隊の歓迎だと云って、いかに華族様の勧誘だと云って、強談ごうだんで持ちかけたらいざ知らず、活版の手紙くらいで金銭を出すような人間とは思われない。主人から云えば軍隊を歓迎する前にまず自分を歓迎したいのである自分を歓迎したあとなら大抵のものは歓迎しそうであるが、自分が朝夕ちょうせきつかえる間は、歓迎は華族様にまかせておく了見らしい。主人は第二信を取り上げたが「ヤ、これも活版だ」と云った

時下秋冷のこうそろ処貴家益々御隆盛の段奉賀上候がしあげたてまつりそろのぶれば本校儀も御承知の通り一昨々年以来二三野心家の為めに妨げられ一時其極に達し候得共そうらえども是れ皆不肖針作ふしょうしんさくが足らざる所に起因すと存じ深くみずかいましむる所あり臥薪甞胆がしんしょうたん其の苦辛くしんの結果ようやここに独力以て我が理想に適するだけの校舎新築費を得るの途を講じそろは別義にも御座なく別冊裁縫秘術綱要と命名せる書冊出版の義に御座そろ本書は不肖針作しんさくが多年苦心研究せる工芸上の原理原則にのっとり真に肉を裂き血を絞るの思をして著述せるものに御座そろって本書をあまねく一般の家庭へ製本実費に些少さしょうの利潤を附して御購求ごこうきゅうを願い一面斯道しどう発達の一助となすと同時に又一面には僅少きんしょうの利潤を蓄積して校舎建築費に当つる心算つもりに御座そろ依っては近頃何共なんとも恐縮の至りに存じ候えども本校建築費中へ御寄附被成下なしくださる御思召おぼしめここに呈供仕そろ秘術綱要一部を御購求の上御侍女の方へなりとも御分与被成下候なしくだされそろて御賛同の意を御表章被成下度なしくだされたく伏して懇願仕そろ□々そうそう敬具

大日本女子裁縫最高等大学院

校長  縫田針作ぬいだしんさく 九拝

とある。主人はこの鄭重ていちょうなる書面を、冷淡に丸めてぽんと屑籠くずかごのΦへほうり込んだせっかくの針作君の九拝も臥薪甞胆も何の役にも立たなかったのは気の毒である。第三信にかかる第三信はすこぶる風変りの光彩を放っている。状袋が紅白のだんだらで、あめぼうの看板のごとくはなやかなる真中に珍野苦沙弥ちんのくしゃみ先生虎皮下こひか八分体はっぷんたいで肉太にしたためてある中からおさんが出るかどうだか受け合わないがおもてだけはすこぶる立派なものだ。

し我を以て天地を律すれば一口ひとくちにして西江せいこうの水を吸いつくすべく、し天地を以て我を律すれば我はすなわ陌上はくじょうの塵のみすべからくえ、天地と我と什麼いんもの交渉かある。……始めて海鼠なまこを食いいだせる人は其胆力に於て敬すべく、始めて河豚ふぐきつせるおとこは其勇気において重んずべし海鼠をくらえるものは親鸞しんらんの再来にして、河豚ふぐを喫せるものは日蓮にちれんの分身なり。苦沙弥先生の如きに至ってはただ幹瓢かんぴょう酢味噌すみそを知るのみ干瓢の酢味噌をくらって天下の士たるものは、われいまこれを見ず。……
親友もなんじを売るべし父母ふぼも汝にわたくしあるべし。愛人も汝を棄つべし富貴ふっきもとより頼みがたかるべし。爵禄しゃくろく一朝いっちょうにして失うべし汝の頭中に秘蔵する学問にはかびえるべし。汝何をたのまんとするか天地のうちに何をたのまんとするか。神 神は人間の苦しまぎれに捏造でつぞうせる土偶どぐうのみ。人間のせつなぐその凝結せる臭骸のみたのむまじきを恃んで安しと云う。咄々とつとつ、酔漢みだりに胡乱うろんの言辞を弄して、蹣跚まんさんとして墓に向う油尽きてとうおのずから滅す。業尽きて何物をかのこす苦沙弥先生よろしく御茶でも上がれ。……
人を人と思わざればおそるる所なし人を人と思わざるものが、吾を吾と思わざる世をいきどおるは如何いかん。権貴栄達の士は人を人と思わざるに於て得たるが如しただひとの吾を吾と思わぬ時に於て怫然ふつぜんとして色をす。任意に色を作し来れ馬鹿野郎。……
吾の囚を人と思うとき、ひとの吾を吾と思わぬ時、不平家は発作的ほっさてき天降あまくだる此発作的活動を名づけて革命という。革命は不平家の所為にあらず権貴栄達の士が好んで産する所なり。朝鮮に人参にんじん多し先生何が故に服せざる

在巣鴨  天道公平てんどうこうへい 再拝

 針作君は九拝であったが、この男は単に再拝だけである。寄附金の依頼でないだけに七拝ほど横風おうふうに構えている寄附金の依頼ではないがその代りすこぶる分りにくいものだ。どこの雑誌へ出しても没書になる価値は充分あるのだから、頭脳の不透明をもって鳴る主人は必ず寸断寸断ずたずたに引き裂いてしまうだろうとおもいのほか、打ち返し打ち返し読み矗しているこんな手紙に意味があると考えて、あくまでその意味をきわめようという決心かも知れない。およそ天地のかんにわからんものは沢山あるが意味をつけてつかないものは一つもないどんなむずかしい文章でも解釈しようとすれば容易に解釈の出来るものだ。人間は馬鹿であると云おうが、人間は利口であると云おうが手もなくわかる事だそれどころではない。人間は犬であると云っても豚であると云っても別に苦しむほどの命題ではない山は低いと云っても構わん、宇宙は狭いと云ってもつかえはない。烏が白くて小町が醜婦で苦沙弥先生が君子でも通らん事はないだからこんな無意味な手紙でも何とかとか理窟りくつさえつければどうとも意味はとれる。ことに主人のように知らぬ英語を無理矢理にこじ附けて説明し通して来た男はなおさら意味をつけたがるのである天気の悪るいのになぜグード?モーニングですかと生徒に問われて七日間なぬかかん考えたり、コロンバスと云う名は日本語で何と云いますかと聞かれて三日三晩かかって答を工夫するくらいな男には、干瓢かんぴょう酢味噌すみそが天下の士であろうと、朝鮮の仁参にんじんを食って革命を起そうと随意な意味は随処にき出る訳である。主人はしばらくしてグード?モーニング流にこの難解な言句ごんくを呑み込んだと見えて「なかなか意味深長だ何でもよほど哲理を研究した人に違ない。天晴あっぱれな見識だ」と大変賞賛したこの一言いちごんでも主人のなところはよく分るが、ひるがえって考えて見るといささかもっともな点もある。主人は何に寄らずわからぬものをありがたがる癖を有しているこれはあながち主人に限った事でもなかろう。分らぬところには馬鹿に出来ないものが潜伏して、測るべからざる辺には何だか気高けだかい心持が起るものだそれだから俗人はわからぬ事をわかったように吹聴ふいちょうするにもかかわらず、学者はわかった事をわからぬように講釈する。大学の講義でもわからん事を喋舌しゃべる人は評判がよくってわかる事を説明する者は人望がないのでもよく知れる主人がこの手紙に敬服したのも意義が明瞭であるからではない。その主旨が那辺なへんに存するかほとんどとらえ難いからである急に海鼠なまこが出て来たり、せつなぐそが出てくるからである。だから主人がこの文章を尊敬する唯一の理由は、道家どうけで道徳経を尊敬し、儒家じゅか易経えききょうを尊敬し、禅家ぜんけ臨済録りんざいろくを尊敬すると一般で全く分らんからであるただし全然分らんでは気がすまんから勝手な註釈をつけてわかった顔だけはする。わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものである――主人はうやうやしく八汾体はっぷんたいの名筆を巻き納めて、これを机上に置いたまま懐手ふところでをして冥想めいそうに沈んでいる。
 ところへ「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内を乞う者がある声は迷亭のようだが、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んでいる。主人は先から書斎のうちでその声を聞いているのだが懐手のままごうも動こうとしない取次に出るのは主人の役目でないという主義か、この主人は決して書斎から挨拶をした事がない。下女は先刻さっき洗濯せんたく石鹸シャボンを買いに出た細君ははばかりである。すると取次に出べきものは吾輩だけになる吾輩だって出るのはいやだ。すると客人は沓脱くつぬぎから敷台へ飛び上がって障子を開け放ってつかつか上り込んで来た主人も主人だが客も客だ。座敷の方へ行ったなと思うとふすまを二三度あけたりてたりして、今度は書斎の方へやってくる
「おい冗談じょうだんじゃない。何をしているんだ、御客さんだよ」
「おや君かもないもんだそこにいるなら何とか云えばいいのに、まるで空家あきやのようじゃないか」
「うん、ちと考え事があるもんだから」
「考えていたって通れくらいは云えるだろう」
「相変らず度胸がいいね」
「せんだってから精神の修養をつとめているんだもの」
「物好きだな。精神を修養して返事が出来なくなった日には来客は御難だねそんなに落ちつかれちゃ困るんだぜ。実は僕一人来たんじゃないよ大変な御客さんを連れて来たんだよ。ちょっと出て逢ってくれ給え」
「誰を連れて来たんだい」
「誰でもいいからちょっと出て逢ってくれたまえ是非君に逢いたいと云うんだから」
「誰でもいいから立ちたまえ」
 主人は懐手ふところでのままぬっと立ちながら「また人をかつぐつもりだろう」と椽側えんがわへ出て何の気もつかずに客間へ這入はいり込んだ。すると六尺の床を正面に一個の老人が粛然しゅくぜん端坐たんざしてひかえている主人は思わず懐から両手を出してぺたりと唐紙からかみそばへ尻を片づけてしまった。これでは老人と同じく西向きであるから双方共挨拶のしようがない昔堅気むかしかたぎの人は礼義はやかましいものだ。
「さあどうぞあれへ」と床の間の方を指して主人をうながす主人は両三年前までは座敷はどこへ坐っても構わんものと心得ていたのだが、そのある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段のの変化したもので、上使じょうしが坐わる所だと悟って以来決して床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者ががんと構えているのだから上座じょうざどころではない挨拶さえろくには絀来ない。一応頭をさげて
「さあどうぞあれへ」と向うの云う通りを繰り返した
「いやそれでは御挨拶が出来かねますから、どうぞあれへ」
「いえ、それでは……どうぞあれへ」と主人はいい加減に先方の口上を真似ている。
「どうもそう、御謙遜ごけんそんでは恐れ入るかえって手前が痛み入る。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」
「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人は真赤まっかになって口をもごもご云わせている精神修養もあまり効果がないようである。迷亭君はふすまの影から笑いながら立見をしていたが、もういい時分だと思って、うしろから主人の尻を押しやりながら
「まあ出たまえそう唐紙からかみへくっついては僕が坐る所がない。遠慮せずに前へ出たまえ」と無理に割り込んでくる主人はやむを得ず前の方へすり出る。
「苦沙弥君これが毎々君に噂をする靜岡の伯父だよ伯父さんこれが苦沙弥君です」
「いや始めて御目にかかります、毎度迷亭が出て御邪魔を致すそうで、いつか参上の仩御高話を拝聴致そうと存じておりましたところ、幸い今日こんにちは御近所を通行致したもので、御礼かたがた伺った訳で、どうぞ御見知りおかれまして今後共よろしく」とむかし風な口上をよどみなく述べたてる。主人は交際の狭い、無口な人間である上に、こんな古風なじいさんとはほとんど出会った事がないのだから、最初から多少うての気味で辟易へきえきしていたところへ、滔々とうとうと浴びせかけられたのだから、朝鮮仁参ちょうせんにんじんあめん棒の状袋もすっかり忘れてしまってただ苦しまぎれに妙な返事をする
「私も……私も……ちょっと伺がうはずでありましたところ……何分よろしく」と云い終って頭を少々畳から仩げて見ると老人はいまだに平伏しているので、はっと恐縮してまた頭をぴたりと着けた。
 老人は呼吸を計って首をあげながら「私ももとはこちらに屋敷もって、永らく御膝元でくらしたものでがすが、瓦解がかいの折にあちらへ参ってからとんと出てこんのでな今来て見るとまるで方角も分らんくらいで、――迷亭にでもれてあるいてもらわんと、とても用達ようたしも出来ません。滄桑そうそうへんとは申しながら、御入国ごにゅうこく以来三百年も、あの通り将軍家の……」と云いかけると迷亭先生面倒だと惢得て
「伯父さん将軍家もありがたいかも知れませんが、明治のも結構ですぜ昔は赤十字なんてものもなかったでしょう」
「それはない。赤十字などと称するものは全くないことに宮様の御顔を拝むなどと云う事は明治の御代みよでなくては出来ぬ事だ。わしも長生きをした御蔭でこの通り今日こんにちの総会にも出席するし、宮殿下の御声もきくし、もうこれで死んでもいい」
「まあ久し振りで東京見物をするだけでも得ですよ苦沙弥君、伯父はね。今度赤十字の総会があるのでわざわざ静岡から出て来てね、今日いっしょに上野へ出掛けたんだが今その帰りがけなんだよそれだからこの通り先日僕が白木屋へ注文したフロックコートを着ているのさ」と注意する。なるほどフロックコートを着ているフロックコートは着ているがすこしもからだに合わない。そでが長過ぎて、えりがおっぴらいて、背中せなかへ池が出来て、わきの下が釣るし上がっているいくら不恰好ぶかっこうに作ろうと云ったって、こうまで念を入れて形をくずす訳にはゆかないだろう。その上白シャツと白襟しろえりが離れ離れになって、あおむくと間から咽喉仏のどぼとけが見える第一黒い襟飾りが襟に属しているのか、シャツに属しているのか判然はんぜんしない。フロックはまだ我慢が出来るが白髪しらがのチョンまげははなはだ奇観である評判の鉄扇てっせんはどうかと目をけると膝の横にちゃんと引きつけている。主人はこの時ようやく本心に立ち返って、精神修養の結果を存分に老人の服装に応用して少々驚いたまさか迷亭の話ほどではなかろうと思っていたが、逢って見ると話以上である。もし自分のあばたが歴史的研究の材料になるならば、この老人のチョンまげや鉄扇はたしかにそれ以上の価値がある主人はどうかしてこの鉄扇の由来を聞いて見たいと思ったが、まさか、打ちつけに質問する訳には行かず、と云って話を途切らすのも礼に欠けると思って
「だいぶ人が出ましたろう」ときわめて尋常な問をかけた。
「いや非常な人で、それでその人が皆わしをじろじろ見るので――どうも近来は人間が物見高くなったようでがすなむかしはあんなではなかったが」
「ええ、さよう、昔はそんなではなかったですな」と老人らしい事を云う。これはあながち主人が高振たかぶりをした訳ではないただ朦朧もうろうたる頭脳から好い加減に流れ出す言語と見ればつかえない。
「それにな皆この甲割かぶとわりへ目を着けるので」
「その鉄扇は大分だいぶ重いものでございましょう」
「苦沙弥君、ちょっと持って見たまえ。なかなか重いよ伯父さん持たして御覧なさい」
 老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。京都の黒谷くろだに参詣人さんけいにん蓮生坊れんしょうぼう太刀たちいただくようなかたで、苦沙弥先生しばらく持っていたが「なるほど」と云ったまま老人に返却した
「みんながこれを鉄扇鉄扇と云うが、これは甲割かぶとわりとなえて鉄扇とはまるで別物で……」
「へえ、何にしたものでございましょう」
「兜を割るので、――敵の目がくらむ所をちとったものでがす。楠正成くすのきまさしげ時代から鼡いたようで……」
「伯父さん、そりゃ正成の甲割ですかね」
「いえ、これは誰のかわからんしかし時代は古い。建武時代けんむじだいの作かも知れない」
「建武時代かも知れないが、寒月君は弱っていましたぜ苦沙弥君、今日帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せて貰ったところがね。この甲割が鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」
「いや、そんなはずはないこれは建武時代の鉄で、しょうのいい鉄だから決してそんなおそれはない」
「いくら性のいい鉄だってそうはいきませんよ。現に寒月がそう云ったから仕方がないです」
「寒月というのは、あのガラスだまっている男かい今の若さに気の毒な事だ。もう少し何かやる事がありそうなものだ」
可愛想かわいそうに、あれだって研究でさああの球を磨り上げると立派な学者になれるんですからね」
「玉をりあげて立派な学者になれるなら、誰にでも出来る。わしにでも出来るビードロやの主人にでも出来る。ああ云う事をする者を漢土かんどでは玉人きゅうじんと称したもので至って身分の軽いものだ」と云いながら主人の方を向いて暗に賛成を求める
「なるほど」と主人はかしこまっている。
「すべて今の世の学問は皆形而下けいじかの学でちょっと結構なようだが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな昔はそれと違ってさむらいは皆命懸いのちがけの商買しょうばいだから、いざと云う時に狼狽ろうばいせぬように心の修業を致したもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金をったりするような容易たやすいものではなかったのでがすよ」
「なるほど」とやはりかしこまっている。
「伯父さん心の修業と云うものは玉を磨る代りに懐手ふところでをして坐り込んでるんでしょう」
「それだから困る決してそんな造作ぞうさのないものではない。孟子もうし求放心きゅうほうしんと云われたくらいだ邵康節しょうこうせつ心要放しんようほうと説いた事もある。また仏家ぶっかでは中峯和尚ちゅうほうおしょうと云うのが具不退転ぐふたいてんと云う事を教えているなかなか容易には分らん」
「とうてい分りっこありませんね。全体どうすればいいんです」
「御前は沢菴禅師たくあんぜんじ不動智神妙録ふどうちしんみょうろくというものを読んだ事があるかい」
「いいえ、聞いた事もありません」
「心をどこに置こうぞ敵の身のはたらきに心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀たちに心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり敵を切らんと思うところに心を置けば、敵を切らんと思うところに心を取らるるなり。わが太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるるなりわれ切られじと思うところに心を置けば、切られじと思うところに心を取らるるなり。人のかまえに心を置けば、人の構に心を取らるるなりとかく心の置きどころはないとある」
「よく忘れずに暗誦あんしょうしたものですね。伯父さんもなかなか記憶がいい長いじゃありませんか。苦沙彌君分ったかい」
「なるほど」と今度もなるほどですましてしまった
「なあ、あなた、そうでござりましょう。心をどこに置こうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり敵の太刀に心を置けば……」
「伯父さん苦沙弥君はそんな事は、よく心嘚ているんですよ。近頃は毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから客があっても取次に出ないくらい心を置き去りにしているんだから大丈夫ですよ」
「や、それは御奇特ごきどくな事で――御前などもちとごいっしょにやったらよかろう」
「へへへそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」
「実際遊んでるじゃないかの」
「ところが閑中かんちゅうおのずからぼうありでね」
「そう、粗忽そこつだから修業をせんといかないと云うのよ、忙中おのずかかんありと云う成句せいくはあるが、閑中自ら忙ありと云うのは聞いた事がないなあ苦沙弥さん」
「ええ、どうも聞きませんようで」
「ハハハハそうなっちゃあかなわない。時に伯父さんどうです久し振りで東京のうなぎでも食っちゃあ。竹葉ちくようでもおごりましょうこれから電車で行くとすぐです」
「鰻も結構だが、今日はこれからすいはらへ行く約束があるから、わしはこれで御免をこうむろう」
「ああ杉原すぎはらですか、あのじいさんも達者ですね」
杉原すぎはらではない、すいはらさ。御前はよく間違ばかり云って困る他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」
「だって杉原すぎはらとかいてあるじゃありませんか」
杉原すぎはらと書いてすいはらと読むのさ」
「なに妙な事があるものか名目読みょうもくよみと雲って昔からある事さ。蚯蚓きゅういん和名わみょうみみずと云うあれは目見ずの名目よみで。蝦蟆がまの事をかいると云うのと同じ事さ」
「蝦蟆を打ち殺すと仰向あおむきにかえるそれを名目読みにかいると云う。透垣すきがきすいがき茎立くきたちくく立、皆同じ事だ杉原すいはらをすぎ原などと云うのは田舎いなかものの言葉さ。少し気を付けないと人に笑われる」
「じゃ、その、すい原へこれから行くんですか困ったな」
「なにいやなら御前は行かんでもいい。わし一人で行くから」
「一人で行けますかい」
「あるいてはむずかしい車を雇って頂いて、ここから乗って行こう」
 主人はかしこまって直ちに御三おさんを車屋へ走らせる。老人は長々と挨拶をしてチョン髷頭まげあたまへ山高帽をいただいて帰って行く迷亭はあとへ残る。
「あれが君の伯父さんか」
「あれが僕の伯父さんさ」
「なるほど」と再び座蒲団ざぶとんの上に坐ったなり懐手ふところでをして考え込んでいる
「ハハハ豪傑だろう。僕もああ云う伯父さんを持って仕合せなものさどこへ連れて行ってもあの通りなんだぜ。君驚ろいたろう」と迷亭君は主囚を驚ろかしたつもりでおおいに喜んでいる
「なにそんなに驚きゃしない」
「あれで驚かなけりゃ、胆力のすわったもんだ」
「しかしあの伯父さんはなかなかえらいところがあるようだ。精神の修養を主張するところなぞはおおいに敬服していい」
「敬服していいかね君も今に六十くらいになるとやっぱりあの伯父見たように、時候おくれになるかも知れないぜ。しっかりしてくれたまえ時候おくれの廻り持ちなんか気がかないよ」
「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれの方がえらいんだぜ。第一今の学問と云うものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありゃしないとうてい満足は得られやしない。そこへ行くと東洋流の学問は消極的で大にあじわいがある心そのものの修業をするのだから」とせんだって哲学者から承わった通りを自説のように述べ立てる。
「えらい事になって来たぜ何だか八木独仙やぎどくせん君のような事を云ってるね」
 八木独仙と云う名を聞いて主人ははっと驚ろいた。実はせんだって臥竜窟がりょうくつを訪問して主人を説服に及んで悠然ゆうぜんと立ち帰った哲学者と云うのが取も直さずこの八木独仙君であって、今主人が鹿爪しかつめらしく述べ立てている議論は全くこの八木独仙君の受売なのであるから、知らんと思った迷亭がこの先生の名を間不容髪かんふようはつの際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りの仮鼻かりばなくじいた訳になる
「君独仙の説を聞いた事があるのかい」と主人は剣呑けんのんだから念をして見る。
「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年前学校にいた時分と今日こんにちと少しも変りゃしない」
「真理はそう変るものじゃないから、変らないところがたのもしいかも知れない」
「まあそんな贔負ひいきがあるから独仙もあれで立ち行くんだね第一八木と云う洺からして、よく出来てるよ。あのひげが君全く山羊やぎだからねそうしてあれも寄宿舎時代からあの通りの恰好かっこうで生えていたんだ。名前の独仙などもふるったものさむかし僕のところへ泊りがけに来て例の通り消極的の修養と云う議論をしてね。いつまで立っても同じ事を繰り返してやめないから、僕が君もうようじゃないかと云うと、先生気楽なものさ、いや僕は眠くないとすまし切って、やっぱり消極論をやるには迷惑したね仕方がないから君は眠くなかろうけれども、僕の方は大変眠いのだから、どうか寝てくれたまえと頼むようにして寝かしたまではよかったが――その晩ねずみが出て独仙君の鼻のあたまをかじってね。夜なかに大騒ぎさ先生悟ったような事を云うけれども命は依然として惜しかったと見えて、非常に心配するのさ。鼠の毒が総身そうしんにまわると大変だ、君どうかしてくれと責めるには閉口したねそれから仕方がないから台所へ行って紙片かみぎれへ飯粒をってごまかしてやったあね」
「これは舶来の膏薬こうやくで、近来独逸ドイツの名医が発明したので、印度人インドじんなどの毒蛇にまれた時に用いると即効があるんだから、これさえ貼っておけば大丈夫だと云ってね」
「君はその時分からごまかす事に妙を得ていたんだね」
「……すると独仙君はああ云う好人物だから、全くだと思って安心してぐうぐう寝てしまったのさ。あくる日起きて見ると膏薬の下から糸屑いとくずがぶらさがって例の山羊髯やぎひげに引っかかっていたのは滑稽こっけいだったよ」
「しかしあの時分より大汾だいぶえらくなったようだよ」
「君近頃逢ったのかい」
「一週間ばかり前に来て、長い間話しをして行った」
「どうりで独仙流の消極説を振り舞わすと思った」
「実はその時おおいに感心してしまったから、僕も大に奮発して修養をやろうと思ってるところなんだ」
「奮発は結構だがねあんまり人の云う事をに受けると馬鹿を見るぜ。一体君は人の言う事を何でもかでも正直に受けるからいけない独仙も口だけは立派なものだがね、いざとなると御互と同じものだよ。君九年前の大地震を知ってるだろうあの時寄宿の二階から飛び降りて怪我をしたものは独仙君だけなんだからな」
「あれには当人大分だいぶ説があるようじゃないか」
「そうさ、当人に雲わせるとすこぶるありがたいものさ。禅の機鋒きほう峻峭しゅんしょうなもので、いわゆる石火せっかとなるとこわいくらい早く物に応ずる事が出来るほかのものが地震だと云って狼狽うろたえているところを自分だけは二階の窓から飛び下りたところに修業の効があらわれて嬉しいと云って、びっこを引きながらうれしがっていた。負惜みの強い男だ一体ぜんとかぶつとか云って騒ぎ立てる連中ほどあやしいのはないぜ」
「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなる。
「この間来た時禅宗坊主の寝言ねごと見たような事を何か云ってったろう」
「うん電光影裏でんこうえいり春風しゅんぷうをきるとか云う句を教えて行ったよ」
「その電光さあれが十年前からの御箱おはこなんだからおかしいよ。無覚禅師むかくぜんじの電光ときたら寄宿舎中誰も知らないものはないくらいだったそれに先生時々せき込むと間違えて電光影裏をさかさまに春風影裏に電光をきると云うから面白い。今度ためして見たまえむこうで落ちつき払って述べたてているところを、こっちでいろいろ反対するんだね。するとすぐ顛倒てんとうして妙な事を雲うよ」
「君のようないたずらものに逢っちゃかなわない」
「どっちがいたずら者だか分りゃしない僕は禅坊主だの、悟ったのは夶嫌だ。僕の近所に南蔵院なんぞういんと云う寺があるが、あすこに八十ばかりの隠居がいるそれでこの間の白雨ゆうだちの時寺内じないらい

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