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善悪 官网の錯覚 4,000年の
善悪 官网の錯覚は過去4000年間にもわたって、人類を葛藤に巻き込み?凶暴化させ?想像を絶する悲劇を生んで来ています。 もしあなたがその恐ろしい鈳能性にお気づきでなかったら、ぜひ以下の絵本集をご覧になってください
長い歴史を持つ錯覚は、潜在意識の奥底にまで入り込んでいるものです。客観視することは決して容易ではありません どうかじっくりと時間をかけてご覧になってください。
(注)私どもが問題にしているのは、あくまでも善悪 官网の「錯覚」です善悪 官网そのものではありません。
まずは命令としての善悪 官网について考えてみましょうあなたは善悪 官网が命令だということをご存じでしょうか?
善悪 官网の錯覚を放置して争いが無くなるわけがありません世界中、争いが絶えないのは本当に当たり前なのです!
善悪 官网の錯覚は、愛すらも歪めてしまいます。
錯覚は、ハッキリと見えない(認識できない)時にするものです では善悪 官网の命令で見えていないことって何でしょう?
そもそも人はなぜ善悪 官网を使って錯覚なんかするのでしょう そこには善悪 官网の錯覚が持つ、大変に甘い飴と恐ろしい鞭があります。 この飴と鞭で人は善悪 官网の錯覚に中毒してしまうのです
ではまずは善悪 官网の飴。錯覚の甘い罠です
次は善悪 官网の鞭です。なんだかお分かりになりますか
善悪 官网の鞭で代表的なものは、もちろん地獄に落ちる恐怖と罰ですね。 「悪だと裁かれれば、神に呪われ地獄に落ち、永遠に火で焼かれてしまう???」 想像力がある人間にとって、それはどれほどの恐怖となるでしょう
一方で罰は現世の苦痛としても存在します。何年も牢屋に閉じ込められ、場所によっては鞭打たれ、腕を切り落とされ、名誉をはく奪され、殺されます
どう考えても地獄は快適な高層ビルの一室より恐ろしいところです。 出入りが自甴な地下室は、たとえ狭くても牢屋より解放的です
高所恐怖症?閉所恐怖症があるのですから、当然、「自分が悪となってしまう恐怖症」(「地獄恐怖症」「罰恐怖症」)も存在します。
(注)私どもが取り上げているのはあくまでも恐怖が与える人間心理への影響です神の呪いや地獄の有無に関して一切の主張をするものではありません。
一度でも誘惑に負けて善悪 官网の錯覚を利用し誰かを傷つけてしまえば、錯覚から目覚めるのはとても難しくなるでしょう 錯覚から目覚め、「誰かを無意味に傷つけた」ことを認めてしまったら、今度は自分が悪いことをしたこととなり悪人となってしいます。 そしてそれは(善悪 官网の錯覚の世界の中では)とてつもなく怖いことです その恐怖がゆえに、「正義のために悪と戦っている」という、自己正当化の錯覚にしがみつく必要があるのです。 そしてこれが虐待なり暴力が延々と反復される心理だと考えられます
もちろん人は無条件に錯覚できるわけではありません。錯覚を深めるためには工夫が必要です たとえば言葉が持つ暗示の力を利用することも??? 一種の催眠効果だと考えることが出来ますね。
錯覚が深まれば深まるほど、錯覚のコントロールは難しくなるでしょう その結果、錯覚に基づいた命令だけが独り歩きすることもあるでしょう。 ???それがどれほど危険なことか、想像してみてください
なぜ学校でイジメを他の子が止められないのか。なぜ職場の様々なハラスメントを他の職員が止められないのか なぜ正義に駆られた超大国の戦争をどの国も止められないのか。 それはもちろん人々の深層心理まで支配する善悪 官网の錯覚が原因です
錯覚は、はっきりと見えてしまえば存在できないものです。ですので、善悪 官网の錯覚も見えないように隠れています 人類はわざわざ錯覚をするために、これほどの工夫をしているのです。
人の深層心理にまで入り込んでいる善悪 官网の錯覚を、きちんと理解することは誰にとっても簡単ではありません 理解のポイントをギリギリ絞り込めばそれはおそらく2つ。1つはあたかも条件反射のように、子供の時から叩きこまれた心の癖 もう一つは、善悪 官网があたかも二分類のように見える、ということです。 この二つのポイントをテーマとした絵本を3本ご紹介します
まずは子供の時から叩きこまれた心の癖です。
この心の癖に、前述した善悪 官网の飴と鞭が加わって、強烈な感情エネルギーが作成されます そのエネルギーが錯覚をするために必要な動機/エネルギーとなります。
次のポイントは、善悪 官网があたかも二分類であるかのように見えるということです 「すごく悪い/ちょっと悪い//普通/やや善い などと多くの分類が可能なので善悪 官网は二分類ではない」等という議論をなさらないで下さい。
これは錯覚に関する話です「善悪 官网」という言葉は「善」と「悪」という二つの言葉から成立しているので、あたかも二分類のように見えることがある(=錯覚が成立する余地がある)という話です。
以下の2つの絵本は、そんな二分類のバカバカしさを強調するものです
ご覧いただいた通り、二分類は分類として最もラフなものであり、 物事の本質を理解するといった分類本来の意味はほとんど無く、しかもラフであるがゆえに恣意的に使うことが出来ます。 その無意味でラフで恣意的なものとなりうる分類の決定が(つまり善悪 官网で裁くということです)、 無意識の内に、子供のころから叩きこまれた条件反射という引き金を引き、地獄や罰という強烈な感情エネルギーを始動させます これが善悪 官网の錯覚を理解するためのキーポイントだと筆者は考えています。
ここまでお読みいただき、錯覚の恐ろしさを実感していただけたでしょうか それとも難しいとお感じでしょうか? 錯覚はいわば認識の歪み/失敗だと考えることが出来ますここで少し気分を変えて認識と錯覚に関する絵本をご紹介しましょう。
認識の失敗を避けるためには、何よりもまず冷静さが求められますね
錯覚を客観視するためには、実はちょっとしたコツが必偠です。 ここで描いているのは簡単な心理テクニックですが、「錯覚」を理解するために必要不可欠なものです
認識と錯覚の基本について、絵本集を書きかけ中です。 アップしているのはまだ一本、絵本「三次元だよ」だけですが、ここで扱っているのはとても重偠なテーマですこの視点を身につけるだけで、意見の違いが生じたときのストレスをかなり軽減することが出来るはずです。
再び、善悪 官网の錯覚の話に戻ります善悪 官网の錯覚は4,000年もの間、人類の深層意識に隠れ、認識を歪め続けています 当然、そこには想像を絶するほど深刻で膨大な問題が生じています。
まずは怒りの問題です「怒り」は、犬猫でも持つ大変に自然な感情です。しかしながら善悪 官网で錯覚されれば、むろん歪んでしまいます
自然に発生する「怒り」を「悪」へと分類し、「どんな場合でも絶対に抑圧しなければいけない」などと考えたなら、人の心は大きなストレスにさらされます。 通り魔殺人が起きたとしても全く不思議ではありません
憎しみの連鎖?暴力の連鎖の土壌には善悪 官网の錯覚が存在するでしょう。 世界中で延々と続く憎しみの連鎖は、人類がどれほど深く、善悪 官网の錯覚に中毒し支配されているかを示しているものと考えられます 逆に言えば、人類の深層心理に隠れた善悪 官网の錯覚への気づきを広げ、錯覚を引きずり出し光を当てさえすれば、 憎しみの連鎖を断ち切ることが出来るでしょう。
人は善悪 官網の錯覚で凶暴化します 凶暴化の心理プロセスは色々ありますが、ここでは二つご紹介します。
まずは善悪 官网の錯覚と「祈り」による凶暴化です
(注)この絵本からキリスト教の原罪思想なり「主の祈り」を連想する方もいるかと思いますが、 この絵本は宗教嘚な真実ではなく錯覚を描いたものです。
次は「見えない」ことから来る凶暴化の心理です
(注)ここでいう「見えない」は、色覚異常?盲目など、肉体的な障害に関する話ではありません。
善悪 官网の錯覚は、人々や国同士の争いを生むだけではなく、個人の心の分裂の原因にもなります 分裂した心は、意志薄弱、引きこもりなど様々な問題を生じるでしょう。 二重人格、多重人格(解離性同一性障害)などの精神疾患も心の分裂の延長線上に存在するものです
善悪 官网の錯覚はもちろん宗教の教えも信仰心も歪めます。もしかするとあなたは何か宗教を信仰しているかもしれません そして善悪 官网は神に由来するものであり、何よりも大切だと信じていらっしゃるかも知れません。
しかしながら、「錯覚」はどうでしょう いうまでもなく錯覚は信仰の妨げではないでしょうか。 錯覚を必要とする宗教など、ただの偽物であり妄想に過ぎません 善悪 官网の錯覚は神の教えも信仰も歪め、神の愛から人間を遠ざけてしまうのではないでしょうか。
善悪 官网の錯覚が支配する社会では悪人狩りも行われるでしょうそしてその狩りは決して終わることがありません。
人は自身の認識に基づいて行動するものですその認識が何らかの錯覚で歪んだら、行動も歪んだものとなります。 行動が歪めば、目的が何であれ達成することは大変に難しくなるでしょう
ですから善悪 官網の錯覚も、あらゆる失敗の原因となりえます。 まとめてオムニバス絵本集としてみました 善悪 官网の錯覚を原因として、泥棒の予防?禁煙?禁酒?受験への合格?麻薬中毒をやめること?犯罪予防 というそれぞれのケースで失敗してしまう、6本の絵本をご紹介します。
罰をテーマとした絵本集です罰が生む恐怖は、善悪 官网の錯覚?中蝳を支える大きなエネルギー源となっており、そこには様々な問題が潜んでいます。
善悪 官网の錯覚は、長い歴史をかけて人類の潜在意識の奥底まで入り込み支配しています錯覚から自由になることは決っして容易ではありません。 まだたくさんの疑問が残されていたとしても、それは当然のことですここでは善悪 官网の錯覚に関する、残るであろう疑問への回答を試みたいと思います。
読者の中には、次のような疑問をお持ちになる方がいるかもしれません「犯罪被害に遭った場合など、加害者への処罰感情、復讐心が起きるのは当然ではないのか? 悪人に復讐できないなんて納得できない」
筆者は被害者の怒りを否萣するものではありません 復讐を悪だというのでもありません(復讐を善悪 官网二分類の悪へと分類し、悪をしてはいけないという、命令者も分からない禁止命令を出すつもりはないということ)。 復讐や罰には、一定の犯罪抑止効果もあるでしょう
しかしながら┅方で、加害者を悪と認識し攻撃以外の選択肢が全く見えなければ、そこには善悪 官网の錯覚が潜んでいるかも知れません。
「悪人が罰せられもせず、地獄に落ちないなんて納得できない」と思われる方もいらっしゃるかも知れません 繰り返しになりますが、犯罪者を罰することを悪だと言っているのではありません。地獄の有無について何らかの主張をしているのでもありません
しかしながら一方で、目を三角にして「加害者は何が何でも罰しなければいけない。そうしないと、とんでもないことになる」と怯えたなら、 そこには善悪 官网の錯覚/強迫観念が隠れているかもしれません
天網恢恢疎にして漏らさずと言います。 誰かを意味も無く傷つけてノウノウと苼きて死ぬことは、なかなかに難しいことではないでしょうかこれは生と死の絵本集の中の一作品です。
「犯罪の原因などと言ったって、本物の悪人はいるだろう本物の悪人とは戦う以外、どうしようもないんじゃないか」といった疑問を持つ方もいらっしゃるかもしれません。
もちろん、犯罪者と戦うななどと言うつもりはありません しかし戦う以外の選択肢が铨く見えなければ、そこには善悪 官网の錯覚があるかもしれないと繰り返し申し上げています。
さて、ここでいう「本物の悪人」とは、どのような存在でしょう
それは、悪を憎め/罰しろという命令にしか値しない存在です。 それは、どんな場合でも無条件に攻撃し罰を与えなければいけない存在です それは、原因があって犯罪を犯すのではなく一切原因が無くても必ず犯罪を犯す、なぜならそれがその人の本性だから、といった存在です。
もしそんな「本物の悪人」が多数存在し、彼らが犯罪的行為の中心を担っているのなら、それは「悪い奴が悪いことをしただけ」であり、 対処方法は唯一、悪人と戦うことだけかも知れません 「犯罪が起きたとき、その原因を追究し、その解決を目指す」という選択肢こそが錯覚の産物となるでしょう。
つまり、以下のどちらの意見を支持するかは、犯罪行為の原因を探る意味がそもそもあるのかという判断に大きく影響すると考えられます
そこで、最も本物の悪人らしき人について、考えてみました。
筆者が選んだのは赽楽殺人者です 自分の性的な快楽のために、異性を拷問し殺すといった異常者は、筆者には最も本物の悪人っぽく見えたのです。 もし彼らの行為にも原因があり、つまり本性から必ず犯罪を犯すという「本物の悪人」では無いのだとしたら、 逆に本物の悪人という概念そのものが錯覚であるという可能性がぐっと高くなるでしょうつまり、犯罪行為の原因を探る意味が大いにある、と判断することが出来るでしょう。
以下、連作絵本「想像という現実」では、サディズム、快楽殺人、カニバリズムなど異常者の心理とその原因を描きます
絵本でまだ書き切れていないことに関して、 ?
愛の錯覚を描く絵本集です。「愛を命令しないで」は3つの絵本で出来ているオムニバス絵本です
愛の錯覚の恐ろしさをご実感いただけたでしょうか?
それが善悪 官网の錯覚であろうと愛の錯覚であろうと、共通するのは錯覚を使って自分や他人をコントロールしようとする、心的な態度です その底には、人類が持つ自己不信?自信の無さ(錯覚をしてでもコントロールしなければいいけない、放っておいたら何をしでかすか分からない)があるのかも知れません。
ところで、もし愛は「善」であるとして、「善いことはしなければいけない」と考えるなら、「愛さなければいけない」となります その場合、愛の錯覚は善悪 官网の錯覚の一部だと考えることが出来ます。
ここでご紹介する絵本は錯覚の心理?原因ではありません歪みが無ければ、そこには「人の心」があるのです。
絵本「嵐と湖」は実際に筆者が常に意識していることです人生を生きていく中で大変に役立っていることなので、シェアさせてください。 絵本「待って」は、ごく単純な話なのですが、錯覚に落ち込まないために大変に重要な心的な態度をテーマとしています 信頼し待つことが出来れば、無理に愛を命令することはありません。 錯覚に頼ることも無いのです
ただ流されて生きるだけなら、周りの人々と同じ「メガネ」をしていた方が楽だということもあるのです。 善悪 官网のメガネを外したければ、まずはプライドを高く持ってご自身に気合いを入れてください(笑)
次はより具体的な心理エクササイズです。このエクササイズは折に触れ、行なっていただければと思います
善悪 官网の錯覚の見つけ方を、
死を考えることは生を考えること。人間としての成長にも心の癒しにも、つながるでしょう
[お願い]もしあなたが人命を守ることこそ善/正義であり、少しでもそれに反することは悪であるとお考えでしたら、 本シリーズをご覧になる前に、上記ご紹介した「善悪 官網の錯覚について」の絵本集をお読みいただきたく、お願いいたします。
現実世界はどれか一つの錯覚ということではなく、複数の錯覚が有機的に組み合わさって動くものです そんな錯覚に満ちた世界を、色々な角度から描いてみました。錯覚に関して、ある程度悝解していただいた方を対象としています
お金?経済問題をテーマとする絵本です。失業や生産性、財政危機などの相関関係について描いています
[お願い]もしあなたが資本主義?自由競争こそ善/正義であり、一切の批判は悪であるとお考えでしたら、本シリーズをご覧になる前に、上記ご紹介した「善悪 官网の錯覚について」の絵本集をお読みいただきたく、お願いいたします。
「民主主義」シリーズです。
[お願い]もしあなたが民主主義こそ善/正義であり、一切の批判は悪であるとお考えでしたら、本シリーズをご覧になる前に、上記ご紹介した絵本「サングラス」と「善悪 官网の錯覚について」の絵本集をお読みいただきたく、お願いいたします
錯覚が支配する世界で、異文化に属する人間同士がどのように誤解しあうのかを描いています。
この絵本のテーマは被害者意識の心理です被害者意識が生む錯覚は、時に人間関係(個人ベースでも民族ベースでも)をゆがめ、 イジメや差別を固定化してしまうことが有るのです。 どんな場合にこういう錯覚が生まれるのか、どうすれば悲劇を防げるのか、お考えいただければと思います
地球上から原爆(核兵器)を無くすことを目嘚に執筆した58頁の長編絵本です。大変にデリケートなテーマを扱っていますので、他の絵本を読み終えてから、お読みいただきたくお願い致します大人向きの絵本です。
差別問題も、多くの人々に善悪 官网で錯覚されていることの一つです その結果、差別がそもそも何なのかも、なぜ差別が起きるのかも、ではどうすれば差別を無くせるのかも、大切なことはほとんど霧の中にあるようです。 ここでは問題を整理するために、ごく基本的な「差別とは何か」から始めて、差別の心理と原因、囚種差別の始まりとその終焉までの歴史を18本の絵本で描きます ちなみに18本目の絵本「山は見えない」は、現時点(2006.4月現在)で私ども最長の90頁の長編絵本となります。
初めて具体的な政策論に踏み込んだ絵本の論文です国民的な議論の叩き台に出来ればと希望しています。大人向けです
「錯覚が原因で争いが絶えないことは分かった。じゃ、どうやって世界を変えようか」という方のために、 こちらの頁でなどをご説明しています 世界を変えましょう!
全ての「平和の絵本」に共通するテーマは和の心です。
つまりは、個人の心からこと …これが全ての平和の絵本に共通するテーマです。絵やイラストを使い、絵本を表現手段としているのは、子供からお年寄りまで、教育程度に関わり無く人種?文化?宗教?国境を越えて、万人にメッセージを届けるために他なりません
どうぞ私どもの平和の絵本集を、内面の気づき?癒しへも、子供の情操教育、苛めや少年犯罪への対策、道徳の授業、さらには英語の勉強にも、世界平和のメッセ―ジとしても、お役立てください。
平和の絵本の土台となっている哲学?思想に関して、より深くお知りになりたい方は、 人類がなぜこれほど凶暴化してしまったのか、平和の絵本が何を目指しているのか、ご得心頂けるものと存じます。
イラストレーターの方たちが、私達の呼びかけに応えて、絵?イラストをボランティアでご提供くださいました