谁かが犬であると言って何の资格,人の位置を変换しません

参考「会田誠展 天才でごめんなさい」への抗議と「犬」シリーズ展示撤去の要望/CML(追記あり) - 薔薇、または陽だまりの猫
*ちなみに 私(薔薇???猫)は、会田誠展には行っていませんが今回の会田誠展図録は持っています。
結構好きな画家です。
「戦争画RETURNS」の2曲1双屏風 など、会田誠本人の意図はどうであれ魅せられておりました。
美しさも、社会に対する批評性も 鋭くかんじられたからです。
問題の「犬」シリーズは、「不快」ではありましたが、「どう考えたらいいのだろう?」などと真剣に戸惑ったりしていたこともあります。
あの「天才!」荒木経惟の 緊縛写真なんかに刺激される感情と どうちがうのか???などと。
???以下の「抗議」については、ちょっと違和感のある部分(ポルノ被害と性暴力を考える会の抗議文など)もありますが、重要な指摘の一つであることは間違いありません。議論が深まるといいと思います。
会田誠が 答えてくれることは期待できないでしょうが???。と、想っていたら 以下のツイートあり。ごめんなさい
会田誠‏@makotoaida 27日
僕をはじめ美術家というのは言葉の訓練を受けてないから、語って/書いて墓穴を掘る危険はある。
でも美術館という他者にひたすら代弁させるのもどうかと思い…。
会田誠‏@makotoaida 28日
「犬」シリーズの最初は1989年、23歳。その24年後に都心の高層にある美術館で展示されるなんて想像だにせず。修了制作展で都現美に出した時も何の反応もなかったなぁ…。 取り急ぎ。
会田誠‏@makotoaida 28日
「高い価値が安定しているもの」を芸術と思っている方が多いようですが、僕はそう思いません。「そもそも価値とは何なのか」を様々な角度から問うのが、20世紀以降の芸術だと思います。立派だから、偉いから美術館で展示されるわけではありません。
会田誠‏@makotoaida 28日
言うまでもなく「犬」は「お芸術とポルノの境界は果たして自明のものなのか?」という問いのための試薬のようなものです。問いをより先鋭化するため、切断や動物扱いという絶対悪の図像を選択しました。多くの人が指摘する通り、このたびの喧々囂々の議論は、最初から作品に内在していたものでしょう。
会田誠‏@makotoaida 28日
だから「みんなといっしょ」です。花瓶みたいなものも描きます。“@takatatetteke: あまりにも凡庸で驚愕。花瓶でも描いてればいいいのに。“@makotoaida: 言うまでもなく「犬」は「お芸術とポルノの境界は果たして自明のものなのか?」という問いのための試薬のようなも
会田誠‏@makotoaida 28日
だってあの「犬」は大正時代あたりの日本画の美人画を見た感想から生まれたものですから。個々の作品が扱うテーマは狭いです。“@hibari_to_sora: む。会田誠も会田誠で言ってることがしょーもないなあ…w ちょ、ど。うーん…。 /makotoaida/status/227392 …”
会田誠‏@makotoaida 29日
フェミニストには昔からいろいろな思いがあります。エッセイにも書きましたが、僕の母は頑迷なる初期フェミニストで、幼少の頃から台所のお手伝いをさせられました。現代美術関係の女性の二人に一人はフェミニストと言っても過言ではありません。僕の妻も片足突っ込んでおり。まずは他意なく事実のみ。
会田誠‏@makotoaida 30日
☟展覧会タイトルや壁に掲示した宣言文など、美術展に直接付随した僕の言葉はヒネクレたものが多いのですが、エッセイは割と素直に書いてます。また僕にとって、人間世界全体に向けられた興味の中で、性的なものの占める割合もだいたい分かってもらえると思のですが。言われるほど多いかな?
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戦争画RETURNS
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以下、前田朗さんのCMLへの投稿から
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現在、森美術館で開催されている「会田誠展 天才でごめんなさ い」におけるいくつかの「作品」は、美少女ポルノであって児童ポルノ禁止法に反する疑いがあるばかりか、美少女の手足を切断して「犬」の ように鎖でつなぐなどの表現です。
このような 「作品」を「芸術」と呼べるのか。公共空間である美術館に公開して良いのか。
このような問題意識から、展覧会を開催している森美術館に対して抗議し、一部作品の撤去を要請する意見書を、 主宰者である宮本節子さんの了解を得て、転送します。
問題の作品は下記で見ることができます。
下記をお読みになって賛同いただける方は、次の情報を下記のアド レス宛てに送ってください。
?所属又は職業
抗議賛成者の名前送信先
以上の情報は、森美術館に抗議?要請書を出す際に 明記します。
同時に、報道関係者にも抗議?要請書を送りま すが、その際には、賛同者氏名は割愛するとのことです。
1月31日に締めて、2月1日に、森美術館等に送る予定とのことです。1月31日までにお願いします。
以下をよくお読みいただけますよう。
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WAMネットのみなさまへ
目下、六本木の森美術館にて行われている展覧会には女性、ひいては人間の尊厳と品位を凌辱するとんでもない‘作品’が展示されています。
看過できないことなので、私、宮本節子個人の名において、抗議しようと考えています。
森美術館館長宛の抗議文を添付文書を作成しました。
賛同される方は、下記の方法及び事情をご了解の上、お知らせ下さい。
1 抗議賛成者の名前送信先
氏名(都道府県名 所属又は職業、またはその両方)
特に男性の方々、お声を寄せて下さい!!!これは男性の問題なのです!
3期限:1月31日にします。
展覧会は3月31日までなのでことは急ぎます。
4抗議賛同者が集まったあとのアクション
 2月1日名簿、を整理し、美術館館長宛に配達証明付きで郵送します。
 同時に、賛同者の名前を削除し、賛同者○○名とした文書を私の知っている限りの報道関係記者に送付します。
5皆さまにお願いしたいその他のこと
 ,海離瓠璽襪隼笋旅概鎚犬鮟侏茲觚造螻隼兇靴討ださい。
 △知り合いの報道関係者に、私と重複するかの知れませんが、お知らせ下さい。
6ご希望の方は、‘作品’を下記で見てみて下さい。但し、著しく人の心を傷つけます。
特に最後の一枚が???。
なお、このような行動は私にとって初めてのことで、どのように展開していくのか予測もつかないところがあります。
私の限りでは守秘いたしますが、文案にありますように、寄せられたお名前は森美術館に提出されます。
従って、森美術館がどのように扱うかはわかりません。
不確定要素の多い行動であることを御承知の上、ご賛同ください。
みやもと せつこ
( 怒りと悲しみのあまりノルアドレナリン放出しっぱなし)
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以下が抗議文の本体です。
森美術館館長
    南条史生 殿  
「会田誠展 天才でごめんなさい」への抗議と「犬」シリーズ展示撤去の要望
時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、私は日、貴館で開催中の「会田誠 展 天才でごめんなさい」を観に行き、そのうちのいくつかの作品に関して、特に「犬」シリーズに関して、公共空間である美術館で展示するのは甚だ不適切であると考えました。
なぜ、不適切であると考えたのかをまとめ、友人や知人、不特定の人々にメールで発信しましたところ、賛同して下さる方々がおられました。
以下に、私の呼び掛け文と賛同者名簿を添えますので、どうぞ、「犬」シリーズの展示作品からの撤去をご勘案下さいますようお願い申し上げます。
なお、この文書のコピーは貴館宛に郵送した後直ちにマスコミ各社にも配信、ないし郵送します。
宮本節子(社 会福祉法人小諸学舎理事/フリー?ソーシャルワーカー)
宮本の住所
            宮本の電話?fax番 号
            宮本のメールアドレス
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皆々さまへ
現在、六本木にある森美術館で開催中の「会田誠展 天才でごめんなさい」を観に行き、びっくり仰天して戻りました。
その感想をお伝えします。
とりわけびっくり仰天した‘作品’は「犬」と題された6連のもので す。
全てのモチーフは、四肢を切断され、その断端には薄く血がにじむ包帯が巻かれた裸体の美少女が犬の首輪に繋がれてさまざま姿態を取ってほほえんでいる図柄です。
聞くところによると1989年宮崎勤事件が あった時にはすでアダルトビデオでは女性や女性を象徴するモノの四肢切断イメージが存在していたようですが、今や四肢切断の少女のモチーフはネットのポルノサイトでは一つのジャンルとなり、過激に進化の一途をたどっているようです。
ネットのポルノサイトのモチーフが森美術館という表の大舞台に躍り出て来た、そんな印象で仰天したのです。
以下の理由により、森美術館に抗議し、‘作 品’の撤去を申し入れしなければならないと考え、皆さまに行動を共にして下さることを呼びかけます。
森美術館館長 南条史生殿
私たちすべては表現の自由を有しています。
ただし、当たり前のことですが、その行使には、他者の命や尊厳を侵害しない限りという限定が付いています。
「犬」シリーズのモデルとなっている若き女性は架空の人物かもしれません。
しかし、彼女には人格があり、彼女の身体は傷つけられ、心や精神も脅かされています。
だから、彼女を見る私の心も痛み、私の身体にも彼女が感じているだろう痛みを強く感受するのです。
性暴力を受けた女性がこのシリーズを見たなら、強い衝撃を受け、癒えない生傷を再びえぐられる思いをすることでしょう。
私は、男性側のセックスの快感を得るために歯は邪魔だと抜かれてしまった女性が実在することを知っています。
体中にいたずら書きのような入れ墨を施されてしまい、温泉や公衆浴場に入ることが出来ない身体を持つ女性が実在することを知っています。
また、私は、犬の首輪はドメスティック?バイオレンスの小道具の一つだということを知っています。
性暴力を受けたこれらの女性たちは森美術館に展示されている「犬」シリーズやその他女性を貶める“作品”を見た場合、ひどく傷つくでしょう。
でも、抗議の声を上げることができません。
なぜなら、なぜ傷つくかを他者に伝えることによってでさえ、さらに深く傷つく状態にあるからです。
多くの人々が傷つく蓋然性のある作品を公共の空間である美術館に展示してはならないと強く訴えます。
以上は貴美術館に抗議する私の感想と意見ですが、私のこの感想と意見に全面的に、ないし一部賛同して下さった方々のお名前を以下に列記いたします。
代表抗議者 宮本節子(東京都 社 会福祉法人小諸学舎理事/フリー?ソーシャルワーカー)
抗議賛同者 小林高義(東京都 中 野総合病院神経内科部長/神経内科医)
(注)小林さ んのお名前はどこに出してもかまわないとの了解を得ましたので、
私が起こした抗議行動にリアリティを持たせるために使わせていただきました。
賛同者の皆
さまのお名前は森美術館への抗議のみです。
報道機関に配信する場合は、もちろん、削除したします。
氏名(都道府県 所属または職業  またはその双方)
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手足を切断された美少女をモチーフにした絵は、美術館に展示されただけで‘芸術’として承認してしまっていいのか。
手足を切断された少女の身体がモチーフとされて、伝わるメッセージは何か。
手足切断の日本人男性、白人男性、黒人男性では決して代替できないメッセージとは何か。
会田誠氏の作品の中でもとりわけ「犬」シリーズを問題にする。
これらの‘作品’を森美術館という公共の空間に展示されていることに強く抗議し、撤去を要望したい。
なぜ、私はこのシリーズを公共の空間である森美術館に展示してはならないと抗議し、撤去を申し入れるのか。
「犬」シリーズは、モデル(少女)の尊厳と品位、即ち、女性、ひいては人間の尊厳と品位をこれ以上にないまでに侵害し、傷つけているから??。この一点だ。
どのようにモデル(少女/女性)の尊厳と品位を侵害し傷つけていると言えるのか。
主体(モデル)の側に、自分の四肢を切断する必然性が全くないことがこの‘作品’の前提となっている。従って、その四肢切断された身体に加えられている全てのことは主体の意思に関係なく他者によって強制されたものだと言える状況下に置かれている。
その状況下でなされていること全てにおいてモチーフとされた人物(女性)の尊厳を著しく侵害し、傷つけている。
そのような‘作 品’が、目下、森美術館に展示されている。
女性、ひいては人間の尊厳や品位を著しく侵害し傷つけている理由は何か。
1:四肢切断という行為は主体的必然性がないのにも関わらず、された 場合は一般的に拷問、激しい暴力が実行されたと考えられる。
2:身体に加えられた一方的な暴力について一切の批判がない。結果、 一方的に加えられた激しい暴力を肯定しているかの如くに見える。
3:他者の四肢切断行為は究極の支配の象徴である。従って、究極の自 由剥奪である。批判のないこの‘表現’を受け入れることはできない。
4:描かれている人物(少 女)は犬の首輪で繋がれている。人間を犬の首輪でつなぐ行為は、人間の尊厳に対する究極的な侮蔑、凌辱の象徴である。
5:中には、まさに犬のように四つん這いになって吠えたり、犬の皿を 前に舌を出したポーズをしている少女もいる。
6:このように人間に対するあるまじき暴力、凌辱を受けているにもか かわらず描かれている人物(少女)は、これらの行為を受けていることにある種の(性 的)恍惚や(性的)媚びの表情を浮かべている。
7:見る者、描く者の性的欲望がむき出しに描かれており、見られる 者、描かれる者は、見る者や描く者に対して全面的な同意、従順、服従を表している。
8:2に重な るが、他者による暴力的な四肢切断という身体への究極で修復不可能な暴力を描いているにも関わらず、侵害されている当事者の苦しみ、悲しみ、怒り、凌辱される屈辱には一切無関心、ふれていない。
モデルは、人間一般ではなく、特定の人種でもなく、美少女であることがこの‘作品’にとって最重要となっている。
少女は、描き手の性的欲望の対象、象徴となっている。
このように一方的に生殺与奪を握った強者によって弱者の立場に置かれた者の状態を、弱者の立場に置かれた人間への尊重、尊敬を一切排除して表現し、公表することは、人間に対する尊厳と品位の侵害以外のなにものでもないと断言できる。
モチーフが少女だから、子どもだから、いけいない、だけではない。
その少女は女性であり、人間だからだ。
若い女性の四肢を切断することを主題にしたイメージで、性的欲望やセクシャリティを重ね合わせて表現すること自体が、女性の尊厳の侵害だ。
個人的な性嗜好を満足させるために、人格を有している他者の身体をまるでモノであるかのごとく扱って‘表現’していること自体が他者への冒涜だ。
絵画の中の人物には人格がないなどと言わせない。
私たちは絵画の中の人物を見る時、その人物を誰と特定できなくても、表現された人物の人格を見て取る。
いたぶられ、侵害され、冒涜されている人物の表象を見る時、その人物がそのような扱いを受けて当然だと思う文脈、必然性が伝わる社会的文脈の中に置かれている。
少なくとも会田誠氏の「犬」シリーズを、私はそう読みとる。
もちろん、自覚的に、当然と思うかどうかが問題ではなく、そこにそうしてある表象に何の疑問を抱くことなく、表象としての出来栄えやその含意??この場合は性的な欲望??を他者の‘作 品’によって自分が満足する一連の相互作用が問題なのだ。
このような‘作 品’をかりそめにも‘芸術’などとして肯定的に評価してはならない。
モデルの女性は、日常の中にいる少女一般であって、そのなにげない日常性こそが中核となっている。
しかも背景は、少女の無残な姿態に比べて極めて美しく描かれている。
手術室ではない。戦場ではない。拷問室ではない。
描かれている背景にあるのは、通常このような四肢切断の身体が仕上がるであろうと理解できる状況とはなんの脈絡もない美しい日常である。
四肢切断されたその女性は美しい日常性の中に置かれている。
この日常性こそがこの‘作 品’にとって大切で、少女が受けているサディスティックな状況を際立たせる。
それはごく普通にいる、通りすがりの、隣の、若い女性を想起させるゆえに日常が大切な含意なのだ。
その日常の美しい世界で、若い女性の身体を持つ少女をいたぶり、慰み物にしている。
描く側はそれ自体を目的として描いているのであろう。
見る側は激しい嫌悪を抱くか、そこに性的嗜好を満たすかに分かれるであろう。
私は嫌悪し、拒否する。
そもそも、この若い女性はどのようなシチュエーションで四肢切断されたのだろうか。
少なくとも若い女性の側には主体的な必然性は読みとれない。
主体的な必然性がないのに、四肢切断という人間の身体にとって極めて攻撃的で破壊的な行為を加え、かつ、美しきものとして描き表すことの意味は何か。
他者による女性の身体への攻撃、極めて激しい暴力を加えることへの性的快楽の表現というより他にないのではいか。
他者への身体の暴力だけを目的とした攻撃行為を表現し、さらに性的嗜好を表現し、あまつさえ、この性的嗜好に標準を合わせ、性的嗜好を山盛りに加味した‘作品’を公共の空間に曝していいのか。
女性や人間の尊厳を重視する全ての人々は、極めて不快な思いを抱き自分自身の尊厳が侵害されたと感じるであろう。
中には、自分の受けた性暴力を想起しフラッシュバックに苛まれる人もいるであろう。
事実、私が呼びかけた人の中には、カタログの図を見た上で、この作者と作品には関わりを持ちたくないと激しい拒否感や嫌悪感を
示した人もいた。
見ること自体で自分が受けた暴力がよみがえると??。
美術館である以上、全ての人々に開かれている公共空間である以上、見たくない人は見なければいいなどといわせない。
これらのシリーズは多くの人々の感情も尊厳も傷付けずにおかない。
主体の側に四肢切断の必要性が全くないのに、切断の状況があるということは、通常の理解では、その主体に対する暴力が存在しているということに他ならない。
この暴力は身も心も修復不可能な究極の暴力でもある。
このような一方的な暴力を表現することの意味はなにか。
表現される側に必然性のない暴力を全く批判なしに‘表現’することにより伝えられることは、他者対するによる徹底的な支配、無制限な残虐行為、他者による女性の身体のモノ化である。
ここには、主体、他者関係の絶対的な支配従属関係があるのみで、人間的な関係性の入り込む余地はない。
つまり、支配下におかれた女性はモノであるというメッセージである。
他者によって何をされてもいい身体など存在しない。存在させてはならない。
会田誠氏のシリーズは(多分)多くのこのような性的嗜好を持つ者が‘表 現’として表舞台でやりたかったことではないだろうか。
しかし、今まではやらなかった。できなかった。
そこにはある種の社会的抑制や規制が働いていた。
してはならないという暗黙の社会的了解があった。
会田誠氏はそこに挑戦した。
社会的抑制や規制を破った故に、‘反権力’ないし‘反権威’として一部で英雄扱いをされているのではないか。
その‘作品’は今まで表舞台でやりたくてもできなかったことを実行した故に‘反権力?反権威’ともされるであろう。
あるいはサディスティックなありさまを一見何気なく美しいものとして‘表現’している故に一部の人々から‘前 衛’とも評価されるであろう。
またこれらの‘作品’を企画展示しした森美術館も会田誠氏の‘反 権力?反権威’やその‘前衛’を後押しする美術館として 業界ではそれなりに評価されるのであろうか。
しかし、社会的抑制や規制を破ることは、そのことだけで反権力的行為として評価されていいのか。
社会的抑制や規制は時の権力だけによって形成されているものだろうか。
反差別の歴史的な闘いとその蓄積をみれば、一般大衆の、とりわけ被差別者の勝ち取った成果でもあることは明白だ。
時の権力が狡猾に利用した例にもいとまはないにしても、だ。
また、他者に加えられた激しい暴力を何ら批判なく‘美しきもの’として‘表現’していいのか。
森美術館が行った会田誠展によって、この社会的抑制や規制が破られ、今まで‘表現’としてしたくてもできなかった ことを表舞台で出来ると欣喜雀躍している‘表現者’は続々と現れるだろう。
それ で、女性や障害者、差別されている人々は幸せになれるだろうか。
浜田知明の「初年兵哀歌」には一枚の衝撃的な作品が収録されている。
それは、レイプされた後、死体となって大地に仰向けに横たわり両脚を広げ真ん中にある性器に棒杭を差し込まれている女性の姿である。
戦争中の中国大陸の事件を題材にしている。
この作品が公共の美術館に展示されても、画集に収録されていても、通常はモチーフの残虐さや女性の身体に対する冒涜性のゆえに非難はされないだろう。
残虐な図柄であるが、その残虐さを楽しむために描かれているのではない。
会田誠氏の‘作品’は、まさに他者に対して行う残虐さを楽しむために描かれている。
浜田知明の作品を観る者は、そのような残虐な行為が一人の女性の上になされたことを告発する制作者のヒューマティのありように共感するのである。
浜田氏の体験したことは戦時下の個人的な事柄であろう。
しかし、その個人的な体験を描くことによって、戦争の残虐さ、戦争の大義に無さを社会が共有すべき事像だという意味を見出し、そこに私たちは共感する。
このためにはむごい状況におかれた女性の身体を必要とした。
会田誠氏のように女性のむごい姿態を描くこと自体が目的化されたわけではない。
浜田知明はむごい肢体をモノとして扱っていることに違いはないが、モノとして扱っているのは制作者ではなく戦争という大状況である。
制作者はモノとなった女性の肢体を通じて戦争の理不尽さを告発した。
理不尽さを告発するのにはモノとなったこの女性の身体を必要とした。
しかしながら、モノとして扱われた女性から言えば、どんなに善意のヒューマニティであろうとも自分のこのような身体を公衆の目
に曝されることは断じて拒否したいであろう。
大きな矛盾ではある。
繰り返しになるが、浜田知明と会田誠の決定的な違いは、前者はモノとして扱われている女性のむごさ、ひいては人間の尊厳を踏みにじる不正義を描き、後者は女性をモノとして扱って見せる行為自体にある。
個人の性的嗜好や趣味を満足させるために、一個の人格を持った人間を公けの場でなぶりものにする必要はない。
個人の性的嗜好や表現の自由を否定はしない。
かげでこそこそやればいいのだ。
ただし、蔭でこそこそやるにしても最低限、頭の中の妄想だけですませればいいのだ。
どのような場合であっても、実行(表現する)に移す場合には、人間の尊厳を脅かしてはいけない。
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東本高志さんから
問題になっている作品(美少女の手足を切断して「犬」の ように鎖でつないでいる作品など)は今日の午前中まではユーザー名やパスワードを打ち込まなくても会田誠氏へのインタビュー記事が掲載されている下記の森美術館公式ブログにもあわせて掲載されていたのですが、現在は同ブログからは削除されています。
一昨日あたりから同作品への批判が殺到したからでしょう。
■コソコソ見るから、エロ本は面白い?1分でわかる会田誠:初の大規模個展を控えた、美術家の挑戦(1)(森美術館公式ブロ
しかし、下記のYahoo!の画像一覧からは見ることはできます。
四肢のない少女が犬のように四つん這いになっている画像が何点かありますが、それが問題の作品です。
あわせて、ジェンダー研究者のイダヒロユキさんが森美術館で開催中の「会田誠展 天才でごめんなさい」を下記で批判されていますのでイダさんの同記事もご紹介させていただこうと思います。
■森美術館の会田誠氏の作品展示はひどい(ソウル?ヨガ(イダヒロユキ) 日) 
ご参考にされてください。
東本高志@大分
higashimoto.takashi@khaki.plala.or.jp
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森美術館の会田誠氏の作品展示はひどい/ソウル?ヨガ
以下のような趣旨の抗議文を森美術館に送りました。
森美術館で会田誠氏の作品「会田誠展 天才でごめんなさい」を展示されているということですが、作品を見てとても問題があると思いました。
性差別を容認する秩序を強化する作品群だと思います。
私は芸術だからいいとか、表現の自由があるとか、反体制的だからいいというような単純なレベルでなんでも認めればいいとは思っていません。主流秩序を構成し、それを強化することに反対する立場です。そして性差別容認の秩序はその中での重要な秩序です。
この作品を容認し、美実館で公的に承認し応援することは、性差別を再生産することに対する森美術館自体の責任です。
展示をやめ、HP掲載もやめ、反省と謝罪の意、性差別へのスタンスを世間に表明する責任が貴館にはあります。
一部のうるさい奴らの文句に過ぎないとたかをくくるのでなく、熟考の上、正しき対応を選択されることを期待します。
問題点について
「犬」と題された6連の作品では、裸体の美少女が四肢を切断され、その断端には薄く血がにじむ包帯が巻かれ、その少女が犬の首輪に繋がれてさまざま姿態を取ってほほえんでいる。
四肢切断されたことに意味や必然性がない。戦争であるとかレイプ?凌辱であるとかの社会問題を背景にしているとは思えない。そしてその少女が嬉しそうにしている。痛みへの感受性がない。
これは性的な視線で作られ、そこに性差別を顧みようとする姿勢が感じられない。首輪をつけられ監禁されていることを喜ぶ(従順)というのは、自由の剥奪であり加害者の勝手なスタンスである。支配、暴力、服従、凌辱の肯定に過ぎない。若い、美少女であり裸であるということが、性的欲望の対象としてのみ利用されている。
社会にあふれている暴力の犠牲者、レイプなどの性暴力被害者への配慮がない。関心を持っていない。弱者への共感や痛みの共有がない。つまり、社会的に存在する性差別秩序への反対のスタンスが全く感じられない。むしろ肯定、強化である。
描き手の会田氏は裸でマスターベーションをしているようであり、この作品が会田氏の性的欲望を反映している。その意味で、それは男性や大人や多様な人ではなく、会田が好むセクシーな美少女でなくてはならなかった。これは、多くの人に不快感を与えるハラスメントである。人格を有している他者の身体を自分が自由にしてよいモノであるかのごとく扱っており、対等な人間間の関係ではない。
この作品を見ることで、多くの人々の感情や尊厳は傷つけられるであろう。
このような作品を、公的空間に、美術として承認して存在させ公開することには問題がある。森美術館には責任がある。
「美術を理解しない女性たち/フェミニストたちが、会田誠の美術作品を批判して、展覧会を妨害しようとした、作品展を妨害した」と批判されるだろうと予想される方がいます。
そうでしょうが、だからといって黙っているべきとは思いませんね。
会田誠はアート界の権威だそうです。だから「かしこい人」は、簡単に批判したら笑われると思って批判しないでしょうね。有名人も会田の作品を評価しているので、簡単に批判したらまずいと思うでしょうね。
でも、自分の 頭で考えて、普通の「素人」として、一人の市民の素直な感覚として抗議したいことには抗議すればいいと思います。
森美術館の次の電話番号に抗議の電話やFAXを入れようと思う人は入れてください。
電話 03-6406ー6100、FAX 03ー6406-9351
作品は以下で見れます
 http://paps-jp.org/uploads/mori/
会田氏インタビューは以下
このページには、問題の作品画像もあります。
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前田朗さんから
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本日さきほど、急に閲覧できなくなりました。
しかし、なぜそうなったのか、森美術館のウエブサイトには説明がありません。
森美術館の認識は明らかではありません。
ちゃんと反省して削除したとは思えません。
美術館の展示がどうなっているのかも、まだ確認できていま せん。
抗議?要請行動に対して、自称天才?会田誠がどのように反論してくるのかもまだわかりません。
「芸術表現だ。表現の自由への抑圧だ」と開き直るだろうと思いますが。
幼稚なエログロ表現を「タブーの挑戦だ」などと思える鈍感な感性の持ち主ですし。
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会田誠展?図録から/会田誠
???室町時代の屏風絵?展の会場で?松や梅の幹や枝の描法を見ている時に、なぜか日本オリジナルのエロチシズムを表現する必要を感じた。???
よりダイレクトなショック効果を狙ってこの形になった。
こんな、観衆に対する心理的効果を考えると言う事自体、それ以前の僕にはほとんどありえない態度だった。
また作品の題材を「自分」限定から、様々なレベルにおける「我々」に変換することで、捨てるものも多かったが拾うものも多かったと思う。
たとえばこの試作品をちょうど描き終えた頃、世間を騒然とさせた「宮崎勤事件」が発覚した。
素直にものを作っていれば、時代とのシンクロが起きる事もあるとさとったのは、あれが最初だった。???
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森美術館への抗議文/ポルノ被害と性暴力を考える会
森美術館館長
  南條史生殿
 私たちは貴館において現在開催されている「会田誠展 天才でごめんなさい」に関して、以下の抗議文を提出するとともに、今回の展覧会に関して、貴館のご意見を直接おうかがいしたく話し合いの場を持っていただくよう強く申し入れします。
貴美術館が現在公開している会田誠展において展示されている「犬」シリーズなどの一連の作品に対して、またそれらを公開している森美術館に対して、私たちは以下の強い抗議の意志を表明します。
 この「犬」シリーズで描かれている少女たちは、全裸で四肢を切断され(両手は手首より先が、両足は膝より先が切断されている)、その切断部分に包帯が巻かれた状態で、首輪をつけられ、四つんばいなどの姿勢をとらされ、作品名もずばり「犬」となっています。さらに、これらの作品の中で少女は微笑んでおり、このような性的拷問を楽しんでいるように、あたかもそれが自分にふさわしい扱いであるかのように描かれています。またこの「犬」シリーズ以外でも、少女が食べ物として体を開かれ、焼かれているもの、大量の少女ないし女性がジューサーの中でつぶされているもの、などが多数展示されています。
 これらはまず第一に、作画によるあからさまな児童ポルノであり、少女に対する性的虐待、商業的性搾取です。日本の児童ポルノ禁止法においては現在、実写ではない児童ポルノは違法とされていませんが、カナダ、EU諸国、オーストラリアなどの主要先進国においてはすべて、これらは違法な児童ポルノとして処罰の対象になっています。日本でもやがて違法とされるでしょう。このようなものを貴美術館は堂々と公開しており、これは少女に対する性的搾取に積極的に関与するものです。
 これらは第二に、少女=女性を全裸にしたうえで四肢を切断し首輪をつけて犬扱いしており、女性を最も露骨かつ暴力的な形で性的に従属させ、人間以下の性的玩弄物、性的動物として扱うものです。これは、描写を通じた性暴力の一形態であるとともに、すべての女性の尊厳を著しく傷つける下劣な性差別行為です。作者あるいは貴美術館はこのような表現を通じて社会の常識や権威に挑戦しているつもりかもしれませんが、実際にはそれは、少女および女性一般を性的に従属的な存在として扱っている社会の支配的価値観に全面的に迎合し、それをいっそう推進するものに他なりません。それは反権力どころか、権力の露骨な行使そのものです。
 第三に、これらの作品は、四肢欠損などの身体障がい者に対する差別と侮蔑の行為です。先天的であれ後天的であれ四肢ないしその一部を失っている人々を全裸にして犬扱いすることが許されるでしょうか? これのどこが反権威や反権力なのでしょうか? あなた方は、これらの作品を当事者が目にすることで、どれほどの深い衝撃と精神的ダメージを受けるかを想像したことがあるのでしょうか?
 第四に、このような二重三重に差別的で暴力的である諸作品を、森美術館のような、公共性をもった施設が堂々と公開し、宣伝し、多数の入場者に公開していることは、このような差別と暴力を社会的に公認し、それを積極的に正当化することであり、社会における少女の性的搾取、女性に対する暴力と差別、障がい者に対する侮蔑と差別を積極的に推進することです。たとえば、アメリカやヨーロッパの美術館で、四肢を切断された黒人が奴隷服を着て犬扱いされ、それを肯定するように微笑んでいる「作品」が堂々と公開されることなどありうるでしょうか? あなた方がやっているのはそういうことです。
 第五に、作品の中には、少女の局部をあからさまに描写しているものもあり、これは刑法のわいせつ物頒布罪ないしわいせつ物陳列罪にあたる可能性があります。これらの作品は18禁部屋として特設コーナーに入ってはいますが、広く公開されていることに何ら変わりはありません。また18禁コーナー以外でもキングギドラの頭部が女性の局部に挿入されている作品などがあり、子どもでも鑑賞することのできる状態で展示されており、これは青少年健全育成条例違反にあたる可能性があります。また、「犬」シリーズを含む諸作品は、森美術館の正式のホームページに掲載されており、それは何らゾーニングされておらず、子どもでも簡単にアクセスできるものです。
 私たちは、以上の観点から、森美術館による今回の展示に強く抗議するとともに、女性の尊厳を著しく傷つける諸作品の撤去を申し入れます。また、私たちは、森美術館の児童ポルノ推進的立場、その性差別性と性暴力肯定的姿勢、障がい者に対する差別推進の姿勢について、今後も広く世間に問題提起していく所存です。
 つきましては、森美術館としての考え方を直接おうかがいしたいので、1月下旬から2月上旬にかけてのいずれかの日に2時間ほどの時間をとっていただいて、話し合いの場をご設定ください。場所と時間帯はそちらにお任せします。ご連絡をお待ちしています。
         ポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)世話人
                横田千代子(婦人保護施設施設長)
                森田成也(駒沢大学非常勤講師)
                宮本節子(フリーソーシャルワーカー)
                湯澤直美(立教大学教員)
********************
以下のようなブログ?コメントも
会田誠さんと「ポルノ被害と性暴力を考える会」問題について/から
???会田誠さんの作品がポピュラーなものとして抵抗なく受け入れられてしまうということは、既に会田誠さんの作品は、いわゆる「良識に抵抗するための作品」や「問題提起としての作品」としては機能していないということなんだろう。
「四肢切断された全裸の少女が首輪をされて微笑んでいる絵」すら予定調和なものとして受け入れてしまう世間。
何でも受け入れてくれる物分りがいい世間。
そんな世間に反抗するのは、皮肉なことに「ポルノ被害と性暴力を考える会」だけなのだ。
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